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色んな業種があるのに何故webだったのか

私が福祉の仕事に就いたのは小さい頃に見た三田佳子さん主演の「外科医・有森冴子」というドラマがきっかけでした。随分前のドラマなので知らない人がほとんどだと思いますが、その頃女医さんが主役のドラマは珍しかったこと、男勝りでズバズバ問題を解決していく三田佳子さんがとにかくカッコ良かった印象が残っています。(残念ですが内容は覚えていません)そこから医療・福祉系に進みたいと思うようになりました。

いよいよ進路をどうしようか、と考える時期になった時、たまに家の近所ですれ違う体の大きな男性のことが思い浮かびました。その男性とすれ違う時、彼はいつも一人なのですが、毎回一人でお話していました。お話、という伝え方だと優しいですね、正直に書きます。

すっごく大きな声で歌ったりひとりごとを叫んでいました。

登場率が高かったのは西城秀樹さんでした。と言っても西城秀樹さんの歌を歌っているのではなく、「西城秀樹」とただただ連呼しているだけでした。当時高校生だった私は通りすぎる度に気になっていました。気になるというのは、彼の世界が知りたいという気になるです。彼の考えていること、見えているものは私と同じものなのか、西城秀樹以外に何が好きなのか?いや、本当に好きなのか、もしかしたら好きとは限らないかもしれないよな、、、と色々考えたものです。そして何故か進路を考える時に彼が頭に浮かんだことから、悩む理由はなく、自然と福祉、その中でも障害者福祉に進もうと決めました。

結果的に13年間勤めて、私が進路に選んだあの時の選択は間違っていませんでした。退職した今でもそう言えます。未経験でwebの世界に飛び込んだことから、本来ならもっと早い段階からwebを学んでいれば就職も有利だっただろうし、吸収も早かったと思うのですが、このタイミングが私なんだな、と妙に納得しています。というより、障害者福祉の仕事に就いたからこそ、webを学んでみたいと思うようになったのです。

きっかけ1)視覚障害のあるご夫婦との出会い

私が相談支援専門員の業務(福祉サービスを利用するにあたっての計画書を作成したり、関係機関との連携を担う役割)に携わっていた時、旦那さん、奥さん共に視覚障害のあるご夫妻に出会いました。ご夫妻は後天性の視覚障害のため、徐々に視力を失っていきました。そして、視覚障害のある方が通うあん摩マッサージの学校で二人は出会い結婚されました。お二人ともとても穏やかな性格で、30歳以上離れている私に対していつも対等に接してくれました。ご夫妻と出会って初めて知ったことがパソコンの音声読み上げ機能でした。旦那さんはパソコンで視覚障害を持つ友人と将棋をするのが日課でした。私は、目が見えない状態でどうやって将棋をするのか想像が付きませんでしたが、「パソコンが読み上げてくれるから問題なく出来るんだよ」と教えてくれました。(後に訓練校で習ったalt属性を学んだ際、すぐに重要さを理解することが出来ました。)旦那さんにとって将棋は彼の数少ない趣味でした。もう少し具体的に言うと、生活上制限されることが多い中、パソコンがあることで楽しめる唯一のものでした。

余談ですが、パソコンのセキュリティチェックでたまに表示される、歪んだ数字を読み取って入力したり、どれが道路でしょう?と何枚かの写真をチェックするものについては困っていました。あれ、視覚障害の方に配慮できないかな?と今でも思います。

きっかけ2)難病の男性との出会い

遺伝性の筋疾患で難病指定されている病気を持つ男性との出会いも私の価値観を大きく変えました。彼は自身で体を動かすことが出来ず、常にベッドの上で生活していました。首の位置や体の向きを変える、服を着替えるのも食事をするのも全て介助が必要でした。彼と私は昔やっていた「ケイゾク」と言うドラマが好きで、よく話をしました。彼は天文学も好きで、私の知らない分野だったので彼の話を聞くのがとても楽しかったです。彼は全く体が動きませんが、指先だけはほんの少し動かすことが出来ました。天井にパソコンの画面を映して、ほんの少し動く指先でマウスをクリックしてインターネットをしていました。その様子を初めて見た時、こうやって工夫しながら自分の出来ることを生かして自分の力で情報収集している彼の力と、webの重要性に感銘を受けました。彼にとってインターネットで情報収集することは、生活の幅を広げる大切な役割を担っていました。

きっかけ3)支援で出来ることは限られていると感じた

私は毎日様々な障害を持つ方と出会ってきました。けれど、制限がありました。それは、サービスを必要と思って連絡をくださる当事者や家族、関係機関の方としか繋がれないことでした。困っていることを連絡出来ない方達はたくさんいます。どこにも繋がれていない方達への支援が福祉の課題でもあります。

また、私は施設が置かれている市区町村内に住んでいる方にしか支援は出来ませんでした。そして、地域によって制度が異なります。例えば、ある地域では高次脳機能障害の方専門の外出ヘルパーが保証されていますが、その制度がない地域もあります。もちろん、必要な制度を市区町村へ要望して設けていくことも出来ます。しかしそれには大変な時間がかかり、なかなか実現させることは難しいハードルです。障害の等級によっても利用できるサービスが異なります。確かにどこかで線引きをしないとならないのですが、等級では図れない実生活の課題が多くあります。

仕事の魅力もたくさんたくさんありますが、行える限界や時間の制約など全体を通して考えたとき、転職して再び福祉の仕事に就くことは考えにありませんでした。特に強く感じたのは、現場に人手が一人増えても出来ることは限られている、そう思いました。

そして、退職後に一度気持ちをまっさらにして、自分は何をやりたいか改めて考えました。

きっかけ4)人や環境を選ばずあらゆる方を豊かにする力をwebは持っていると考えた

まっさらにして考えて魅力を感じたのは、住んでいる地域や環境、状況問わず人を豊かにするwebの効果です。先ほどお話ししたご夫妻や男性以外にも、知的に障害のある方とのやり取りの中でも何度もwebに救われました。言葉で伝えるより、スマホやパソコンの画面を見てもらう方が格段にお互いの思いを理解することが出来ました。視覚情報の方が伝わりやすいのは私たちの生活の中でも同様ですね。また、障害を広く捉えた場合、国籍の違いによって生まれる壁もたくさんあります。私は、障害を持つ方のみならず、どんな人にとっても有効なwebを学んでみたいと思うようになりました。

この思いは、これまでの経験がなければ浮かばなかった考えです。そのため、遅いスタートではありましたが、決して遠回りではなかったと思っています。これまでユーザーの一人だった自分が作り手にまわることは出来るのか?と疑問でしたが、新たな挑戦に大変ワクワクしました。(しかし実際は職業訓練校でけちょんけちょんにノックダウンさせられるのですが笑)

誰にでもやりたいことがあると思います。仕事でも、趣味でもなんでも良いです。それはきっと、それらを通して自分がありたい姿になれる手段です。

私でいうと、障害者福祉の仕事をやりたいと思いました。それは、高校生の頃にすれ違った彼の世界を理解する手段でした。そこから、実際を知ることで今度は「webを学びたい」という気持ちに変わりました。私の中でありたい姿が変化したのです。いま、世の中にはたくさんの職業があります。どんな職業でも、その職業に就くことで自分の理想に繋がっている人がたくさんいればいいなと思います。



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障害者福祉の仕事を退職後、未経験web の勉強を始める。 ITの力で障害者福祉の労働環境が改善できないかと、自分事業「ITOGUCHI」を立ち上げる。 一人でも多くの従事者が長く続けられる職場作りを目指す。 twitter→https://twitter.com/MuuVvk
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