見出し画像

#1-1 仮想空間

「ボールは丸い」
投稿ボタンを押す直前に、金丸は言った。中岡は、その言葉の意味を理解し、柔らかい笑顔で金丸の目を見て声を発した。
「だからこそ、おもしろい」
 金丸も笑顔で頷き、静かにボタンを押した。


 「仮想空間にサッカーチームを作る」


 わずか17文字の言葉がSNS上を駆け巡るのに、大して時間はかからなかった。中岡は改めて金丸の影響力の大きさに驚いた。

「さすがは元日本代表だな。拡散のスピードが違う」
「スター選手だったらもっと注目されたはずだよ」金丸は自嘲気味に笑った。
 「いぶし銀のボランチだったからな。神出鬼没なイメージ通りの行動だ」
 「褒め言葉と取っていいのかな」 

中岡が金丸と5年ぶりに再会したのは、半年前のことだった。西新宿のニュースマートホテルのロビーに着いた時の光景を今でも覚えている。入口を抜けるやいなや、中岡の胸元ほどの高さのロボットが近づいてきて、「ようこそニュースマートホテルへ」と、女性の声で話し始めた。ネットの情報には触れてはいたが、初めての体験に少し狼狽し、案内されるがままに[喫茶店利用]と書かれたタッチパネルを押した。

 周囲を見わたしてみる。受付もなければ、コンシェルジュの姿もない。予めホテルのアプリに登録し、クレジットカードと連結して、すべての支払いが自動的に行われるようになっている。アプリ登録はマイナンバーと紐づけられており、犯罪対策もバッチリだ。巡回している警備員の姿は見かけたが、特に大きな問題が起こる様子もなさそうだ。

「便利な時代になったな」時代に取り残されぬよう、必死になってトレンドを追いかけていた頃を思い出しながら、今の自分自身との対比に辟易した。「便利な時代になった」とか「最近の若者は」といったフレーズは、中年への第1歩なのだと誰かが言っていたからだ。人はみな自分がいつまでも若いままだと錯覚しているのだ。アプリの操作にだけでも慣れておくか、と中岡がスマホに目をやった時に、ちょうど金丸から連絡が入った。
「もう着いてる?ロビー横の喫茶店にいるよ」


「着いていたなら教えてくれよ。相変わらずだな」中岡は片手を振り上げながら言った。
 「ごめん、ごめん。スマホ見ながらオロオロしてる姿がおもしろくて」と言いながら、目尻のあたりに笑い皴ができる金丸の表情は、5年前とちっとも変っていなかった。
 「そんなにオロオロしてた?」
 「動画見せてやろうか?」
 「動画撮ってたのかよ、この野郎!」
 互いに笑いあう。中岡はこの時間が大好きだ。金丸はいつも安心感を与えてくれる。誰もが敬う存在なのに、一切偉そうにしない。そんな金丸と笑いあう瞬間は、中岡にとって掛け替えのないものなのだ。

 「元気にしてたか?あの時以来だよな。香川県のクラブチームは順調みたいだな」椅子に腰かけながら中岡が訊いた。
 「ああ、おかげさまでな。この4年でジュニアユースが初めて全国大会に出場したよ。でも実力的にはまだまだだけどな」金丸は少し遠慮がちにこたえた。
「すごいじゃないか。全国大会出場だぜ。指導者としても順調だな」中岡が少し前のめりになると、金丸は唇を真一文字に結んだまま視線を落とした。
 「どうしたんだ?」
 金丸の意外な反応に、中岡は疑問をぶつけずにはいられなかった。
 「そのことについて今日は話したかったんだ。こんなところまで呼び出して悪かったな。注文はコーヒーでいいか?」
 「あっ、ああ」
 先ほどまでの明るい空気の中に、張りが生まれた。慣れた手つきでタブレットを操作し、コーヒーを注文し終えた金丸が、「今日はご馳走するよ」と言ってくれたが、中岡は少し間をあけて「あっ、ああ」と繰り返すのが精いっぱいだった。


 金丸健二の引退宣言と大学院への進学表明は、同日に記者会見で行われた。長年日本代表を支えてきた名手の突然の引退に、誰もが感嘆の声をあげた。しかし、元日本代表選手としては異例の、大学院進学という進路選択に、引退についてのことよりも多くの質問がとんだ。
 「大学院では何を専攻されるんですか?」
 「将来は教授を目指すんですか?」
 「サッカー界に貢献しないんですか?」
 矢継ぎ早にくる質問をうまくかわしながら、金丸は自らの語りで真意を話し始めた。


 「皆さんが疑問に思われるのも仕方ありません。今までにこのような選択をした選手はいなかったでしょうから。ただ一つ言えることは、私は日本サッカーの発展のために大学院に通い、研究を通じて得た結果を還元しようと考えているということです」淡々と述べる金丸には構わず、記者からは質問が続く。

 「そのままコーチになる方が日本サッカー界に貢献するようにも思いますが。いかがでしょうか」たっぷりと皮肉を込めて、薄っすら笑みを浮かべながら質問を投げかける記者に、金丸はひとつ大きなため息をついた。
 「確かにそうかもしれません。幸運なことに、若い頃から世代別代表やA代表に私を選んでいただいた経緯があります。JPリーグでは150試合出場も果たし、2年間だけでしたが、リーガ・エスパニョーラでプレーをするなど、素晴らしい経験をさせていただきました。これらの経験を踏まえ、引退後にそのままコーチをすることはごく自然なことだと思いますし、実際にそうしたオファーも幾つかいただきました。ただ・・・」金丸は少し迷った表情を見せながらも、言葉を絞りだすように続けた。

 「このままでは私は日本サッカーの発展に多大な影響を与えられるような貢献ができないと考えた次第です。良くも悪くも、私にはサッカー選手としての経験があります。ですが、その経験は、所謂トップレベルと呼ばれる人たちのものとは大きな開きがあります。世界レベルで見ると尚のことです。このままコーチングの世界に進めば、自分の経験の範囲の中に選手たちを埋没させることになると考えています。私は、他の指導者の方々のように、現場の中で考え方をアップデートしたり、経験を言語化できるほど器用ではありません。才能ある人どうしが同じ感覚で共鳴しあうような、そんな能力も持ち合わせてはいません。つまりは、学問に身を委ね、自分自身の経験を整理することを選択せねば、これまでにない発想や見識で選手たちを育成できないと感じています」
 引退会見は、1時間にも及んだ。サッカー選手としては異例の長さだった。金丸は最後に、「大学院では生態心理学を専攻します。2年後には研究論文を学会で発表します。それを携えて、サッカー界に戻ってくることを約束します」と笑顔で言い切り、会場を後にした。

# 1-2 生態心理学  https://note.com/eleven_g_2020/n/ne67fb3d043ea

【著者プロフィール】

画像1

映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

面白かったらサポート頂けると嬉しいです!次回作の励みになります!