【そもそもスピリチュアルってなんじゃい!という視点】に寄り道してみる。
「事実をテーブルにぜーんぶ出す。」のが大事じゃん。
と言うことを前回の文章で綴ってみたのだけれど。
ちょっと寄り道して「スピリチュアルってなんなのさ」と言うことについて少し。
「理解言語」って、
本当に人によって違うと思うし
だから辞書があるんじゃないですかと言う声も聞こえるけど
このご時世、ネットに頼りっぱなしで辞書を引くこともしないし
辞書だけではカバーできない部分でもあるし。
と、ぶつぶつ。
で、インターネット。
情報リテラシーにもほんとーに自信のない私なのでここはなんとも閉口してしまいます。
とかなんとか言っても何も始まらないので
ひとまず
スピリチュアルって何?ということに対して
そういえば私は、その意味を調べることはなかったんじゃないか。
ということに気がついた。
私が感覚として認知している「スピリチュアル」とは
「目に見えない精霊たち」
「目に見えない存在のちから」
「目に見えないものたちとのエネルギーの交流」
「超現象」などだと思う。
それから、「魂」「本質」「根源」そのもののこと。
今書いたこれらは、何かを調べたりしたわけではないので
私が生まれて生きて知った言葉や、
スピリチュアルを教える色々な方々から吸収し
また、私が経験したことの中で知ったことだと思う。
で、次にネット辞書で調べてみた。
で、じゃあ「丸山、みえるんですか?」と言われると、
「いいえ、視えないです(視界として認知できない)」。笑
ただ、「感じます」。
その感じる。ということに対しては
私の身体感覚なので、
どう説明したらいいのかわからないけれど。
そういえば、
この感覚って
サラリーマンをやっていた時は
ひらいていなかったな。(もしくは意識してなかった)
「根源」の体験といえば。
子どもの頃
ほけ〜っと川原や海で泳いでいた時。
ほんとうに稀にあった
ほんの束の間の、全くなんの心配事もないようなひととき
そういうほんの時間の隙間に
ふと現れる
全身を世界に委ねられるようなここちよくて
地球と一体になったような
そんな感覚。
または、「スピリチュアル体験」。
死んだばーちゃんがある一定の期間(彼女の家を片付け終わるまでの期間)
私の身体に乗り移ったとみられ、なぜか彼女が好きだったものを貪り食べる。と言う現象が起きた。そう言う、理解できない、私の理解を超えた「アンビーリバボー」な出来事が起きた時
「目に見えないこと」と認識して、スピリチュアルな世界に畏怖を覚えるのかもしれない。
ただ、「冷静に考えると」。
これも私の願望で私の心の隙間に「この話をしたらみんな喜ぶんじゃないか」という気持ちが乗っかり、また、ただ私の身体がタンパク質と脂肪分を無性に欲していた時期で
ケンタッキーが食べたい。マグロのたたきが食べたい。そう思っただけかもしれない。
(これらはばーちゃんの好物でした)
貪り食べるというくだりに関しては、私の日々の欲求が満たされなかったり、生存の危機を感じることで起こるストレスによる過食。とも言える。
なんというか超常現象。これらの大半は、エンターテイメントなのかもしれない。
理解できない、思い至らない、自分がその時点で思考できる限界(そこも工夫もせずに勝手に限界を決めている)を設定してしまって、そのさきは自分の「願望・希望」で、解釈し語られるんだと思う。
私は、基本的に心理学的に言うと家庭内では「ピエロ」役として演じてそれが成功したと思い込む「ビリーフ」を握りしめているため、
「こう話すと、大体の大人は面白がったり、自分を可愛がったりしてくれる」
という無意識の中の戦略的な行動にもつながっているはずなのである。
そんな流れで、
こないだ在る森のシャーマンひとみちゃんがアップしてた文章をシェアしてみる。
そこにあるのは
私が思っている、思ってきた「スピリチュアル」とは
そして辞書にも記されている「スピリチュアル」とは全く程遠い解釈だった!!
スピリチュアルってなんじゃい。ってことについて知りたい、と思ってたら
結構迷宮入りするような内容になってきたので今日はこれまで。
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