最近のネットが絶望的につまらない理由

明らかにネットの雰囲気が変わったのはいつごろからだろうか。

個人的に大きな転換点はまとめサイトの乱造時代へ突入したことと、スマホの普及で日本人総ネット民化が進んだ時だと見ている。

更にここにきてユーチューバービジネスの時代に入って、これでもう完全に終わった時代になってしまった。ニコニコ動画も初期のノリはなくなって、今やオワコン化している。


雰囲気が変わるという漠然とした言い方で、個人の感じ方もあるだろう。

ただそれを言えばそもそも「個人感」のあるサイトやブログもかなり減ってしまった。有益で正確な情報だけが重視されたり、芸能人について調べてもテンプレでまとめたような物しか見つからない。「彼氏は、彼女は?」的なアレである。

かろうじてジャニオタや女オタク的な人は個人の熱い思いを語っているが、男で自分の趣味について熱く語る人は少なくなった。

たとえば一昔前にAKB48の島崎遥香にスキャンダルが起きたとき、ぱるるファンの反応を見たくて調べたのだが、ほとんど個人ブログか何かで自分の応援歴やその騒動についての感想などを書いている人が見つからなかった。

逆にジャニオタだったら結構そういう時に感想を書いている人がいて「個人感」がある人が多いのだが、男の女アイドルオタで熱く語る人は本当に少ない。地下アイドル板やAKBまとめみたいなところに常駐している人ばかりだ。

そういう人がみんな掲示板かSNS、まとめサイトのコメント欄に行っているのも大きい。男性はまとめサイトのコメ欄にしか集まらず、みんなが話しているところでしか話せなくなった感はある。

コアで濃い人のブログが最近減少していることにはそういう背景があるのかもしれない。


まとめサイトという最適解ができてしまったことで、みんながテンプレのようにそこに集まる、あらゆる趣味でまとめサイトのコミュニティ化が進んで個人サイトのようなものが減りつつある。

ポケモンも今はかろうじて「ポケ書」が残っているが、昔はああいうサイトが数多くあった。それが今では「ぽけりん」のようなまとめサイトばかりになってなんか違うよなぁという思いはある。

2chなんかを普通に日本人みんなが見るようになったら面白くないし、ノリの良さも失われる。その結果普通の掲示板になってしまったし、大衆掲示板になって普通の人が増えた感はある。

最近のねらーが面白くないのが半年ROMってないからノリをわかっていないところと、ネットの中のさらに匿名の中ですら恥ずかしがるところにもある。アングラだったから思い切ったふざけたことができたが、今はそれが恥ずかしい時代になってしまった。


人に見られてるという意識が強くなり過ぎて昔のネットだからできたようなことができなくなった側面はある。ユーモアがなくなったうえに、ユーモアあることをしたとしてもそこにノリツッコミをする人がいない。そして逆にそれをマジレスで批判するジョークがわかっていないような人が増えた。

ノリツッコミ精神や自虐で笑わしたろ精神は本当に廃れてしまった。

一部のスレではそういうコアなノリが形成されていることもあるのだが、これがまとめサイトで晒されたときのコメント欄の酷さはユーモアなくなったなぁという典型例だ。最近スマホでネットを始めたような人が、その雰囲気や阿吽の呼吸みたいなものがわからずマジレスで批判しちゃうのが今のネットが絶望的につまらなくなった理由の一つだろう。

スマホを否定するわけではないし自分自身スマホを持っているが、浅いネットユーザーを大量生産した負の側面もやはりあるのは事実だ。もちろんスマホでネットしている人が全員面白くない人とは思わないが、中にはそういう人もいるのだと感じる。

結局「一見さんお断り」というのは大事で、京都の格式高い料亭にその辺の奴がいったら店が荒れるわけで、入りにくい常連客のたまり場になってる居酒屋もやっぱ必要なんだよと思う。


ニコニコが面白くなくなったのも、キッズコメントが増えすぎたとか逆に信者しかコメントしちゃいけない空気になったとか、そういうノリや空気感の変化はあらゆるジャンルで進んでいるのは事実だろう。


芸能人が2ch用語使うどころか、もはや普通にまとめサイトを見る時代になったり自分の身内もまとめサイトをみていたりして驚かずにはいられない。

その2chも昔に比べて某なんJのせいで、定型文を使って短く語ることがテンプレになってしまった。長文嫌われる風潮は間違いなく形成されている。

長文アレルギーというか、ツイッターの144字ですら完全に使い切る長文ツイートは空気読めてない感じで嫌われたり引いた目で見られたりする時代になってきてネットが浅いことしか語れなくなってるようにも思う。

まとめコメント欄で時々長文で書いている人がいて個人的には結構有益な情報だと思ってみているのだが、それに対して「長い」といちいちコメントする奴がいるのもネットを浅いものにしている。

読みたい奴は読むんだからほっとけばいいのに、自分が気に食わなければ直情的に長い!って言っちゃうのが今のネット民で、掲示板だから真剣に議論できていたことが今はそのネットの掲示板ですら単なる一体感や空気感を共有するだけのものになってきている。

