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私たちがelaboを始める理由

真鍋ヨセフ(elabo #youth 編集長)

Why we start "elabo"?

いつから、社会正義を口に出すことがイタいことになり、差別に反対することが意識高いことになったのか? そういう風潮はダサいってなぜ誰も言わない。多分、こうやって正義の話が殺されていったのだろう。斜に構えているとか、素直に褒められないのかとか、そういうなら自分でやってみろとか、知識も経験も足りないと言われたが、知性ですべて乗り切ってみせる。誰かがお金儲けやイノベーションみたいなエセの個人を磨いて、リアルに目を背けている間に、僕たちはそれに目を向ける。そして、いつかこのリアルをその口に差し込んで給餌してやる。そのうえ、僕たちは、この言葉の背後にある勢いと暴力にトキシックな男性性が潜んでいることすらも知っている。内省と謙遜と怒りとで僕たちは震えている。

「思いやり」も「優しさ」もみんな持っているはずなのに、それが何であるかは、使うまで、与えられるまで、誰もわからない。誰かが苦しんでいるのは社会の仕組みから仕方がないというけど、それは自分じゃないから、自分には当てはまらないからと思っているからだろう。そうして自分が同じ目にあったら責任所在を最初から考えなかったせいで匿名の社会のせいだっていう。なんでもないという没個性を刻印された僕たちが考え、語り、選びとる個人を回復するためには、肌が焼けるほどのリアル、希望と絶望がないまぜになったリアルを、甘いタイトルのとびきり苦い話として吸い込ませるしか方法がないのか。

What do we provide?

私たち「elabo(エラボ)」は政治や経済が社会を変えるすべてだとは信じていない。むしろ、そう信じて、構成されてきた組織に毒されてしまった「若者」を救うには、賢さや理性的な言動ではない、感情や感性を大事にした優しさや思いやりといった、今まで蔑ろにされてきたものが必要だと考えている。カルチャーとはそうした蔑ろにされてきた感情や感性を体現してきたものではないのか? elaboが発信するコンテンツは、カルチャーの内側に潜む思想やメッセージがどのように政治や社会問題に関わるのか、その繋がりを強く意識している。

「elabo」はカルチャーを消費してきた「高感度」や「オシャレ」といった切り口に注意しつつも、ムーブメントの発端だけに止まらず、その先も見据えている。願わくは、elabo自体がカルチャーのプラットフォームとなって、社会問題や政治に関して本気で議論できる場所になりたい。絶望して、怒りの矛先も矛さえも見失っている若者が仲間を見出せる場所になりたい。これから社会を否が応でも担わなくてはいけない、私たち「若者」は押しつけられた年功序列や古い価値観の前に立たなければならない。絶望に陥る前に、「elabo」は変革を先駆けるものでありたい。厳しい現実において理想論は無駄だと盲信してしまっている働き者がいる。政治や社会問題に対して思うことがあったとしても自己保身や自己責任論にがんじがらめになり、社会に対してコンシャスなスタンスを採ることを諦めている若者もいる。その気持ちも理解できるからこそ、ともに「社会は変わることができる」ということがわかるまで、勝手な代弁者として、私たち「elabo」は発信し続ける。

→ Webサイトにも遊びにきてください!
https://www.elabo-mag.com/

Photo: Atsuya Morioka


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