見出し画像

ウィズコロナの今、原田マハ『たゆたえども沈まず』を読み終えて


本屋で見かけるたびに気になっていたこの一冊、ようやく読めました。


物語の主要な登場は4人。商才溢れる日本人画商、林忠正と部下の加納重吉。オランダからやって来た売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホと弟のテオ。

本当に大まかに言ってしまえば、売れない画家ゴッホが作品を創り出していく様を描いたストーリーなのですが、この本のいいところはゴッホ目線で物語が進んでいかないところです。あくまでも弟のテオ、そして後にテオにとって大切な友人となる重吉の2人のサイドを中心に書かれています。にも関わらず、フィンセントと忠正、この2人の存在感たるやいなや。圧巻です。

加えて、原田マハさんが描くパリの風景がとにかく美しい。パリの匂いが鼻をかすめ、まるで自分もシゲやテオと共にパリを駆け抜けている様な錯覚に陥ります。


フィンセントとテオ。2人は兄弟でいて、どこか対照的でした。牧師になることを諦め、故郷の家族とも疎遠になり金を稼げない兄のフィンセントと、画商としてがむしゃらに働き、家に金を入れ、昔馴染みの淑女と運命の再開を果たして子供にも恵まれる弟のテオ。正反対だが、どこか同じ方向を見据える2人。美しいだけの兄弟愛などそこにはないのに、2人それぞれの想いに胸打たれます。加えてここに、実在しない加納重吉という人物を立たせることで、4人の関係性が素晴らしいものに作り上げられています。フィクションだということが心の底から悲しいぐらいに。


たゆたえども沈まず。調べて見たらフランス・パリ市の標語なんですね。パリの勲章には舟の絵と、"Fluctuat nec mergitur"と記されており、直訳すると「揺れはするが、沈没はしない」という意味だそう。


忠正はフィンセントに言います。「セーヌに受け入れられないのなら、セーヌに浮かぶ舟になればいい(中略)嵐になぶられ、高波が荒れ狂っても、やがて風雨が過ぎれば、いつも通りおだやかで、光まぶしい川面に戻る。だから、あなたは舟になって、嵐が過ぎるのを待てばいい。たゆたえども、決して沈まずに。」(原田、2020、p.364)


ウィズ・コロナのこの時代、今まで当たり前じゃなかった新しいことが映画の様に日々自分の世界に降りかかってきて、どうしようもないと途方に暮れた様な気持ちに包まれました。それでも、私たちもセーヌに浮かぶ舟の様に、苦しい時代、新しい常識の荒波に揉まれつつも、決して沈まずにがむしゃらに生きていくしかないんですよね。

19世紀のパリで、それぞれの想いに流されながら生きる4人と、現代の日本でコロナという波に乗っている私たち。通づるものがあるからこそ、勇気をもらえました。小さな舟同士、支え合って入れば大きな船にも勝る力も手に入るかもしれませんね。


画像1



物語終盤、涙が頬をボロボロとつたい、読み終わると、切なくとも前向きな気持ちが残りました。そしてもう一度冒頭部分を読み返してください。それをもって「たゆたえども沈まず」読了といえるでしょう。

読み終わる頃には私が認識していたゴッホはもういなく、19世紀後半のフランスを生き抜いた1人の男、フィンセントとしか思えなくなりました。




おまけ

本書の表紙にもなっている、「星月夜」。現在はニューヨクのMoMA(ニューヨーク近代美術館)にて展示されています。私はMoMAに3回行ったことがあり、肉眼でこの作品を眺めることができました。トップ画像はその時の写真で、去年の誕生日当日に観に行きました!また旅行ができる様になったらもう一度、この小説の世界に浸りながら眺めたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?