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中津川、栗と本の旅

 夏から秋へ、季節が変わろうとする九月のある日。久しぶりに、知らない土地へ旅に出た。行き先は、岐阜県、中津川。
 楽しかった短い旅を振り返ります。

名前も知らなかった町

 中津川、という町の名前を去年まで私は知らなかった。九州で生まれ育った私には、岐阜は縁遠い場所だ。でもたまたま手にした旅の雑誌に記事があり、中津川にほど近い馬籠宿という場所が島崎藤村の故郷だとある。藤村が岐阜の出身だということも知らなかった。中学か高校の頃の国語の教科書に載っていた詩を思い出した。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

『初恋』島崎藤村

 中津川を訪れたのは、昨年受講していたオンライン講座で知り合ったKさんが住んでいるから。同じ講座を受講していたMさんFさんと一緒に訪ねて行こうと計画した。1週間前に大型の台風が通過して行き、この日程だったら行けなかったかも、と思っていたら、再びの台風接近。これはきっと旅の間中、ずっと雨だと覚悟したが、二日目からは夏に戻ったような晴天。レインコートや上着よりも、家に置いてきた帽子や日傘の方が必要だった。

 九州からJRで向かう。博多から新幹線に乗り込み、ああ、このまま行こうと思えば東京まで行けるんだなあと思うと、不思議な気持ちになる。学生時代、飛行機よりもJRの方が安いと思い込み、新幹線で東京と行き来した頃を思い出す。行こうと思えば遠くまで行ける。その事実が心を浮き立たせる。

 名古屋駅で東からやって来た旅の仲間Mさんと、無事にホームで落ち合った。よかった、と思ったのも束の間、事故の影響で乗っていた列車が途中の駅までしか行かないという事態に。さてどうしよう、行けるところまで行ってタクシーで移動し、また列車に乗り換えるか、などと思案しているうちに、無事、列車の運行が再開し、予定から1時間ほど遅れて中津川に到着した。

 Kさんと奥さんのAさん二人でいろいろ考え案内してくれたおかげで、中津川の素敵なところをたくさん見ることができた。総勢5人の旅の仲間だ。

 遅くなってしまったランチは、Kさん夫婦がテイクアウトしてきてくれた地元の人気店のスパゲティ。トマトの甘いミートソースとは違って、お肉の味がしっかりする。

 雨が降り出す前に、歴史を感じる街を歩いた。味のある店の看板や、落ち着いた街並みに溶け込むようなおしゃれな店が現れる。旬の栗を使った栗きんとんが名物だという和菓子店も覗く。

中津川の日本酒を飲み比べ

 Kさんの案内で地元の酒屋さんで中津川さんの日本酒を飲み比べした。純米酒と大吟醸、どれも美味しいかったのだけれど、純米酒が柔らかくて好みの味で、お土産に買い求めた。

 風情ある街並みに旅の気分が高まり、ワクワクしてくる。夜も素敵なお店に案内してもらった。あまりお腹が空いていなくて、たくさん入らないのが無念なほど、料理はなんでも美味しかった。

木曽路は山の中

 「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。」とは、島崎藤村の小説『夜明け前』の冒頭の一文だ。詩人のイメージが強かったけれど、藤村は小説もたくさん書いていたのだった。しかし、私は彼の小説を読んだことがなかった。大学で日本文学を学んだというのに。せっかくだからと思って電子書籍をダウンロードしておいたけれど、結局読まないまま旅に出てしまった。

 車で宿場町の馬籠宿(まごめじゅく)に向かう。馬籠(まごめ)、なんて読めなかった。そういえば、電車で向かう途中も、読み方がわからない地名が続いて、知らない土地に来た、と感じた。馬籠宿は長野との県境にあり、江戸と京都を結ぶ中山道43番目の宿場町だという。

 頭の中に日本地図を思い浮かべる。子どもの頃は日本地図のパズルを組み立てるのも得意だったのに、今ではあやふやになっている。岐阜と長野が隣り合っているということもピンときていなかった。

