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宮沢賢治と花巻の夜

日本文学を専攻していた大学生の頃、宮沢賢治の生誕100年という節目を迎えた。私の学部ではこれに合わせ、賢治にちなんだ講義がいくつか組まれた。学問の世界にも流行ってあるのだなあ、今年はさながら「賢治祭り」だなと妙なところに感心しながら、私も賢治関連の講義をとった。

学年末には「グスコーブドリの伝記」という作品を題材に小論文を書いた。飢饉で両親を亡くした主人公が、成長して火山を調査する技師となり、最後はみずからを犠牲にして噴火を止め、村を救う、という物語だ。

この作品には、草稿、または下書きのようなかたちで「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」という作品が残されている。飢饉により両親を失うという設定や、兄妹が生き別れるといった点は一緒なのだが、こちらは主人公がばけものという設定でファンタジー色が強く荒唐無稽であり、結末もまったく違う(そもそもこちらは途中で原稿が終わっている)。主人公はばけもの世界裁判長となって傲慢なふるまいをする。私の小論文では、2つの作品と賢治の人生はどう関連するのか?結局賢治は自己犠牲を良きものとしているのか?といった考察をしたように記憶している。

宮沢賢治の作品は、幻想的で、哲学的で、難しい。そんな風に思うのは、「グスコーブドリの伝記」、そして「銀河鉄道の夜」の印象が強いからだろうか。

今回このnoteを書くにあたり、「銀河鉄道の夜」を久々に読み返してみた。思いのほかするりと読めて驚いた。色彩に関する描写が非常に美しい。この描写すごいな、と何度も思った。そしてそれを頭の中に思い描けるようになったのは、以前読んだときと比べ、多くのものを見聞きし、人生の経験値が増えたからだろうか。だとすれば年をとるのも悪くない。

さて時を戻して賢治生誕100年の頃。生まれ故郷、岩手県花巻を訪ねることにした。このnoteを一緒につくっているMihokoとの2人旅だ。

まだまだ寒さの厳しい3月初旬。新幹線の新花巻駅に降り立ち、宮沢賢治記念館に向かった。
生誕100年を機に観光客を呼び込もうという思惑があったのだろう、新花巻駅前には、記念館を紹介する新しい看板がいくつか建てられていた。

利用した路線バスはかなり古く、床が板張りで、当時ですら「うわー古い」と思った。
訪れたのは平日だったためか、記念館はかなり空いていた…という記憶しか、残念ながら残っていない。ただ、記念館に向かう道も、記念館のまわりも、なんだか広々としていて、緑が多く、初めての岩手県に好印象を抱いた。

チケット のコピー

その夜。
花巻駅前のビジネスホテルに宿をとった私たちは、「夕食難民」となっていた。開いているお店が本当に見つからないのだ。せっかくの2人旅、おいしいものを食べて楽しく過ごそう、と期待していたのに…。

暗い夜道でようやく営業中の居酒屋を見つけたが、それは古びた、たいそう小さな店構え。私たちは少しためらったが、ほかにお店も見つからないので、正直仕方なく、恐る恐る引き戸を引いた。

中にはカウンター数席のみ。メニューはなんとたった2種類。カウンターの中には料理を作っている中年男性。常連客が1人。そして…。驚くべきことに、緑色のジャージを来た坊主頭の中学生が店を手伝っていたのだ。恐らく、男性の息子さんなのだろう。中学生といってもまだまだあどけなさの残る、かわいらしい男の子だ。学校指定とおぼしきジャージの上下。


とりあえず私たちは瓶ビールと、選びようのないメニューを選んだ。いまでも覚えている。「ホッケの開き」と「骨付きソーセージ」。


中学生の運んできてくれたビールで乾杯した。
そして料理がまたまたびっくり。「こんなにおいしいホッケとソーセージは生まれて初めて食べた」というくらいおいしかった。期待してなかったからおいしく感じた、という以上に本当においしかったのだ。


夢なのか現実なのかよくわからない夜だった。真っ暗闇の中にぽつんとある居酒屋。なかにはかわいらしい坊主頭の中学生。地味だけど美味しい料理。店を出て振り返ったらすべて消えてるんじゃないか?宮沢賢治の世界を見てきた後だけに、そんな気分になった。

いまでも宮沢賢治といえば、実は物語よりも花巻のあの不思議な夜を思い出す。強烈な印象を残す、ものすごい穴場?と偶然出会えるのが旅の面白さだとしみじみ思う。

(text:Noriko Photo:Noriko,Mihoko ※写真は一部イメージ)©elia


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