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【ラジオ深夜便】山崎ナオコーラさんゲスト回全文

NHK「ラジオ深夜便」10月29日(火)放送回に、作家・山崎ナオコーラさんが出演した。

私はナオコーラさんが大好きだ。本も全部持っている。今、私がこの社会で希望を持って生きていられるのは、ナオコーラさんの『この世は二人組ではできあがらない』のおかげだし、その他の作品も、私の性格や趣味、行動に大きな影響を及ぼしている。

そんなナオコーラさんが「すごくいいインタビューでした」と語っている。これは聞き逃せまい――と思っていたら、本当にすごくいいインタビューだったので、ログミーばりに書き起こしてしまった。せっかくなので、noteに残しておこうと思う。

11月6日(水)18:00までは、こちらの聞き逃しサービスで放送を聞くことができる。聞き逃した方は、ぜひ聞いてみてほしい。

■山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、作家活動をスタート。2017年には父親の看取りをもとに書いた小説『美しい距離』で島清恋愛文学賞を受賞。小説の他、エッセイ集、絵本などを多数出版。

■最新作『

作家デビューから15年、ずっと「書きたい」と思い、自分の中で温めてきたテーマでエッセイ集を出版。社会で生きづらさを感じている人たちが共感し、多くの反響が寄せられている。

■インタビュー

「ブス」をいっぱい使いたい

村上里和アンカー(以下、村上):去年の5月から始めた「ママ☆深夜便」に、山崎ナオコーラさんにはずっとご出演いただいています。最近の生活はいかがですか。

山崎ナオコーラさん(以下、山崎):最近は、2人目の子供がつい先日生まれて。

村上:おめでとうございます。

山崎:ありがとうございます。また1ヵ月なんですよね。家に閉じこもってるような生活です。

村上:今日は、渋谷にあるNHK放送センターの収録スタジオに来ていただきましたが、こういった外でのお仕事はーー。

山崎:今日が初めてです。

村上:光栄です。

山崎:こちらこそありがとうございます。

村上:私はナオコーラさんの本をいつも楽しみにしていて、今回出されたエッセイのタイトルが『ブスの自信の持ち方』。インパクトがあるタイトルですね。

山崎:はい。ブスという言葉を思い切ってつけました。私はブスという言葉をいっぱい使いたいなって思っていて。と言うのは、私はブスと言われた経験がいっぱいあるんですけど、そのことを友達に相談すると、「ブスって自分で言っちゃだめだよ」とすごく言われるんですよね。被害者側が口をつぐまなきゃいけないっていうのがすごく悔しくて。私らしい「ブス」という言葉の使い方をして、「ブス」という言葉を自分のものにしたいって思ったんですよ。容姿差別に関して、みんながもっと議論するようになるためには、言葉狩りを安易にするよりは、フラットに「ブス」「美人」という言葉を使えるようになったほうがいいんじゃないかなと私は思うんですよね。議論が深まっていくんじゃないかなって。

「ブスに恋愛は書けない」

村上:この中でナオコーラさんが宣言されてるんです。「作家としてブス関連の仕事に取り組みたい。文学に求められていることがあるような気がする」と。デビュー直後からこのテーマで書きたいと思っていらっしゃったということで、その具体的なきっかけは何だったんですか?

山崎:私は15年前に作家デビューをしまして、15年前ってまだネットのリテラシーが浸透していなくて、みんながマナーをちょっと守れてないと言うか、知らない人が多かったんだと思うんですね。匿名掲示板などもそうですけど、普通の個人ブログとかでも過激な言葉で誹謗中傷だとか、容姿に関する話だと性的に愚弄する言葉とかを交えて、いろんなことを書かれている状態で。

