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書評:『Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって 』(原雅明 著)

原雅明という人は非常に特殊な音楽評論家だ、というと本人は嫌がるかもしれないが、僕にとって原さんは特殊で、特別で、いつも唯一無二の原稿を書く人だった。

ポストロックや音響派、アンダーグラウンドなヒップホップやIDM、エレクトロニカ、そして、ある種のオルタナティブなジャズなどについて、彼が書く原稿はいつもとびきり個性的だった。でも、それは奇をてらっているわけでも、誇大な物語をぶち上げるのでもなく、むしろ慎ましさと丁寧さがあり、ある種の不器用さみたいものさえ感じるときさえある。そして、そこにはすでにどこかで、誰かによってに書かれていることは書かないストイックさみたいなものもあった。一言でいうと、「かっこいい」テキストだった。

原さんが書く原稿は、「何が流行っているかの紹介」や、「今、そこにある情報」でも、「トレンドに至った文脈を整理するプロモーション」的な原稿でもない。その音楽が持つ可能性みたいなものについて、考えを巡らせた経緯が記されている「思考のドキュメント」ようなものだと僕は思っている。それはその音楽が持っているがまだ気づかれていない可能性だったり、その音楽が生まれたことがこれから何かに繋がっていく予感みたいなものに、原さんが気付き、それを論理的に文章化していく作業のプロセスが記されているもの、と言ってもいいのかもしれない。

それは、「自分が知っていることやわかっていること」について書くのではなく、「自分が知っていなかったり、わかっていない」ことについて書くということだ。

おそらく、原さんは書きながら、自分でも少しづつ見えてきて、少しづつわかってきているということなのだろう。だから、そのテキストには徐々にわかってきたワクワク感のようなものやまだわからないモヤモヤしたものが様々な温度で刻まれている。原さんの文章は僕ら読者に答えのようなものを見せるのではなく、読者はその思考の中に放り込まれて共に思考している用でもあるとも言えるし、「ここから一緒に考えよう」と僕らの背中を押すような文章になっているとも思う。

僕は『Jazz The New Chapter』や『Miles Reimagined』などの自分が監修した本の中にそんな原さんが音楽から聴き取った可能性の種みたいなものを植え付けたくて、というよりも、僕自身がそれを読みたくて、いつも原稿を頼んでいた。

新著『Jazz Thing』を読んでみて、原さんは一つの原稿の中と同じように、長年、音楽について書くという作業を続ける中でも、思考を巡らせ続けていて、未知の可能性みたいなものを探し続けているんだなと思った。過去の原稿で記した可能性という名の問いのようなものへの回答が、後々、別の原稿で提示されていたりすることの繰り返しで、様々な点と点がいろんな場所で繋がっている。

自ら進んで書いた原稿ではなく、雑誌やムック、ライナーノーツなどのために依頼された原稿ばかりが載っているにも関わらず、総てが何かで繋がっているのだ。『Jazz Thing』と『音楽から解き放たれるために』を並べて読んでみると、原さんがオーネット・コールマンやマイルス・デイヴィスやソウルクエリアンズについての論考のように、同じテーマについて長年、考え続けていることが見えてくるし、同時に「サウンド」というキーワードについて、生演奏だろうが、プログラミングだろうが、古かろうが新しかろうが、様々な方向から考え続けていることも見えてくる。その中で、今、出す本にプリンスやスティーブ・コールマンが浮かび上がってきたりするのは、これまで考え続けてきたことと時代性とが噛み合った結果の自然な帰結であり、自然体であるがゆえに今、生きている時代の雰囲気とは必ずシンクロしてしまう原さんの面白さだと改めて思った。

原さんはインタビューで聞いてきた話だけではなく、ringsレーベルを運営したり、LAのラジオプログラムdublab.jpの日本版を運営したりしてきた話もその思考のための素材になっている。そうやって、音楽に関わっていく中で出会ってきたことすべてが何らかの形で批評の中に活かされているし、むしろそうやって音楽に関わっていくあらゆる行為が(本人が望むかどうかにかかわらず)批評の一部にならざるを得ないとも言える。それらは、すべてが「成り行き」で目的から逆算した道筋もなければ、計画性もないっぽい。だから、コスパとも省エネとも無縁だろう。本人にその気はないかもしれないが、生活していくことそのものが批評になってしまうタイプの人なのかもしれない、とも思う。

終始、音楽批評然としているが、どこか時評っぽさもあり、同時に全てがその時の原雅明の経過報告みたいな部分もある。そして、総てが本質的だ。ジャズをお題に書いてきたテキストをまとめて読んでみると、「ジャズ」への思考は次第に「音楽」への思考に変わっていく。そんなジャズについて考えているうちに、音楽そのものへの問いに変わっていく過程の中で立ち上ってくるもののことを原さんは「ジャズという何か」と呼んでいるのかもしれない。

※併せて読みたい ↓ 原雅明 インタビュー(取材/文 柳樂光隆) 


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