 途中、Kさん夫婦が予約してくれていたお弁当を受け取って、山道を行く。山々と中津川の町が見渡せる場所で、お弁当を広げた。晴れ渡った空は青く、日差しが強い。私はいろいろなアングルで写真を撮ろうと、一人スマホと格闘する。一眼レフを持って来ようと思っていたのに忘れてきてしまったのが残念だ。野菜たっぷりのお弁当と素晴らしい眺めを堪能した。

藤村記念館

 食後は、宿場町の風情の残る石畳の坂道を歩く。行きたい場所として私がリクエストしていた「藤村記念館」にも立ち寄った。飾られている藤村の端正な写真に、そうだ、この写真も印象に残っていたんだ、と思い出す。展示室の一つでは、『椰子の実』の歌が流れている。この歌は藤村の詩だったんだ。なぜか子どもの頃、父が歌ってくれた記憶がある。でも『初恋』の詩にまで曲がつき、歌になっていたのは知らなかった。

 大きな水車の前で、お約束みたいな写真も撮った。山の中だし寒いかもと思っていたのに夏に戻ったような晴天で、汗を拭きながら坂道を行き来した。

山あいの店で本と出会う

 私たちが親しく話すようになったのは、本がきっかけだった。私も本が好きな方だと思っていたのだが、比べようのないほどの読書量の人たちで、読んでいる本のジャンルが幅広い。

 圧倒的な読書量と幅広いジャンルを網羅するKさんからは、おすすめの本を選んでもらったり、感銘を受けたという本を贈ってもらったりした。KさんとFさんが取り組む「一人のために本を選ぶ」活動でも、大切な一冊を選んでもらった。Mさんの読書の記録を綴るnoteは、さまざまな本を知るきっかけになっている。みんなのおかげで、本との出会いが広がった。

 Kさんお気に入りの本屋さんにも案内してもらった。山々の緑が迫り来るような道を行き、川にかかる赤い橋を眺めながら車を降りる。細い道を上りきると一軒の古民家が見えてくる。木々が生い茂り、緑が濃い。蚊取り線香の匂い、縁側に座って本を読む人。田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家を訪ねた時のような懐かしさを覚える。

 ピンときた本があったら買って帰ろうと思って、本棚の中をぐるぐる回る。これにしようかと思っていた小川洋子さんの本がなくなっている。誰かが買ったらしい、と思ったらFさんだったのがおかしかった。でもそのおかげで、私は一周めには気づかなかった村上春樹さんの本『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』を発見した。文庫本は持っているけれど、単行本だし旅の記念にもなる。文庫本にはない、イラストを担当した安西水丸さんとの対談も付いていた。私の好きな村上さんの造語「小確幸」についても書かれている。古本だったのでお手頃な価格で手に入れた。

 帰りは、Kさんお気に入りのコーヒー店に立ち寄ってひと休み。「中津川、めちゃくちゃいいところじゃないですか」と何度も繰り返す。本好きなKさんらしく、前日の夕食に行ったお店も、この店も、店内に本棚があり、本が並んでいた。

チコリと中津川土産

入り口にはチコリのオブジェ

 最終日は朝から、気になっていた「ちこり村」に連れて行ってもらう。チコリという野菜を生産していて、中津川の特産品だという。ここの食堂でモーニングを食べられるので、朝から賑わっていた。施設内にパン屋さんがあり、パン食にすると好きなパンを選べる。サラダバーには採れたてのチコリが並んでいる。チコリに注目して食べることなんて、今までなかった。チコリの根を使ったコーヒーはやわらかな味で飲みやすい。

サラダの手前にあるのがチコリ

 併設された物産コーナーを覗くと、「からすみ」と書かれた見たことのないものがある。ボラの卵を加工した珍味とは違う。Aさんに尋ねると、餅菓子みたいなものらしい。一つ買って帰ったら、「ういろう」みたいな味と食感だった。