私はデビューしたときに新聞に写真が載って、それがネット版にも載ったものですから、それをみんな転載していくんですよね。その時にも悪意がないというか、悪いことはしてないってつもりで転載して、それと一緒に「作家なのにブスなんだ」「ブスが作家になるな」「表舞台に出るな」とか。あとは「ブスに恋愛が書けるわけがない」とか。そういう言葉がいっぱい並びまして、差別だと思ったんですよね。仕事に関して規制しようとする感じもあるし、居場所を限定しようとするような言葉なので、いわゆる差別だと思ったんですよ。

そこで傷ついたものですから、仕事仲間や友達に相談したんですけど、そうすると「ブスって言葉を口に出しちゃだめだよー」だとか、「自分でブスって思っちゃダメなんだよ」みたいに、被害者側の気の持ちようを変えることを求められていると私は受け取ったんです。そういう空気がすごくあるなと思っていて、でも差別だし、被害者がいる出来事なんだから、気にしなければ終わる話じゃない。いじめと同じで、いじめられてる側が変革を求められるのはおかしいと思ったんです。だからブスに関してもっと発信したいと思ったんですよね。

最初は小説を書こうと思ったんですけど、ブスっていうことに対して私の思い入れが強すぎるのか、なかなかうまく小説に消化できなくって。15年経ったので、直球でエッセイを書いてみようということで、今回書きました。

6秒間の高揚

村上:このエッセイは最初、インターネット上で1作ずつ公開されて、そのおよそ1年間分がまとまったものですが、書いていた1年というのはどんな気持ちで書き進めていらっしゃったんでしょうか。

山崎:毎回、豪速球を投げているような感じでした。インターネットで連載していたので、文字数の制限がなかったものですから、最初は毎回「原稿用紙5枚程度で書き進めましょう」と言っていたんですけど、勝手に毎回1回分が20万円ぐらいになるような長文を書いちゃって。でもインターネットだから載せてせてくれるだろうと思って。書きたいことがいっぱいあって、毎回収まりきらなくて。だから、すごい乗りに乗って書いてる感じでした。

文章を書いてると時々「いい文章を書けた」と思う瞬間があってーー6秒ぐらいしか続かないんですけど(笑)。でも、ふつふつと湧き出る喜びみたいなものが、机の前で生じる時があって、それは楽しかったです。

ブスも美人も「根っこは一緒」

村上:これを読んだ方々からは、どんな反応が届いていますか。

山崎:ブスという言葉に反応される方はすごく多くて、自分のエピソードを持ってらっしゃる方がすごく多いなと思ったんですよ。会う方、会う方に、「私はブスに関してこういうことを考えたことがある」「こういう経験をしたことがある」だとか。私から見ると「綺麗な方なのに、なんで!」って思うんですけど。多数の方がブスって言われたり、あとは他の人がブスって言われてるのを見かけたり、「あれ?」と思う経験をいっぱいなさっているんだなというのを感じました。

村上:いろんな方たちの経験を聞いて、「根っこは一緒だな」みたいなことは感じられたんでしょうか。

山崎:そうですね。でも逆に、美人で悩んでる人もいるんですよね。美人だから性格はこうだろうとラベリングされたりだとか、美人だから仕事を評価されてるだとか、そういう差別を受けてる人もいて、その根っこはまったく一緒だなと思ったんです。容姿差別の根は深いなと感じました。

作家だから開けられる扉

村上:これを、作家の仕事として取り組む、文学に求められているというのは、どんなことがあってそう思われたのですか。

山崎:そうですね。今、ブスって言葉が昔に比べて言いやすくなってきてる理由のひとつに、お笑い芸人の方がいっぱい仕事をして、ブスって言葉をフラットにしてきたおかげで、言えるようになったということはあると思うんですけど、ただ、お笑いの方だけに任せたくないという思いがあって。笑いに変えようという意識だと、社会のシステムに迎合する方向に行きがちだと思うんですよね。「ブスと言われることに対するストレスをこういうふうに乗り越えよう」だとか、「こういうふうに場を和ませて何とかスルーしよう」という方向に行きがちだし、あるいは求められているブスキャラを演じる方向にも行きがちだと思うんですよ。イケメンに「キャー」と言うブスだとか、自分がブスだと自覚していないブスだとか、美人にあえてキャットファイトを仕掛けるブスだとかーー求められているブスを演じるというのが、どうしてもお笑いの方の仕事になりがちで。そこを、迎合する方向ではなく、社会を変えるんだという方向で仕事をするのは、たぶん文学のほうがやりやすいんじゃないかなと思ったんですよ。もともと文学は、体制を疑うところがある分野なので。そこに文学の仕事があると思ったんです。

