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ふるさと・東京・新幹線

「まもなく××、××です。乗り換えのご案内を致します」。


車内アナウンスが我がふるさとの駅名を告げると、私は到着が待ちきれず、荷物を抱えて席を立つ。駅に着くまでの間、新幹線の乗降口の窓にかじりつくようにして景色を眺める。

何度も自分で運転した幹線道路。スーパーやドラッグストアの見慣れた看板。遠くに見える低い山々。

ああまた帰ってきた。ホームに降り立つと、体中の毛穴がゆるんでいくような気がする。肩の力がどっと抜けていく。そんなはずはないと思うが、山からの新鮮な風がホームを吹き渡る気がする。嬉しい。


私のふるさとは、山陽新幹線の停まる駅の近く(仮にA市とする)だ。

高校3年生になる直前の春休み、東京にある志望校を見学するため、実に7年ぶりに上京した。ウォークマンでキョンキョンだとか米米CLUBだとか聴きながらの新幹線一人旅。

ふいに左手に白くて大きくてそれはそれは美しい山が現れた。
もしや富士山?と思ったが本当にそうなのか。小学生の頃に新幹線で上京はしたが、車窓の記憶はない。隣に座っていた年配の男性に思い切って声をかけた。「あれって富士山ですか?」
すると男性はにっこり笑って「はい、富士山です」と答えてくれた。
そうか、これが富士山か。見えなくなるまで富士山を見送った。

大学受験本番で上京したときも、新幹線から富士山が見えた。冬の澄んだ青空にくっきりと白い稜線。堂々としてなんて美しいのだろうと思った。東京に到着して電話で父に「そういえば行きに富士山見えたよ」と伝えたら、「俺も大学受験のときに富士山が見えて合格したからお前も合格するよ」とのこと。

そんなジンクス知らないよと思ったが、偶然にも(?)合格したので、あの日見た富士山の美しさはいまだに覚えている。そしていまでも富士山が見えると何か良いことが起こるかもしれない、と思ってしまう。線路のすぐ近くにそびえるように思える富士山なのだが、天候によってまったく見えないことも多いのだ。


東京の大学を卒業してふるさとで就職して、東京に転職したり結婚したりで、東京・A市間の引っ越しを繰り返している。かつて占い師さんに「あなたはふるさととどこか遠くの街を行ったり来たりする人生になる」と言われたことがある。当時、「ではニューヨークとA市かもしれない」などと根拠もなく思ったが、どうやら東京とA市の行ったり来たり、であるようだ。(ニューヨークには行ったことすらない。)

そのため、東京とA市間の新幹線には、もう数えきれないくらい、何度も何度も乗車した。


思い出に残っている新幹線の旅は、就職活動をしていた大学4年生の夏だ。
東京での就職を希望していたのだが、なかなか決まらない。思い切ってA市にも選択肢を広げてみた。7月だけで5往復はした。


内定が出たとの声が、友人から次々と聞こえてくる中、焦りと疲れで新幹線ではぐったりと座席に沈み込んでいた。東京に戻ったら明日はまた朝から〇〇社の筆記試験だ……全身から悲壮感が漂っていたかもしれない。


この間、乗車すると必ずと言っていいほど、隣の人から声をかけられた。後にも先にも、あんなに声をかけられたことはない。声をかけたくなる要素がどこにあったのだろうか。リクルートスーツ?

ちょっと会話して眠って目を覚ますと、折り畳みのテーブルにアイスクリームがちょこん、と置いてあったこともある。なんだろうと思ったら、隣のサラリーマン風の若い男性に「アイス食べて頑張ってね」と言われた。ありがたく頂戴した。


コロナ禍の前は出張が多く、A市への出張もあった。現地で落ち合う予定のクライアントに「東京からA市だと飛行機と新幹線どちらが便利ですか?」と尋ねられ、迷わず新幹線と答えたのだが、現地で「乗車時間長すぎる!次からは飛行機にする」と苦笑された。


我が家からだと羽田空港まで乗り換えが面倒臭いので、新幹線一択できたのだが、そうか、長いか、と改めて気づいた。
私にとって東京からA市まで新幹線、というのは、読書して、考えごとして、ちょっと寝て、また読書したら到着する「ちょうど良い」長さだ。


この時間があるから、東京とふるさとを「別の空間」としてとらえ、東京に戻る際は「よし頑張ろう」と気合いを入れなおすことができるのだ。


一人だったり、子ども連れだったり、両親と一緒だったり。
この先、新幹線でいったい何往復するのだろうか。たとえ何度行き来しても、車窓から富士山が見えたときの幸せ、ふるさとに到着したときの幸せは薄れることはないだろう。

(text,photo;Noriko) ©elia


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