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読書するためには「渇望」が必要だ

こんにちは!いけかよです。
学生さんにとってはもうすぐ夏休み、なタイミングですね。夏休みといえば、宿題に読書感想文があったり、大手出版社の文庫本シリーズでこの夏に読もう的なコレクションを推していたりするキャンペーンがあったりと、本に触れる機会も多いかもしれません。

いけかよは、子どもの頃から大の本好きでした。両親に本を読む習慣はなかったのですが、母の友人が書店員で、彼女の「検閲」済みの良書が物心ついたときから与えられていたことが影響していると思います。
外食するときにも旅行するときにも本を持っていくほどの本好きだったのですが、じゃあ今はどうかというと、実は「本を読めなくなっている」自分がいます。

読みたい本はあるんです。だからめっちゃ本は買うんです。でも、買う前はあんなに興味があったのに、買っちゃうとなんだか積ん読になっちゃって、インテリアになっちゃって、結果的には買ったことすら忘れて、ときどき行う断捨離により、Book ●ffへの直行便リストに入っていたり……。

でも、これだけいろんな情報がいろんなところから流れ込んでくる今、「本が読めなくなった」っていう人ってけっこう多いんじゃないでしょうか。

読みたいのに、読めない。
「そうそう!わかる!」という方いらっしゃったら、どうぞ読み進めていただけると嬉しいです。

いけかよの読書遍歴

子どもの頃に読んでいたのはもちろん物語モノですよね。アンデルセンとか日本昔話とかも好きでした。児童書の類のものです。学校の図書室でたくさん借りて読んでいました。

中学生くらいになってくると、友人の影響で「ティーンズハート」の界隈に足を踏み入れます。同世代の方は悶絶していただきたいんですけど、折原みとさんとか、大好きでした…!

そこからさらに高校生くらいになると、ちょっとマセてきて、恋愛系のエッセイとかに手を出したのを覚えています。あと、好きだった男の子に「読め!」と言われて村上春樹、村上龍、山田詠美という「これまた」なラインナップに出会ったことも青春の1ページ…。甘酸っぱいな…。
このあたりから、純粋に活字に親しむことが多くなり、マンガの比率が減っていったような記憶も。

しかし、大学生になると、ベタなアホ学生となり、バイトやら飲み会やらにかまけて本を読むことの優先度は下がっていきました。

そして卒業後、社会人になってからは完全に本との付き合いは変わっていきました。
自分の仕事人としてのレベルの低さを痛感し、いわゆるビジネス書や実用書へ傾倒していったんです。
つまり、本は「楽しむためのもの」ではなく「課題解決のためのもの」になったんです。

こんなふうに、本って、年齢に応じて付き合い方が変わっていくものなんじゃないかと思うのです。

本が頭に入ってこない

好みや興味はどんどん変わっていくから、読む本が変わって当たり前ですよね。だからこそ、本との付き合い方は変わる。
しかし、ここ数年のいけかよは、本を読むこと自体がなかなかできなくなってきています。
大学生のとき遊びにかまけていても、それでも今よりは読んでいた気がする、と思うのです。

でも、10代の頃のように物語の世界に没頭するような読み方はできなくなっている。っていうか、物語を選んですらいない。なぜなら本は「問題解決のためのもの」だから。

だから、主要なビジネス本はそれなりにチェックしていて、買ってもいる。Amazonに一歩踏み込んだら、どれもこれも面白そうな本ばっかりだから、ときどき一気にぽちってしまう。しかし、読めない!!読む気が起こらない……。

本を読めばそれが血肉になり、充実し、成長できるはず。感性も好奇心も刺激されていくはず。でも、読めない。読んでも、目が上滑りするというか、内容が頭に入ってこないんですよね。ふと気づくと、仕事のことを考えていたり、明日の予定を考えていたり、今夜のご飯をどうしようって考えていたり…。

そう、わたしたち、やることが多すぎるんですね。
いつも脳ミソフル稼働。やることも多いし、考えなきゃいけないことも多いし、心配も多い。
だから、本を読むってそれなりの余裕や環境って大事なのかもしれないって思うのです。

「渇望」あってこその読書

しかし、きっかけは突然やってくるもので、現在いけかよはほぼ毎日本を読んでいます。40分〜1時間くらいでしょうか。

いくつか理由はあって、ひとつは今自分が「転換期」にいるから。
2022年も折り返し地点を過ぎましたが、今年は世の中的にも混乱していて、全然未来の予測なんかできなくって、それはもちろん個々の人生にも影響を及ぼしていると思います。それはわたしももちろんそうで、こちらのコラムでもつらつらと書いていますが、すこしハードなことが続いた上半期。それらを経て、いま自分が転換期にいると感じています。

すると、知りたいことや学びたいことや真剣に取り組みたいことがたくさん出てきて、かつ、取り組む余白も少し生まれてきて、乾いたスポンジが水を吸う如く、どんどん知識を入れたくなっているのです。

それはつまり、今までの自分では通用しない事態に直面しているから。マジの課題が、自分自身の中にあるとわかったから、本気で変わらなきゃいけないって思っているんです。だから、言うてみれば必死なわけです。

でもこれってある意味の「渇望」です。
「変わりたい」とか「分かりたい」とか「納得したい」とか。
自分の外側ではなくって、自分の内面に起きている「渇望」です。

だから、本が読めない状況って、その余裕や時間がないということもあるけれど、日々のいろんなことにかまけて自分自身の内面に目を向けなくていいという状況も生み出してしまうということ。それはそれである意味幸せとも言えるでしょう。

