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【Wine ワイン】Kaiken Estate Marbec 2018

【Wine ワイン】Kaiken Estate Marbec 2018

先日の友人との山岳キャンプ🏕用にセレクトしたワイン。
白ワインをMendozaにしたので赤も同じくMendozaで、食材に低温調理した肉を持っていったのでなんとなく合わせてMarbecで。
チリのMontesが造るワインなのでとても品質が良く美味しかった。
スクリューキャップなのがアウトドアーでは非常に使い勝手が良い。

■Producer (生産者)
Kaiken (Montes)

■Country / Region (生産国 / 地域)
Mendoza / Cuyo / Argentina

■Variety (葡萄品種)
Marbec

■Pairing (ペアリング)
Asado, Enpanada

#ワイン #wine #vin #vino #vinho

■プロフィール
2019年8月11日の大統領予備選挙で現職のマクリ大統領が大敗を喫し、10月に予定されている大統領選本選での再選に赤信号が点いた。金融市場はいっせいに反応し、投資家は株式、債券、通貨を一斉に処分売りした。金融市場で同国資産が急落し、アルゼンチン国債のデフォルト(債務不履行)懸念が再燃している。アルゼンチンは、2001年、2014年にもデフォルトに陥っており、もはや恒例行事のようではあるが、もしデフォルトになればワイン産業にとっても大きな打撃になる。この2020年版教本が出版される頃にはどうなっているのだろうか。2001年の1,000億ドルにのぼるデフォルト(債務不履行)以降、アルゼンチンは国際的な信用を失い孤立を深めた。しかし、豊かな資源と自然環境に恵まれたアルゼンチンには、国の舵取りさえ的確であれば、いつでも復活を果たせる底力がある。2015年にスタートしたマクリ政権は、産業界から経済政策を評価されているが、国民の体感する景気・インフレがきわめて悪化しているため、大統領支持率は急落している。インフレ率上昇はワインの国内消費と輸出にも大きな影を落としている。2018年の消費者物価は前年比47.6%増と大きく上昇しており、ワイン消費も振るわない。アルゼンチンは、フランスやイタリアなどと同様に、ワインの国内消費量が大きい国だけに、ワイン産業にとってはきわめて深刻な事態である。ワインの輸出環境もペソの大幅下落できわめて厳しいものがある。日本のアルゼンチンワイン輸入量は2014年の40万ケースをピークに減少傾向が続いており、2018年の輸入量は22万ケースだった。隣国チリが日本とEPAを締結してワイン関税の逓減を決め、大幅な輸入増を達成したのとは対照的だ。さらにアルゼンチンとチリには輸出業務の実際をめぐっても大きな違いが生まれている。仮に、アルゼンチンとチリのワイナリーから蔵出価格の同じボトルが出荷されたとする。チリワインはそのままバルパライソ港にトラック輸送するが、アルゼンチンワインはアンデス山脈を越えてチリのバルパライソ港に届く。この時点で両者の輸送費に大きな違いが生じる。そして日本の港に着いたときに、チリは関税ゼロ、アルゼンチンは膨らんだ輪送費を加えた価格に関税がフルに課される。さらにアルゼンチンペソ安で、為替のハンデも大きい。結局、ワイナリーを出た時に同価格だった二本のワインは、スーパーの店頭に並んだ時、チリワイン480円、アルゼンチンワイン980円のようになっているわけだ。これが同質のワインだとすると、アルゼンチンワインにとってはあまりに厳しい環境だといえる。とはいえ、そんな経済環境下にあっても、アルゼンチンのブドウ畑と醸造所では着々と品質改善の取り組みが進み、ウコ・ヴァレーやカルチャキ・ヴァレーのマルベックが新境地をひらいている。

