社会はだんだん良くなっている、と思う

まだ心の整理がついていないのだけど、昨日発覚したばかりなのだけど、二歳の息子が手術をすることに。

適応が困難な現実と向き合っていくなかで、今この瞬間は、ポジティブな側面をメモしておきたい気持ちになれていて、なので、ここにメモ。

いつ気が変わるものか、わからないけど。でもまぁ、眠いのに寝られない夜だし。

(そもそも)今の状況

重めの風邪なのか、高熱が下がらない息子を病院に連れて行き、入院だけでなく手術が必要になりましたよ、という話。ちなみに病名は、親にダメージを与えるには十分なパワーを持っていたし、術後もしばらく入院が必要になりそう。

ちなみに息子は、100メートルの道があるとしたら、そのうち80メートルは走っているような子です。

そんななか、泣かされた医師のコメント

バタバタと入院やその後の予想スケジュールなどを相談するなか、まだ状況を飲み込めない私たち夫婦に医師が言ってくれた一言がこれ。

『強調しておきたいのは、これは運であるということです。つまり、妊娠中のあの行動が悪かったのかな?日ごろの食生活が…?といった類のものではないということ。ただ、たまたま、なにかの偶然で彼の身に発生したものであるということ。』※意訳

その後私たち夫婦は、何度となく他人の前で涙することになるわけですが、一番最初に涙腺を崩壊させたのが、この医師の言葉。

もともと息子は帝王切開で出産していて、帝王切開はそういうことを言われがちの出産だということも知っていて。(自分が当事者になるまで知らなかったこと。いざ自分が当事者になると、他人には都市伝説だよ、と笑い飛ばせたことも気になることを知りました)

社会は確実に進化していってる

前回の記事で登場した同僚と、以前こんな話を話したことがある。

私たちが基本的には男女平等っぽい形で社会人人生をスタートできているのは、先輩たちが一生懸命しがみついてくれたおかげ。だとしたら私たちは、息子世代(どちらも男児の親)の女性のためにも、違和感と戦ったり、向き合ったり、とにかく付き合っていかねばならないよね、と。

医師のコメントを聞いて涙した翌日、冷静に振り返りながら、同僚とのそんな会話を思い出したのでした。

医療が進化しているのは間違いないだろうけど、それは技術的なものだけではなく、心のケアや、患者やその家族との向き合い方の部分でも、日々アップデートされているのだろうな、と。

だからがんばる

痛みを得て初めて、ほんとうにわかる世界がある。

私と前出の同僚の分かり合える理由の一つは、同じ痛みを共有し合っていること。

仕事の成果が、さまざまな人を通すことで見えなくなるとか、家庭と仕事とか、女であることとか。(要は、筆舌に尽くしがたいたくさんの想いを持つということ)

これは、↑こういった現象を体験しないと、なかなか自分事として課題感を感じるのは難しい領域だと思われる。

同じように、今回のことがなければ、見えなかった世界がたくさんある。

いや、正確には(少なくとも私は)見えていた。だけど、悲しい思いをしたくないとか、そういった理由から、見えないふり・考えないふりをしていたのかもしれない。逃げていた。

今回のことで、当事者として関わる新たな世界が、私の人生に追加された。望んだものでも、歓迎するものでももちろんないけど、こうなった今避けて通れるものではないのも事実。

向き合い、感じたこと、得た学びを言語化しながら、いつかどこかで、まだ見ぬどなたかのお役に立てたら、と今は思っているけれど、この気持ちがいつまで続くかどうか。

努力していきたいです。

いただいたサポートは勉強代や仲間へのドリンク代に使わせていただきます。