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ベルギービールとお湯コーヒー

昨年、秋から冬に変わる頃

高めのコーヒーを購入したらお湯が抽出された。

飲んでみたらほうじ茶みたいだった。

店員さんに言いたかったけどクレームになるのも嫌で言えず、一緒に話している相手に相槌を打ちながらお湯でしか無いコーヒーのことを考えていた。

たまに飲みたくなって手を伸ばすと、やっぱりお湯で。

ある程度コーヒーも好きで良く飲んでるからわかるのだ。そういう味のコーヒーとかではなく、単純に何かを失敗したんだなと。


言えば良かった。


目の前の人はお説教じみた知識の披露。という言い方はあまりにも酷だけれど、何か一つ言うと、それに対して10倍にも100倍にも自分の話をされる。そんな印象。

あぁ早く帰りたい、と思いながら過ごしていた。

ベルギービールが好き、とのことでバルへ一緒に行くことになる。

まぁこの場所から抜け出すことができるならなんでもいいや、と思い了承。ビールも気になるし。

2軒目に行って話を聞けば聞くほど理解する。

「あぁ、この人は私が考えてること、感じる感情がわからないんだな。そしてその人から一切の感情を読み取れない。」と。

そんな日を過ごして家へ帰る。

こんなに痛感したことはない。私がいかに人の感情に左右されて生きているのか…というと聞こえは悪いが。要するに人の感情に敏感なのだ。相手が何を考えているのか察することがとても得意であり、その時何を言えばいいのか分かるのだ、なんとなく。

ひと言で表すならば「理性×感性」。

初めての体験だったが、嫌いではなかった。

その人が変わらず元気だといいな、と思う。

  

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