■歴史
もともとアメリカ大陸にヴィティス・ヴィニフェラ(ワイン用ブドウ品種)は自生しておらず、コロンブスの新大陸発見以降、キリスト教の伝道師がスペインから持ち込んだと言われている。その品種はスペインのパロミナ・ネグラがカナリアス諸島に渡ってリスタン・プリエトと呼ばれ、伝道師によってカナリアスから新大陸へと運ばれた。カナリアス諸島はイベリア半島と新大陸の中継基地だった。その後、リスタンをアルゼンチンではクリオジャと呼び、チリではパイス、北米ではミッションと呼ぶようになった。当時のカトリック司祭は、ミサ用のワインを確保するために、修道院の近くにブドウ樹を植えた。アルゼンチンにブドウ樹を運んだ伝道師は三つのグループに分かれるようだ。ひとつは1540年代から1560年にかけて、ベルーからアルゼンチン北西部に入ったもので彼らはサンティアゴ・デル・エステロを開いた。もう一つはチリからアンデスを越えてアルゼンチン西部に入ったグループで、Pedro del Castillo ぺドロ・デル・カスティージョが1561年にメンドーサを、juan Jufré フアン・フフレが翌1562年にサン・フアン(1562年)にブドウ畑を拓いたと言われている。三つめは16世紀前半にスペインからアルゼンチン北東部ラプラタ川流域に到着したグループで、そこから川伝いに北上してバラナ川流域に植樹した。19世紀後半になるとアルゼンチンのブドウとワインを取り巻く事情が大きく変化する。ひとつはパタゴニアを国土に組み込み、農畜産物の生産に適した土地を整備したことでヨーロッパから大勢の移民がやってきてワイン消費層が急激に拡大したこと、もうひとつは鉄道の敷設によって西部のワイン産地と消費地ブェノスアイレスが繋がったことである。アルゼンチン政府は、1853年に農事試験場(キンタ・ノルマル)をメンドーサに開設し、フランスからチリのサンティアゴに移住していた植物学者のMichel Aimé Pouget ミシェル・アイメ・プージェを招聴した。プージェはマルべック、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、ソーヴィニヨン・ブランなどをメンドーサのブドウ畑に初めて植えた。そして醸造分野にも新しい技術を紹介した。酸化防止剤の二酸化硫黄を紹介したのはプージェだと言われている。プージェの新品種の中でもとりわけマルベックは、メンドーサやサン・フアンの風土に適合して栽培面積を広げ、のちにLa Francesaと呼ばれるほどポピュラーな品種になる。アンデスから引いた灌漑用水路が整備され、科学的な知識に基づくブドウ栽培のための人材育成が進んで、ブドウ栽培面積は一気に拡大していく。1873年に2,000haだったものが、20年後の1893年には5倍の約10,000haにまで膨らんだ。そして、1900年代初頭には21,000haに達した。1910年代になると、イタリアからたくさんの移民がやってきた。彼らの中にはブドウ農業従事者も多く、当時の北イタリアのブドウ栽培方式とブドウ品種をアルゼンチンにもたらした。なかでもボナルダはサン・フアンやメンドーサの風土に適合し、今でもマルベックに次ぐ大きな栽培面積を持っている。また、イタリア由来の栽培技術で特筆すべきはバパラール(棚仕立て)の導入であり、これに瀧渡用水路の整備が合わさって、その後のワイン大量生産時代を創出するにとになる。19世紀後半から20世紀初めにかけて奮開し、アルゼンチンリ産業の礎を築いた人々を簡単に紹介する。

Luis Tirasso ルイス・ティラッソ
1882年、20歳の若さでメンドーサのビラ・ヌエ・バ・デ・グアイマジェンに入植した。1891年にボデガスサンタアナを創業し、ブドウ畑をサン・ラファエルに広げた。

Edmundo James Norton エドムンド・ハメス・ノルトン
1865年英国生まれ。1895年にボデガ・ノートンを興した。ベルドリエル、アグレロなどメンドーサ川の南にブドウ畑を拓いた。

Antonio Pulenta アントニオ・プレンタ
20世紀初めにメンドーサに移住してきた。サン・フアンにボデガを建て、1941年に家族とともにベニャ・フロールを興し、メンドーサを本拠に据えた。1970年にボデガス・トラビチェを購入した。

