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ふしぎなメテオラ

 桜の花びらが風に舞い、葉桜になったと思ったら、藤やつつじの花が開きはじめ、道端や空き地にも赤や青の小さな草花が揺れる。「萌え出づる春になりにけるかも」という感じだ。ピンクの花びらが幾重にも重なった椿の花も残っていて、花盛りだと見とれて歩いていたら、久しぶりに転んでしまった。

 次々に花が咲く春。イースターの時期にギリシャを訪れた時のことを思い出す。ガイドブックを見ていつか行きたいと思っていたメテオラにも足を伸ばした。天を衝く奇岩群とその上に立つ修道院。世界遺産に登録されているギリシア正教の聖地として知られる場所だ。

花咲く春のギリシャ

 ギリシア神話では、春は大地の女神の娘ペルセポネーとともに訪れる。冥界を治めるハデスに見初められ、彼の妻となったペルセポネーは、一年の三分の一を夫の元で暮らす。その間、世界は冬となり、全てが枯れ果てる。ペルセポネーが母の元に戻ると、天上にも地上にも春が訪れ、植物は甦り、花を咲かせる。

 春のギリシャを旅した時に、草木が芽吹き、一斉に花が咲き乱れる様を目にし、春の女神が地上に戻ってくる神話に表したのだなあと実感できた。

 現代のギリシャで多くの人が信仰しているのはギリシア正教。イースターは「パスハ」と呼ばれる。イースターの時期は毎年変わるが、東方教会、西方教会によっても異なる。ギリシア正教は東方教会だ。この年は4月の初めだった。

 私と母は「パスハ」を体験したくて、ギリシャに住む日本女性Mさんのもとを訪ねた。パスハの後、Mさんのご家族がホテルや列車を手配してくれて、私と母はメテオラへ向かった。アテネから列車で約4時間半。車窓の風景を眺めながら、のんびり旅をする。途中から田園風景が広がり、木製の電柱がぽつん、ぽつんと立っているのが見える。母が田舎にあった電柱を思い出すと懐かしがった。

 列車の前方まで行き、風景を眺める。同じように外を見ていたギリシャ人男性から、自分は日本の大使館に知り合いがいるんだ、などと話しかけられる。もう少し詳しく話を聞いてみればよかったと後から思った。

 メテオラのある中部ギリシャの地図を眺めて、ある山の名前に目が留まった。「オリンポス山」2917m、と書いてある。目指すメテオラの東に位置している。

 ギリシア神話の主な神々は「オリンポス12神」と呼ばれる。主神ゼウス、冥界を治めるハデス、海の神ポセイドン、ゼウスの妻ヘラ、知恵の女神アテナ、太陽の神アポロン、月の女神アルテミス、美と愛の女神アフロディーテ、神々の使者ヘルメス、かまどの神ヘスティア、鍛冶の神へファイストス、戦いの神アレス、豊穣と酒の神ディオニソス。
 ギリシア神話が好きな私にとって、オリンポス山はまさに聖地。いつかその姿を眺めてみたいと思いながら地図を見た。

 列車がメテオラ観光の拠点となるカランバカの町へ近づくと、窓の向こうに岩山の姿が見えてくる。

カランバカの駅

 駅から外へ出ると、街並みの向こうにニョキッと聳える奇岩群。車が走り家々が並ぶ街の向こうに忽然と立つ岩山。まさに「奇景」「絶景」。不思議な眺めに驚きながら、その日泊まるホテルを目指した。

夕暮れの街歩き

 ホテルにはプールがあり、まだ水が入っていないけれど、その向こうにメテオラの奇岩群が見えた。街中のカフェでひと休みする。まだ少し肌寒かったが、私は大好きなギリシャのアイスコーヒー「フラッペ」を頼む。インスタントコーヒーをシェイクして泡立てて作る。ギリシャで人気のインスタントコーヒーの飲み方だ。

 街をぶらぶら歩き、まだ小さかった姪や甥のために子供服や帽子を買い求めた。海外の子ども服は色がきれいでかわいくて、母と楽しく選んだ。次第に日が暮れ、街が夕闇に包まれていく。

 夕食はホテルの近くのタベルナ(食堂)へ。それまではアテネからエーゲ海の島へ向かうことが多かったので、つい魚料理を頼んでしまった。母が肉料理も食べたいというので、肉の煮込みのようなものも注文した。そして、この肉料理がとても美味しかった。
 白身魚のムニエルみたいな料理は塩気が強く、たぶん塩ダラを使ったもの。これはこれで美味しかったが、内陸部の町だから、新鮮な魚がとれるわけではない。後にギリシャについての本を見ると、ギリシャ料理は肉料理が豊富だという記述もあった。そうか、私が島にばかり行っていたから、魚介が美味しいという印象が強かったんだと気づいた。

