いつからか、ひとを愛する、ということがすっかりできなくなっていた。
それはたぶん、幼少期の頃にその気持ち、在り方を置き忘れてきた。
自分の軸を他者に託さないと
自分の軸を持つことは危険だと勘違いしていたので
(それを全否定されたと勘違いした何かがあったのだろう)
他者との関わりは、私にとって憎しみでしかなくなっていた、と気がついたのは最近だし(なんならさっきのこと)
とにかく怖くて怖くてただそれだけで生きていたのだなあ、と感じている。
在る森にアサインされてから1年が経つけれど
やっとこさっとこ呼吸を深く 仲間と一緒にいれることが
ほんとうに心地よくて
みんなと一緒にいる私の顔を写真やオンライン会議のモニター越しでみると
幼少のころの本当にたのしい笑顔をするようになったなあ、と、ひとごとのようにみている。
ひとは、安心。ここちよい。と、身体のちからがしっかり抜けていないと
ひとを愛するということはきっとできない。
そして自分という存在をも、
自分がみとめていない(=全否定されていると勘違いしている)
のだから、他者を愛したと思っていても、それは勘違いであることが多分にある、もしくは自我のかくれた欲求がからみついて、純粋に相手を愛しているという気持ちではない可能性が高いなあ、っておもっている。
愛するって
相手をしっか〜りみて、相手を知ること。
相手がうれしい。相手がたのしい。笑っていることが
私の幸せであること。
相手のために自分が生きること。
ほんのすこーし、だけだけど、瞬間的にその感覚は身体に戻ってきている気がする。
そのひとのことを想うだけで
身体のまんなかが、あったかくなるような
火が灯るような
泣けてくるような
そのひとの笑顔がずーっとつづきますように。と祈るだけで幸せになる。
そんな感触。