村上:作家じゃないと開けない扉があると感じられたんですね。

山崎:そうですね。私みたいに、笑いに持っていくのは得意じゃない人もブスにはいると思うんですよ。ブスというと、どうしても三枚目キャラというか、笑いに持っていくのが得意なキャラクターが求められるんですけど、真面目なブスというか、笑いに持っていけない人もいっぱいいる。そこをもっとすくいとったほうがいいし、「もっと怒ってもいいんだぞ」「泣いてもいいし、気にしてもいいんだぞ」というのを、もっと書きたいなと思いました。

村上:容姿によって生きづらさを感じているのは、その人本人の問題じゃないっていうのが強くおっしゃってますよね。

山崎:私は、見た目の問題を抱えてらっしゃる方が本を出してるのを書店で見かけて、「容貌障害(※)」という言葉に出会った時にハッとしたんです。

(※容貌障害・・・顔かたちに関する形態異常。病気や事故の後遺症として容貌に異変が生じ、そのために差別される場合がある。)

容貌障害をかかえる方は、結婚や仕事をする時に障害を感じる、社会から差別を受けることがあって、それをすくいとっていく本が何冊か出ていたんですね。そこで、「ブスの本だとブスが変われと言われるけれど、容貌障害だと社会の問題だな」と思ったんですよ。障害という言葉は、身体的なもの・精神的なものでもそうだと思うんですけど、全部社会側に問題がありますよね。障害者や問題を抱えている方が変わらなきゃいけないということではなくて。社会が変わることで、障害者差別はなくなっていくわけで。

村上:例えば、車椅子の方が行きたい所に、階段しかないから行けないということは、その人自身の問題じゃない、社会のなかに障害がある。そういうイメージですよね。

山崎:そうですね。段差をなくせば障害がなくなるので、変化するべきは社会なんですよね。容貌障害の場合も、職業差別・結婚差別などをなくして変化するのは社会のほうで。でも、ブスに関してはブスが変われという風潮がまだまだ根強くて。ブスは(容貌障害などに比べ)軽いものだからかもしれないんですけど、でも私は、ブスも社会側が変わるべきだと考えていいんじゃないかなと思ってます。

言葉って、言葉自体が悪いということはほぼなくて、大抵は文脈のほうに何かがあるんですよね。例えば「俺はブスという言葉単体を言わないようにしよう、書かないようにしよう」というよりは、「どんなことに(ブスという言葉を)使ってもいいけれど、文脈を大事にしよう」と思うことで、おもしろい文章や議論がどんどん出てきて、社会は変わっていくような気がします。

『ブスの自信の持ち方』というタイトルにはしちゃったんですけど、自信を持たなくてもよくて、みんな好きなふうに生きたらいいんだと思うんですよ。ブスだって思ってもいいし、ブスじゃないと思ってもいいし、自信がないと思ったまま生きてもいいし、どういうふうに生きてもいいんだっていうのは思うんですよね。

15年の作家生活で一番の転機

村上:ナオコーラさんは作家デビューされて今年15周年。これまで自分の中で一番自分の転機なった、一番成長したと思う作品はどれですか。

山崎:私は『ブスの自信の持ち方』が転機になったと思っています。15年ずっと、毎日のようにブスについて考えてきたんですよ。ブスについて書きたい、言いたいと、ずっと思っていたので、この本が書けるぞとなったときに振り切った感じがあったんですね。反応も結構良かったので、「ああ、なんか自分の仕事が出来た」って感じがしました。私は小説家なんですけど、エッセイを褒めてもらえることが多いんです。作家はエッセイをいっぱい書くと筆が荒れるって話も聞いたことがあるから、どうなんだろうと思ってたんですけど、私はやっぱりエッセイも頑張りたい、エッセイをすごく磨いていきたいと思うようになりました。

