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老後の趣味候補にプラモを考えている話

最近、俺は孤独な老人になりはしないか・・・と不安になって、今から対策を考えている自分がいる。

これだけ孤独死が問題になり孤独が社会を蝕んでいる。自分は間違いなく予備軍だろう笑


そこで今回のテーマは「爺さんになった時の趣味」だ。

現代の現代の「爺さんコンテンツ」といえばまずは将棋や囲碁が思い浮かぶ。街の道場もあるし、老人の憩いの場として青空将棋なども機能している。

雀荘も全国いろんな場所にある。


ただ、こういった対戦競技はネット対戦に置き換えられているしもう今やお爺ちゃんですらスマホで対戦している時代だ。

まして自分たちの世代がそうなっている頃にはアナログ文化とはは絶滅危惧種になっているかもしれない。

雀荘も現代では存在して経営が成り立っていても、果たして数十年後流行ってるかどうか。自分のように古き良きアナログ文化に味わいがあると思っている人間はこれか少なくなり、スマホで済むことが当たり前の世代が中心になっていく。


あと、そもそも自分は将棋も囲碁も麻雀もやらない笑


現状もう一つ爺さんコンテンツといえばゴルフやゲートボールだが、若者のゴルフ離れもあるし40年後どれだけ流行っていることやら。

田舎の運動場で休日シニア野球をしているグループを見かけたことがあるが、フットサルや草サッカーがそうなっていくのだろうか。南米ではおっちゃんが子供も交えながらやっているのでそういう光景には憧れるしチェスと同じく海外でも通じるのは利点だ。

ただ体力がないとキツいし、ランナーになる気もさらさら無い。

一緒にジョギングやハイキングをする小さな旅に出ているような老夫婦も理想の未来だけど多分自分には無理だ笑


最初に思ったのは爺さんコンテンツの代表格である、将棋や囲碁、麻雀のようなボードゲームがポケモンや遊戯王のようなゲームに代替されていくのではないかということ。


遊戯王がそこまで長くは続かなくともTCGという大きなくくりでは生き残るのではないか。そもそも超少子高齢化で若者自体がいないだろうから、今の若者コンテンツがそのまま爺さんコンテンツになっているのではないか。

今の2,30代はいい大人というかジジィにまっても平成コンテンツを続けていそうではある。


ただ対戦コンテンツというのも疲れるし、こういうのも結局オンラインに代替されていきそうではある。オンラインコンテンツは無数にあるし今以上に充実することはわかりきっている。問題はアナログだ。

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そこでもう一つ自分の趣味として老後も通じそうなのが本題のプラモデルというわけだ。


自分はプラモデルが今の盆栽のような立ち位置になっていくのではないかと考えている。

盆栽仲間同士の交流であったり、品評会の参加、手入れというのはプラモの大会や製作非常に似ている。それが日々のモチベーションや生きがいにもなるだろう。

また盆栽の教養のように、プラモならば様々なジャンルがある。自分の場合はミリタリーとロボット系列を好むのでそこからの話で盛り上がることもできる。


レトロな玩具集めなどは、今の骨董品集めのようになりそうで、既に鑑定団などでホビーは定番だ。特撮系は一度ちゃんと見てオークションやリサイクルショップ巡りなどで集めたいという夢もある。

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今の場合ネットで作品も見せられるし、VR時代が来ようとも実物の価値は衰えないのでアナログの大会は開催され続けるだろう。

それに3Dプリンターの発展で今まで以上に幅の広い表現が可能になるのではないかとも予想される。今までならフルスクラッチは非常にハードルが高かったし、絶版品の入手は困難だった。

キット化されていないマイナーな物やオリジナルの物も作りやすくなる。

その一方で、プラモは未開封なら劣化に強くなおかつ技量で修復可能なので、数十年前のキットでも実力で完成させる楽しみがある。


自分たちの老後にスナック文化が残っているかはわからないけども、ローカルな品評会の常連と飲みに行ってロボットアニメのアニソンばかり歌うのも面白い。

ちょうど今の爺さん婆さんがスナックで演歌を歌っているように笑


プラモは何気に体力勝負でない所も良い。

いもちろん、近くが見えにくくなったり長時間の作業が辛くなったりはするが技術はむしろ進歩する。

スポーツで若者にシニアは勝てなくても、こういうアナログの制作はむしろ職人技なので年齢を重ねる程有利だ。今でも高齢のモデラーがかなりハイクオリティなものを作る。


浮世絵画家が80歳を超えてやっと真髄がわかったと言うように、絵にも同じことが言えるが制作は無限大だ。

映画ならパヤオなんてまだ作ろうとしてるし富野由悠季も元気だ。ああいうジジィになりたいね。


頭の回転や体力というのはある年齢を超えれば下り坂でしかない。もちろん経験もあるが、一生を費やす趣味として伸びしろがないのは虚しい。

まあ高齢者のマラソンタイムは誰と競うでもなく自分との戦いではあるが、やはり見た目は中高年のランナーでしかない。

まあ年齢の割に元気ですねと。

しかしプラモの世界は爺さんやおっさんが一番カッコいいものを作れる世界だということに夢がある。


技術というのは本当に衰えない。

自分がガンプラのマスターグレードを初めて作った中高生の頃は刃物でよく怪我をしていた。そこから成人する頃になってようやく怪我をしなくなったのだが、今度はそこから数年プラモから離れるブランク時期があった。


そして一年ほど前に積みプラを一斉に作り始めるのだが、空白があったにも関わらず手は全部憶えていた。それどころか酔いながら、極小のパーツを処理しても怪我をしない自分に驚いた。

酔ってる今の自分が、集中力の高い高校の頃の自分より繊細に作業できるというのは人が技術を習得する神秘である。

やっぱ自分たちの先祖は石器作り始めた人類なんだと笑

自分からすれば楽器は本当に不器用で何も扱えないが、幼少期からやってる人は泥酔しながら余裕で弾けるはずだ。


ピアノに憧れはあるけど3年練習しても早くない歌謡曲を引けるかどうかというのを聞いて、結局人間は昔得意だった物をやり続けた方がいい事に気づく。

ダーツなどもダーツバーに通い詰めたり仲間内で楽しんだりしているような陽キャにとっては、衰えにくい技術と言えるかもしれない。


今は住んでる場所が狭いので再びプラモデルからは遠ざかっているが10年後に再開しても基礎部分は残っている。時間や予算、設備の都合で掲載したのはパチ組だけれど、もっと学びたいという意欲はある。


そして最後に思うのが、手先を使う作業というのはAIに淘汰されないジャンルだということだ。

チェスがスーパーコンピューターに負けたのは90年代のことだし、アルファ碁がついに囲碁までをも攻略した。


しかし読解力と手先の作業というのはしばらくはまだ人間に猶予がある。

ゲームのように絶対に勝敗がつくジャンルでもないし、最後に人間の拠り所になるのはこういう人間味のある世界なのかなと。

ゲームだって過度のEスポーツ化が疑問視され始めているしAIに勝てなくなればレートをかけてオンラインでガツガツ戦うよりも、身内でワイワイとアナログで対戦することの価値が残るのではないか。

今の世代が老人になる時代、どんな娯楽を楽しんでいるかは分からないが、テクノロジーの進化と相反するかのようにアナログなことを楽しんでいるかもしれない。

面白いとおもたら銭投げてけや