Nicolas Catena ニコラス・カテナ
イタリア・マルケからの移民。メンドーサのリバダビアにニコラス・カテナを創業した。
Valentin Bianchi バレンティン・ビアンキ
1910年にイタリアからアルゼンチンに移住し、メンドーサで造ったワインをブエノスアイレスに運んだ。

Enrique Tittarelli エンリケ・ティタレッリ
1915年、イタリアからメンドーサへ入植。リバダビアとマイプーのブドウ畑を拓く。

Juan de Dios Correas ファン・デ・ディオス・コレアス
19世紀末にメンドーサに入植。後にナバロ・コレアスが誕生する。

Sami Flichman サミ・フリッチマン
ポーランド移民。1873年にマイプーのバランカスを拓く。1910年にワイナリーを建てた。

Humberto Canale ウンベルト・カナレ
パタゴニアのヘネラル・ロカ(リオ・ネグロ)に初めてブドウ樹を植えた。1913年のこと。
David Michel ダビ・ミシェル
1860年、サルタのカファジャテにブドウ畑を拓く。ガブリエラ・トリノと結婚してボデガ・ミッシェル・トリノを創業する。

Arnaldo Etchart アルナルド・エチャート
1938年、サルタのカファジャテにワイナリーを建てた。

1960年代には、大規模なワイン醸造施設が整い、ボデガまで引き込んだ鉄道線路はブエノスアイレスへと続いていた。貨車に乗せられたワインは首都に運んでボトリングされ、きちんと整った流通ネットワークで大量に販売された。当時のワインは混植混酸のコモンワイン(ビノ・デメサ)と呼ばれるもので、クリオジャやボナルダが大活躍した。1976年にバルクワインを調達するためにメンドーサへ出かけたメルシャンの浅井昭吾は、当時の様子を次のように伝えている。「私が勝沼で史上最高に仕込んだと胸を張った2年前の1974年。8月終わりから11月初旬まで、眠る間も惜しんで2,000tを達成した、それを(メンドーサでは)1日で苦もなく仕込んでしまう。愕然としました。彼等の製品はメンドーサで醸造して、1,000km東のブエノスアイレスで場詰していた。毎日、石油タンカーと同じ貨車を10両か15両繋げた特別編成の車両列車を走らせるのです。」1970年のアルゼンチンにおけるワイン消費量は1人当た

り900だった。ところが1970年代後半から1980年代初めにかけてアルゼンチンのワイン消費量は減少傾向を辿ることになる。コカコーラなどの清涼飲料水とビールの市場参入でワインを飲む人とその飲酒量が減少したからだ。ワイン消費の減退でブドウは生産過剰に陥った。これを解消するため1982年から1991年にかけて既存のブドウ樹の36%が引き抜かれた。しかし、それでもワイン消費量は減少し続け、1991年には1人当たり消費量は55ℓになった。ここに至って、コモンワインを大量生産して首都圏へ届け、そこでボトリングして販売するという1970年代までのセールスモデルは崩壊した。強大な国内需要に支えられて繁栄したアルゼンチンワイン産業は、輸出市場の開拓に舵を切ろしか生き残る途がなくなった。1982年にカリフォルニアのロバート・モンダヴィで学んだニコラス・カテナは、その後、メンドーサに帰ってカベルネ・ソーヴィニヨンとシャルドネを植え、1990年にカベルネソーヴィニヨンのヴァラエタルワインをリリースした。メンドーサの生産者もこれに倣った。比較的冷涼な気候のトゥプンガト(当時はまだウコ・ヴァレーとは呼んでいなかった)はシャルドネの新しい栽格地になった。カリフォルニアやフランスからコンサルタントがやってきた。彼らはブドウ栽培とワイン造りのコンサルティングだけでなく国際市場の開拓にも尽力した。適地適品種の考え方に基づいて、メンドーサでも冷涼なブドウ産地の開拓が始まった。海洋性気候とは無関係のアンデス東麓に位置するアルゼンチンのブドウ産地は、涼しさを海抜高度に求めるしかすべがない。シャンパーニュのシャンドンは、1959年からすでにメンドーサでスパークリングワイン造りを始めていたが、1999年にテラサス(テラス、段々畑)の名でスティルワイン造りにも参入する。一般に標高が上がると気温は下がると言われるが、テラサスの考えは標高の異なる畑でそこに適した品種を栽培するという画期的なものだった。21世紀に入って国際市場がヴァラエタルワインから生産地の個性、風土の特性を表現したワインを要求するようになると、アルゼンチンワイン産業はマルベックの生産に注力するようになった。メンドーサの栽培地もルハン・デクージョだけでなくウコ・ヴァレーへと広がっている。


