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受け入れないとダメですか

20代前半の今時の若者との出会い。

顔が小さく、端正な顔立ちで、冗談を言った後の照れ臭そうな顔がいかにも女子からモテるタイプだった。

ただ一つ周りと違ったのが、彼は車椅子生活だったこと。

「脊髄小脳変性症」

進行性の難病である。

短髪で常にキャップを被っていた。服装は黒のジャージ。シャイで恋愛話は顔を赤くする。お笑いと野球が好きで、デイの若い職員と話すのが楽しそうだった。

そんな彼が険しい表情をするのが決まってリハビリの時間だった。

腰にベルトを巻き付け、平行棒に掴まり20秒自立する。ベルトの取っ手を理学療法士が持ち、支えの役割を担う。それを2セット〜3セット。その他そのまま歩行の練習をしたりマットの上で身体を動かすなど30分程訓練を行う。訓練後の彼はいつも汗だくだった。

地に足を着けて立つこと。歩くこと。思い切り走ること。それが彼の目標。

車椅子に座っている間も度々身体がぐらつく。喋りながら姿勢を直すこともしばしばあった。体幹が保てないことで起きる身体の不具合は、少しずつ全身の至る所へ範囲を広げていった。

進行性というものは何て酷なんだろうか。少しずつ少しずつ病魔が彼の身体を蝕んでいく。彼は煙草が好きだった。煙草を吸いリラックスしている時でさえ身体がぐらつき、よく煙草を落としていた。

出来ていたことが出来なくなって来る。ただいつもの生活をすることが彼にとっては試練の連続になる。


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障害受容とはよく言ったもので、「障害があることを受け入れる」そんなスマートに片付けられるものではないはずなのに、受け入れることが当然のように支援は始まっていく。

彼はどうだったか。

受容が出来ていたか、といえばそうではなく、そうせざるを得ない状況が向こうから近付いてくるのだ。こうしたい、あぁしたい、という思いとは裏腹に身体が言うことを効かなくなっていった。

そして、それに抗うかのようにリハビリに没頭した。

障害を受け入れると自宅をバリアフリーにして、手の届く位置に手すりを付け、電動ベッドにして、ヘルパーを入れて身の周りの補助をしてもらうことになる。マニュアルのようにどんどんサービスが付属されていく。

しかし彼は違った。キャスター付きの座椅子に上半身を預け、壁に手をかけ、勢いを付けた反動で自宅内を移動した。衣類の着脱、入浴などはヘルパーに頼むことは決してなく、シャンプーをしながらあちこちに頭をぶつけながらも、全て自分でやった。とにかく身体中をぶつけたし、時間がかかった。そういうことで、いつも出掛ける時間の5時間前には起きて準備した。

それだけ大変だが、サービスに頼ってしまうと自分でやることが減っていき、あっという間に筋力が落ちてしまう不安が彼にあった。出来ることは少し無理をしてでも自分でやりたい。怪我を承知で汗だくで室内を移動していた。

実際、彼の思いは間違ってはいない。しかし、段々と皮膚感覚がなくなってきており、怪我をしたことにも気付かなくなってきていた。どこまで挑戦するか。どこで折り合いを付けるか。彼を通して思い考えさせられる日々だった。

自分が何者なのか、私達はいつの時点でどのようにして腹をくくって歩んでいくのか。誰がこの私を決めるのか。

私はふと思う。実は「こういう自分でやっていく」と決めている人はそんなにいないんじゃないか。SNSなどで発信していく意義として、存在証明を果たす他に、いくつもの表情を見せて自分としての確立を模索しているんじゃないだろうか。

受容すること、アイデンティティを確立することは実はそこまで重要ではなく、毎日いつまでも自分を模索していくことの連続なのだ。

彼はいずれベッド上で生活することになる。それまでは日々模索し、その都度自分が選んだ道を精一杯やっていく。生きることに真正面にぶつかる彼に刺激され、私も模索していく。


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障害者福祉の仕事を退職後、未経験web の勉強を始める。 ITの力で障害者福祉の労働環境が改善できないかと、自分事業「ITOGUCHI」を立ち上げる。 一人でも多くの従事者が長く続けられる職場作りを目指す。 twitter→https://twitter.com/MuuVvk
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