こまどりの死を、機に -Prologue-
「あのぅ、すみません。もしかして……」
ほら、きた。
今日何度目だろう。五度目? 六度目?
なんですか? わたしは笑顔で応じる。
握手を求めるのであれば喜んで。
一緒に写真に写ってあげてもいい。
なに?
なんですか、と、再び問うて返す。
少し離れたところにいる三人組の女性も、こちらをチラチラと窺っている。
「もしかして……あのぅ、そうですよね? あの人ですよね?」
え。
あの人?
あの人ってなに。
わたしの名前を憶えていないのだろうか。知らないのだろうか。
危うく苛立ちが顔にでそうになってしまったけど口角をあげて、思いっ切りもちあげて、声をかけてくれた相手へと丁寧に応じる。
なんて大人な対応だろう。
右手を差しだされたので、両手を差しだし、包み込むように相手の手を握りしめる。
どう?
温かい手でしょう?
さっきまで上着のポケットの中で懐炉を握りしめていたから、誰よりも温かい。
目の前で笑顔が弾けた。
白い歯どころか歯茎まで露わになった。
名前を憶えられてはいなかったけれども嬉しい。
ありがとう。その反応が見れてわたしも嬉しい。
喜びで弾んだ声。
わたしへ向けられる羨望に満ちた眼差し。
なにもかもすべて、こまどりのおかげだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?