 店の前で小学生くらいの子どもたちが遊んでいる。かわいらしい男の子と女の子だ。母が子どもたちと一緒に写真を撮った。

 忘れられないのが、ここで出合ったデザート。何だかよく分からないまま、母と二人で「おいしいね」と言い合いながら食べた。後でガイドブックや料理の本を見て、「ハルヴァ」と呼ばれるお菓子だったのではないかと思っているのだが、その後同じものに出合えていないので、確信が持てない。
 ハルヴァは、セモリナ粉を炒めて砂糖やスパイス、ナッツなどを加えて固めたものとある。なんとなく落雁に似ている気がする。ぜひもう一度食べてみたい。

タクシーで修道院巡り

 翌日は、メテオラ観光へ。旅行の前にテレビ番組で、メテオラの特集を見た。 20〜400mに及ぶ奇岩群が続き、岩山の頂上にはギリシア正教の修道院が立つ。20世紀の初めごろまでは階段もなく、移動手段は網袋や縄梯子だったそうだ。テレビで当時の映像が流れていたが、網袋に入った修道士が岩山の上に引っ張り上げられている。高所恐怖症の私にはとても無理だ。

今も荷物を運ぶのに使われているらしい網袋

 9世紀頃からこの地で修行生活を送るものが現れ、14世紀には修道院の建築が始まり、最盛期には多くの修道院や修道共同体があったそうだ。現在は六つの修道院に修道士や修道女が暮らしている。岩肌には所々に洞窟が見える。かつて隠遁者たちがここで暮らしたという。「メテオラ」とは、「中空に浮かぶ」「宙吊りの」という意味だ。

 村上春樹さんがアトスというギリシア正教の聖地を訪ねた時のことを、『雨天炎天』という本に書いている。アトスには女性は入ることができないので、メテオラの修道院を見て想像した。

アギオス・ステファノス修道院

 母と私はタクシーを貸し切り、修道院へ案内してもらった。母は膝が痛いので、長い階段は無理だと言う。そこで階段を上らずに行ける「アギオス・ステファノス(聖ステファノス)修道院」へ。ここは尼僧院だ。
 教会を見学する時には、女性はスカートを身につける。信仰の場なので内部の撮影はできない。祈りを捧げる人たちがいる中、礼拝堂のイコンや展示物を静かに見学する。

 再びタクシーに乗って、メテオラ最大の修道院「メガロ・メテオロン修道院」へ。高さ613mの岩山の上にあり、長い階段が続く。下から眺めるだけのつもりだったが、母が歩いてみると言うので、二人で挑戦した。この階段を登り切った母に驚いた。

メガロ・メテオロン修道院

 静かな祈りの場と眼下に広がる素晴らしい眺めを目にし、タクシーでカランバカへ戻った。タクシーの運転手さんは物静かな男性で、親切に案内してくれて、私たちは安心して観光できた。街へ戻り、タベルナで昼食をとった。

静かな町を後にして

 春先で本格的な観光シーズン前だからか、信仰の場だったからか、この旅のことを思い出すと、しんと静かな気配を思い出す。夕闇が降りる街の向こうに、にょっきり聳える奇妙な岩山。広場では子どもたちが遊んでいた。

 以前見たテレビ番組だか本だかで、間近に富士山が見えるというのはなかなか大変だ、というようなことを言っていた。なんだか圧倒されるらしい。毎日眺めていたら、目を奪われるような絶景も、奇妙に思える風景も、日常のものになるのだろうけれど、街の向こうに見える岩山は、なんともふしぎな眺めだった。

 どこにもない風景。そこに行かなければ見られないもの。写真や映像で目にしていても、実際その場に立ってこの目で見たものは違う。忘れられない旅の一つだ。

(Text & Photos:Shoko) ©︎elia

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 映画『007』シリーズの『ユア・アイズ・オンリー(FOR YOUR EYES ONLY)』にメテオラ が登場すると知ったので見てみました。あの奇岩群や修道院がジェームズ・ボンドのアクションの舞台になっています。この映画、昔見た記憶があるのですが、当時はメテオラのことを知らなかったのでよく分からずに見ていたようです。

■参考・参照
「石(いは)そそく垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」
「石そそく」は「石(いは)ばしる」とも。
『万葉集』巻八 1418 志貴皇子(しきのみこ)

『地球の歩き方ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス』ダイヤモンドビッグ社
『ギリシア神話』高津春繁・高津久美子 訳 偕成社文庫
『世界の歴史と文化ギリシア』西村太良監修 新潮社
『ヨーロッパ・カルチャーガイド8 ギリシア』ECG編集室編集 トラベルジャーナル
『雨天炎天』村上春樹 新潮文庫

▼春のギリシャとパスハについての記事

▼Norikoの桜の記事

  


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