また、「忙殺される」のはちょっと苦しいけど、忙しい時って充実しているとも言えるから、葛藤や苦しみっていうのは生まれにくいかもしれない。そんなときは、むしろ本なんか読まないで日々の喜びを噛み締めたらいいと思います。

そう考えると、本が読めなくなったなって思っていたいけかよは、日々が充実して満たされていたとも言える。自分自身が変わらなくてもよかった、安定していた、とも言えるんです。スポンジに例えるなら、水がたっぷりの感じでしょうか。

また、これだけさまざまなエンタメが充実している現代において、読書の地位が落ちてしまうのも仕方のないことかもしれない。

でも、そのスポンジの水が乾いてしまうと、ある意味の危機感にも似た「渇望」が生まれます。
変化と成長を促されている時だとも言えるかもしれません。

思い返してみれば、人生の中で定期的にこういう「渇望」ってあった気がしていて、そのときそのときで本を読み漁ること以外にもなにかを学び始めたりとか、お尻に火がついてなにかを集中的にやりこんで結果的に階段を1段上がる、みたいなことを繰り返しているような気がしています。

読書する時間を変える

もうひとつの本を読めるようになった理由は、本を朝に読むようにしたこと。
きっかけとしては「渇望」の方が先なのですが、読みたい!と思う気持ちが優先されると(フリーランスゆえの自由さもありますが)朝起きたらやりたいことはまずは本を読むこと、となる。

そして、いけかよは毎晩晩酌をしていますから、時折朝起きたときに酒がぬけきっておらず、ダルいことがあります。
また、梅雨時期にはお酒じゃなくっても湿気で朝から体が重だるいっていうこともありますよね。

そんなときは半身浴でしっかり汗を出すと少し楽になるんですが、その朝の半身浴中に本読んだらええんちゃうん、と思ったのです。

もともと、半身浴しながら本を読むのって大好きだったんですけど、この半身浴を夜にしようと思うとついついダラダラしちゃって、忙しくって時間がとれなかったりしませんか?

あとは、本も、夜読むと興奮して寝れなくなったり。もしくは、だいたい夜は疲れてるし飲んでるし読む気がないっていうことも多い。

じゃあ、それを朝にいっしょにやってもうたらええやん!!!と思ったわけです。

半身浴でスッキリするし、本読んで脳ミソ興奮してもこれから仕事やからむしろスイッチオンやし!!

ええことづくめや!!

以前、恩人の先輩フリーランスのおじさまが、読書は朝イチにやっているとおっしゃっていたのですが、その理由がわかる気がしました。その方はとても読書家で、多読な方なんですけど、そもそも本を読みたいなら「読書を後回しにしない」って、基本中の基本かも、って思ったのです。

おかげさまで、早起きが苦手ないけかよが、少しだけ早起きできるようになったのです。奇跡……!

「ゴルフボール」案件を大切に

忙しいからという理由で後回しにしがちなものっていっぱいありますよね。

マヨネーズの瓶と2杯のコーヒー」のお話をご存じですか?
限りある人生は、自分の大切なことから優先していこうという啓蒙です。

この話を考えたとき、「忙しいから」という理由で後回しにされるものってけっこういつも「ゴルフボール」だよなって思うんです。記事では、家族や友人や健康や夢中になれるもの、とされていますが、そこに読書って入るんじゃないかなぁって思うんです(もちろん、そもそも読書が好きじゃないっていう人は除きます)。

仕事やいろんなことの「小石」的なものでわたしたちは人生を埋めてしまいがちだけど、でもやっぱりゴルフボールで人生を充実させたい。それは読書だったり、体を動かすことだったり、大好きな人と過ごすことだったり、ずっとやりたいと思っていたなにかとか。

だからこそ、日々のスケジュールはゴルフボール案件から埋めていくべきだと思っています。だからこそ、わかりやすくスケジュールに落とし込むなら、朝イチに一番やりたいことをやる。午前中に自分を充実させる。それが読書でも踊りでもゲームでも、なんでもいい。これって日々をご機嫌に生きていくためにすごく大事なことです。

そして、読書に限って言うならば、いけかよの場合は知的好奇心や自分自身の課題感が「渇望」になったわけですが、この「渇望」がなければ、無理に読書なんてしなくてもいいんじゃないかって思います。読書はゴルフボールかもしれないけど、人によってゴルフボールは違って然るべきですもんね。

あなたの「渇望」はなんですか?
「渇望」は、苦しいけれど同時に充実しているともいえる。それがあるから、私たちは自分を満たすことを本気でやろうとするのだと思うからです。「渇望」は、言い換えれば「気付き」なんです。

そして逆に「渇望」がなかったとしても、それは自分自身が満たされているとも言える。それもそれで、幸せなはずなのです。
どちらも必要で、どちらもがわたしたち「人間」という生き物のもつべきバランス。
いずれの状況も、愛していきたいですよね。

では、また!

エラマ図書館、やってます

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2022年7月より、ウッドフォーラム飛騨にて「エラマ図書館」が正式にオープン!
エラマプロジェクトが厳選した書籍を中心に、フィンランドの香りを感じられる雑貨や家具も展示中。
詳しくはこちら
https://note.com/elamajp/n/nfeaba27e34ba

Text by いけかよ(よむエラマ編集長/エラマプロジェクトCPO)


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