村上:エッセイについて自信を持てた1冊。

山崎:そうですね。私が作家デビューして、誹謗中傷を受けたという小さな話から始めた本だったんですけど、そのことよりもみんなが自分の話をするっていうのはすごく面白く思えて、「これが仕事なんだな」って思いました。自分が自分自身の小さな話をしたことが、他の人にとっても何かのきっかけになって、社会が変わってく。それが「仕事した感」がありました。

病床の父の言葉

村上:これから書きたいテーマや、こんなスタイルで書いていきたいというものはありますか。

山崎:今子供が小さくて、家に閉じこもりがちになってきたんですね。2人子供がいると出かけるのも難しかったり。私、車の免許も持ってないし、それにお金ももっと節約していかなきゃっていう意識もあるから、どんどんどんどん行動範囲が狭まってきたなと思ったんですね。友達の作家は英語をどんどん習得したり、いろんなすごい人と関わったり、世界中を飛び回ったりしてるから、羨ましいなって最近よく思っていたんですけど、でも発想の転換をして、私は小さい世界を極めてやろうと思うようになって。海外に行くだとか、大きい場所を目指すとかじゃなくって、家の中の小さいところをすごくつついてみるとか、身近な人と深く関わってみるとか。自転車にも乗らない小さい世界の中で書けること探してみて、どんどんどんどん小さい世界を目指すってことやりたいので。私、社会派作家を目指してるんですけど、社会派というと大きい経済・政治を扱いがちだと思うんですが、小さい世界を書きたいなって思っています。

村上:でもその「小さい世界」というのは、きっと小さくないんでしょうね。

山崎:そう思うんですよね。経済でも、消費も経済活動だから、200円のコーヒーを飲むか、500円のコーヒーを飲むかを1時間もやったら、それも立派に小説に書けるような気がするんですよね。

村上:15年を振り返ってみて、どうですか。

山崎:長かったかもしれないです。でもすごくありがたいと思います。15年続けて来れたっていうのが。賞をもらえないって思っていましたけど、15年も仕事をもらえたり、本を出してくれたりという状況が続いてきたことが、恵まれてるんだなって思います。私は、文学賞の候補に挙げられることが何度もあったんですけど、たいてい落選して、1回も受賞したことがなくて。劣等感があり、「作家としてやっていけないんじゃないか」みたいな思いがずっとあったんですけど、それで5年前くらいにスランプみたいな……書けないというか、書こうとしてパソコンに向かうと涙がたらたら出てきて、1行書くのもすごく大変に感じる時期があって。その頃に父が癌で入院することになって、お金がすごくかかるから、私が払うよって言ったんです。「お金を払えるくらい仕事はやっているけど、賞とかは全然もらっていないし、評価はされてないけどね」っていう話を病床の父にして。そしたら、「コツコツやるだけでいいんだ。賞とかはいらない」っていうふうに言ったんですね。その後、父は亡くなってしまったんですけど、その時に吹っ切れた気持ちになって。「コツコツやるだけでいいんだな」とすごく思うようになって。ことあるごとに「コツコツ」って言葉が頭に浮かぶようになったんですね。それまでは芸術家みたいに、降ってくるインスピレーションで大きな仕事を成し遂げないといけないと思ってたんですね。でも今は、毎日続けることだとか、コツコツやっていくことがすごく重要に思えていて、コツコツ書き続けることが一番自分を支えてくれるように思います。だから、大きな仕事をバーン!と成し遂げなくても、日本文学の末端の仕事でもいいから、コツコツ何かをやって、大きな文学の仕事の一助になれたらいいなっていう思いでいます。

村上:ありがとうございました。