中津川土産。左端がくるみ入りの「からすみ」

 Kさん自慢の愛犬に挨拶してから、駅前の店に向かった。ここでもAさんに教えてもらって、中津川の特産品をいろいろ買い込む。中津川の和菓子店の栗きんとんをバラ売りしてあるのが面白い。いろんな店のものを買って帰ったけれど、結局どれも美味しかった。檜の箸もいいお土産になった。

五平餅

 昼食に、Aさんが五平餅を買って来てくれた。つぶしたお米にタレを塗って焼いたもので、香ばしい。中部地方の山間部発祥の郷土料理だという。確かに地元の九州では見かけたことがない。こういうその土地独特のものを食べると、食文化の違いみたいなものも感じられて面白い。東北に行った時に、九州と魚の種類が違うと感じたことを思い出した。

栗と本と中津川

念願のモンブラン

 中津川でしたいこと、の筆頭に挙げていたのが、名物の栗を食べること。その希望に応えて、Kさん夫婦が「モンブラン」に「栗きんとん」を用意してくれていた。ご家族からの差し入れで栗を使ったお餅もあり、栗三昧だ。

 名物の栗きんとん目当ての人たちが押し寄せる「栗きんとん渋滞」も目撃した。中津川の町内に和菓子店が何軒もあり、それぞれに栗きんとんはもちろん、栗を使ったさまざまなお菓子を作っているのに驚いた。
 私の地元も栗の産地だが、栗きんとんを売っている店はほとんどない。見かけるのは、栗がごろっと入った団子や饅頭だ。これが地域の違いなのだろうかと思う。

栗きんとん
栗がたっぷりかかったお餅

 絶対食べたい、と思っていたモンブランは、Kさん夫婦が地元の有名店で買ってきてくれていた。クリームではなく、そぼろ状の栗がほろほろかかっている初めてのタイプ。ひたすら美味しい。
 栗きんとんは、栗そのもののの味を楽しめる上品な甘さ。今まであまり食べる機会もなかったから、「栗きんとんって美味しいんだなあ」としみじみ思った。

時間を忘れる図書室

 この旅のもう一つのテーマは「本」。Kさんが自宅に設けている「図書室」を見ることを楽しみにしていた。
 階段の周りに並ぶ文庫本が図書室への入口。階段を上りきると畳敷きの部屋に木の本棚が並んでいる。小説、エッセイ、ビジネス書、雑誌、漫画、絵本、さまざまなジャンルの本が揃う。読んだことのない本、知らない作家の本がいっぱいだ。みんなが「この本好き」「これ面白い」と言って教えてくれる。それぞれ思い思いの場所に座り込み、本を読み耽る。そんな時間も楽しかった。図書室から見たベランダ越しの赤い夕焼けも心に残っている。

 来た時は雨で灰色だった車窓の風景が、帰りは青空の下で明るい。新幹線でKさん夫婦からもらったちこり茶を飲みながら、持ってきた本をめくる。一冊はMさんに教えてもらった朝井リョウさんの『正欲』を電子書籍で。もう一冊は八月に東京で買ってきた『本を書く』(アニー・ディラード著)。家に帰り着くまでに読み終えることができたけれど、どちらも簡単に感想をまとめられないような内容だった。
 島崎藤村の『夜明け前』の電子書籍も開いてみたのだが、久しぶりの「ザ文学」という文章に音をあげてしまい、最初の数ページで挫折してしまった。最近になって、少しずつ読み進めている。

 長い移動時間も、本を読んでいたら意外とあっという間。Kさん夫婦からもらったクッキーに添えられたやさしいメッセージを眺めながら、楽しい時間を思い返した。また本を手に、旅に出たい。次はどんな風景に、どんな本に、出会えるだろう。

栗のお菓子
栗の形のお皿に栗きんとん

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▼KさんとFさんが選んでくれた本について触れた記事はこちら。

▼Kさんの図書室について、Mさんの素敵な紹介記事はこちら。

(Text&Photos:Shoko)©️elia


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