平野紫耀の成金趣味ってそんな悪いことか?

最近の芸能にしろユーチューバー界隈にしろ、現代人ってやたら贅沢に厳しくないか?と思わずにはいられない。

まず自分の立場を明らかにしておくとはっきり言って底辺であり、しょうもない人生を生きている。

ただ華やかに生きている世界の人々に対して妬ましく思うことはない。

なんだろう、近年の日本は「欲しがりません勝つまでは」よろしく、皆で苦労しようという同調圧力がめちゃくちゃ強くなっているように思う。

日本が農耕で災害に苦しんでいた古代においては「同じ苦しい状況を皆で我慢して耐え忍ぶこと」が有用であったが、ここ最近の貧しくなりすぎた日本で再びその亡霊のような魂が蘇りつつある。


日本に余裕がある時代はいわば「華やかなスター」を求めていた時代であり、昭和の芸能人がスケールデカいと言われるのもそのためだ。

その頃の芸能人やスターには規格外のエピソードがあった。

ユーチューバーが大人買いして、面白い実験をする姿をスマホの小さな画面で見てなんとなく共感したり驚いたりする現代とは異なる。


ここで第2の前提だが自分はそもそも日本が好景気な時代を知らないゆとり世代なので、本当にその時代を知っているわけではない。

ただ今の時代、そういう「典型的なわざとらしい王道スター」が一人くらいいてもいいじゃないかと思うのだ。

芸能人は庶民と違うから面白いのであって、最近の「親近感ファシズム」みたいなものもどうかなと。


凄いスターがいて国中が熱狂し憧れて、そこにがむしゃらに向かっていく時代の方がやっぱり活気がある。

そういう意味で、平野紫耀は「イマドキ珍しい」スター要素を兼ね備えている。

スターなのに安い車に乗ってて服に興味無いとかそんなのいらないんだよ笑

バブル期は服の保管のために東京の一等地にわざわざ部屋を借りていたなんてエピソードの方が芸能としては面白い。


「貧困の共感」は誰しもが持っていて良いものだが、それを芸能人にまで求めるようになった現代社会は相当病んでいる。

自分自身ゆとり世代なので、甘ったれた思考を持っている。時計や車に金かけるのなんて無駄じゃないっすかみたいな社会知らずな発想を持っているのは事実だ。

ただそれは一部のダメ人間に限定されるべきであって、そういう夢や憧れは存在し続けていてほしい。


その意味においてキンプリの平野紫耀は、ある意味で「昔ながらのジャニーズ」であり、アイドルやスターである。

アイドルとは偶像という意味なので演じなければならない。演じ切らなければならないと言った方が正しいか。


日本がいつからそんな上品な先進国になった?

下品と言われようがアジア人が必死で欧米に食らいついて見返してやっとここまで来たんだよ。成金の中国人やとにかく金ピカな物が好きなアフリカ出身のアスリートと何ら変わることはない。

新興国のゴージャスなモーターショーを見て「日本も昔はこんな時代があった」とマウンティングする光景ほどダサい光景はない。

過去の栄光自慢語り程どうでもいい物は無いように、余裕のあるふりをした現代日本人の姿が悲しく映る。


だからこそ、平野紫耀のような華やかな芸能人が必要なわけだ。

行き過ぎた共感ファシズムが行き着く先は「みんなで貧しくいれば寂しくないよね」という消極的な共感の世界でしかない。

そこから新しい幸福を生み出そうとしてきた近年であったが、実際に生み出された物は、誰もが知るところだろう。


昔のジャニーズを覚えている人や、自分のように昔の映像を見て「この頃すげぇえええ」と憧れる人、それぞれの傾向がある。

ホストと一緒で貢ぎたいから貢いでるのであって、そこに答えるというのもアイドルという仕事だ。

亀梨和也も全盛期はプレゼントが凄かったようで、今だって羽生結弦にプーさんが投げ込まれている。


好景気ってなぜ生まれるかといったら好景気に憧れるからなんですよ、と経済学一切知らない自分が言ってみる。

ただ経済学者の予想ってことごとく外れるので、今時分が適当に書いたことの方が合ってるかもしれない笑

その意味で「歩く好景気」のような存在として大々的に世に出ている平野紫耀の存在は、現代の「欲しがりません勝つまでは」という世相を破壊している。

新しい時代に必要とされるのはいつだって空気の読めない人間だ。

面白いとおもたら銭投げてけや