さらに言えばコメント欄で同意や賛同も少ない。そのコメントのノリを理解して突っ込むんじゃなくて、マジレス指摘や反論の時だけ彼らは早い。


同意や賛同の時は「いいね!」で済ますか無反応で、くだらない反論やどうでもいい指摘の時だけ脊髄反射のように早いのが今のネット民の特徴のように感じる。

いいね!が悪いというよりも、それいいねって思う人は性格がよいから逆にシャイな部分もあるのかもしれない。距離を置きつつ褒めるのにはちょうどいいのがイイネ系のボタンやスタンプでもあるし、個人的に便利だから使う時はある。

ただピクシブでいつも自分が投稿した時にいいね!を推してブックマークに入れてくれる人がいるのだが、そこまで気に入ってくれてるなら遠慮なくコメントしてくれればいいのになぁと思う時もある。

全部がいいね!系列の表面的な反応で片付けられてしまうのはちょっともったいない。


一方で人に指摘せずにはいられない人間というのはズケズケしてる性格の悪い奴で、そういう厚かましい人しか反応しなくなってるのが現代のネットなんだろうなと感じる。

その指摘も全体の内容を読んで把握してしっかり反論するようなものではなく、本当に重箱の隅をつつくようなどうでもいい間違いだけ探し出して、「わざわざそこだけ指摘するのかよ」というようなものが多い。

そういうあら探し野郎が増えたから個人で語りにくくなっているのかもしれないし、マジレスで指摘されたくないからみんな語らなくなっている。


そういう指摘したがり気質の反論マンだけがうるさくなってるのが今のネットのダメな空気感を形成しているよなぁと感じずにはいられない。明らかにネタでやっているようなことがわからない人も大勢いて、ユーモア欠乏症というかジョークセンスがないノリの悪い人間だけが声を荒げる時代になっている。

性格良くて面白い人は「いいね!」で済ますし、性格悪くてつまらない人ばかりがすぐに言葉を発してしまうのが今のネットになってしまった。


ノリがわからないネット初心者、シュバババ反論指摘マン、マジレスニキのように結局つまらない奴ほど声がでかくてすぐ行動に移すようになって面白い奴やユーモアあるやつが少数派になってしまった。そしてユーモアあるやつが冗談言っても、それが無反応かマジレスだけが返ってくる。

そうすると面白い奴も面白いことをしなくなり、その場所から去っていく。

そしてつまらない人だけが残りコミュニティが崩壊するというテンプレパターンがある。

居酒屋にいるマナーのいい客と一緒で良い人や面白い人というのはある意味気を使えるがゆえに自分を押さえてしまう時がある。逆にこれもリアルと一緒で性格悪い人ほど声が大きく、ネットでも気を使わずズケズケ言うような人の意見のほうが目立ってしまう。


個人で語る人が短く語れる匿名のまとめサイトコメント欄か、短文で語れていいね!という反応が来やすいtwitter等のSNSに行ってしまったしそれが最適解になってしまったのが今のネットだ。

更に最先端の流行がユーチューバーにいってしまって、何かやろうとする人が全員youtubeに集まる時代になっている。

ユーチューバーが面白いと思っている人はいおそらくネットがつまらないなど微塵にも感じず、今がネット黄金期とさえ思っているだろう。おそらく今のネットがつまらないと思っている人はユーチューバー文化やSNSが好きになれない人だろう。

ネットのアングラ感もツイキャスの個人配信やニコ生などを見ている人は感じているかもしれない。確かに自分も厨ポケ狩り講座のもこうだけは、ネットで見てたしユーストリーム配信はあの時は楽しみにしていた。もこうになりたいと憧れてさえいたほどだ。今は全く興味もないし、ユーストリームも確か亡くなったと聞く。


ネットが面白くなくなったというより、自分の個人の感性が劣化したのかもしれないし変わりゆく時代についていけていないネット老害になってる自分もいる。

フラッシュ全盛期もニコニコ初期も戻ってこないしその時代をいつまでも美化していても仕方がないことはわかっている。昔の思い出話しかしなくなったらお爺ちゃんになったといわれるが、今の自分は昔は面白かったと語りたいだけのインターネットおGちゃんなんだろうか。

1950年代から60年代のガチガチの冷戦期は面白かったんだよなぁと、裕福になった70年代以降の世代に向けて語る学生運動経験者とか全共闘世代みたいな人のネットバージョンが自分なのだろう。

前向きに考えるのであればそうやって面白いネット時代を経験した世代が、また新しいムーブメントを作り出していくことができるかどうかだろう。昔は面白かったというだけでなく、じゃあ自分が個人として面白いことをどうしていこうかということも考える必要がある。

もちろんそれが簡単にできたら苦労はしないが、かつてひろゆきが2ちゃんねるを開設した時のエネルギーぐらいのものをもって何か新しいことができないかと情熱を持つべきなのかもしれない。

ひろゆきの2chで楽しませてもらった世代がひろゆきを見習って新しいことを始める、それができればもしかしたら面白いネットは帰ってくるのではないだろうか。

自分自身その一人として何かできることはないかと模索している最中にある。


面白いとおもたら銭投げてけや