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「自己像」設定に誤りはないか?

思い付くがままに文字を打っているので散文note。ほぼ日記。

精神的な絶対臥褥に成功している。

今日は予定がない。昨日は20時台に就寝準備を爆速で済ませて布団で4時間弱ポケモンをやり倒し、飽きて寝て、12時過ぎに目が覚めて今に至る。
いつも7時起きとかなので自律神経的にはマックス良くないだろうが、体がとても軽くて快適だ。(布団にて)
こんな廃人的な生活は忌避して仕方なかったが、それはきっと厳しい母親からの刷り込みだ。
いまめちゃくちゃ気分がいい、それがすべてである。

SNSから離れる、特に「発信することから離れる」のはとてもよい。
私は単に数字を伸ばしたい種族ではないが、伸びると嬉しいのは事実であり、要は数字だけじゃないと思ってるけど気にしてしまう種族である。
たのしくて始めたはずの発信が疲れてしまった。
いま、「承認欲求の呪縛」という本を読んでいてとっても学びがあっておもしろく、それだけで記事を書こうと思っているのだが、なにせ「自分がそうだ」とタイトル買いした。

詳細はその別記事に譲るとして、発信をしていると四六時中人の目に晒されている、品定めされている、試されている、そういう気分になる。
一体どこまで自分が望んで始めて、一体どこから「求められている像」を察知してギアを上げたのか。そのへんが曖昧になる。
とっくに私はそうだった。精神があまりにも終わる、しかも頻繁に。という状況がおかしいとも思ってなかったけど、「自分の像」設定が間違っていたことを知る。

高すぎたのである。自分への要求が。「求められている」と察知する基準が。
なので一度シャットダウンすることにした。SNSで発信する限りこの状態はぶり返す。自分を潰してまでやることではないのである。
そうするとなんと気持ちの穏やかなことか。自分と他人との境界線を引けたような爽快感がある。
人間は社会動物というけど、「人からの高い評価を得る自分」を演じようとばかりしていてはダメになる。
そうなる前に。そうなってしまったことがあったとしても。
一回「自己像」のリセットをしてみるのがいい。
私はこのテーマで一生涯悩むのか?墓場まで持っていくのか?と思っていたが、今は一筋の光が差し込んでいる。

これ以上書いてしまっては全然別記事に譲れないので、ここまでにする。
別記事を書くには本を読みきらないといけないが、ポケモンをしてしまうと思う。
友人にもらったオメガルビーをやっているがゲットできるポケモンが違うので、アルファサファイアも買おうと思っている。
To be continued…

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