■気候風土
アルゼンチンのブドウ畑は国土の西側を南北にのびるアンデス山脈に沿って、北のサルタ州からパタゴニアのリオ・ネグロ州まで南北2,000kmにわたる。アルゼンチンの国土はブラジルに次いで南米第二位の広さがあり、南北に長いだけでなく東西に広い。大西洋に面した首都ブエノスアイレスから広大なパンパを経て6,000m級の山々の連なるアンデスへと至る道のりがこれまた2,000kmにもなる。アンデス山麓に広がるアルゼンチンのブドウ畑は海抜高度450mから2,980mのあいだに分布している。ブドウ畑は海岸線からはるか遠く離れており、世界でも数少ない大陸性(内陸型)気候の巨大なワイン産地である(近年、首都ブエノスアイレスの南、大西洋岸に近いマル・デル・プラタ近郊にも新しいブドウ畑が拓かれている)。しかも、ブドウ生育期の積算温度分布の幅がきわめて広い。メンドーサだけでウインクラーI〜Ⅳまでが揃う。これはフランスのシャブリ、ブルゴーニュ、ボルドー、ローヌ、ラングドックがすべてメンドーサに収まる格好だ。しかもそれぞれの地域のブドウ生育期の昼夜の気温差が大きく、栽培地域が他のブドウ生産国に比べて広いので、高品質ブドウの産地分布もそれに比例して広くなるといえる。ブドウ畑の土壌構成はいったいに有機物の含有量が少なくブドウ樹の徒長を制限している。高地でしかも緯度が低いことから陽光の紫外線が極端に強く、これが樹におよぼすストレスでブドウの純粋性や品種固有の味香を強く引き出している。湿気が極端に少ないから黴除けの薬剤散布が不要で、ブドウ畑とその周囲の環境を健全でナチュラルなものにしている。ただ毎年のように降る雹は甚大な被害をもたらすので、アンチ・グラニソという名の防雹ネットを敷設して被害を最小限に食い止めようとしている。また、Zonda ゾンダという強風による被害も大きい。これはフェーン現象の一種で、太平洋の寒冷風がチリ側アンデスに雨を落とし乾いてアルゼンチン側に吹き下ろす風のこと。時に台風を上回るような規模と強さを持つ。アンデスの豊富な雪解け水を利用できるアルゼンチンのような産地は世界中にそれほど多くない。世界中の乾燥地域のブドウ栽培は近年の干ばつ状態を反映して、一般にどこでも水利が非常に難しく深刻な問題に直面している。量から質へと様変わりした市場ニーズに対応するため、アルゼンチンに限らずニューワールドのワイン生産者は気候の冷涼な土地を探し、そこに新しいブドウ畑を拓いてきた。南緯25度のサルタから南緯40度のパタゴニアまで、アルゼンチンのブドウ栽培者はアンデス高地に向かうことと南極により近づくことで涼しさを獲得してきた。一般に、海抜高度が上がると気温は下がる。アルゼンチンの場合はこれに加えて、サルタ州やカタマルカ州にまたがるカルチャキ・ヴァレーのように緯度は低いけれど標高2,000mを超えるような高地にブドウ畑を拓いた。ここは、ほぼ亜熱帯に相当する低緯度で本来なら熱帯植物の産地なのに、一方で高山植物も育たないような標高の高い土地という組み合わせがうまくバランスしてブドウ栽培を可能にしているわけだ。アルゼンチンにおけるブドウの新しい栽培適地を探す作業は、高度と緯度を同時に考慮にいれた複雑な選択であった。その結果、ブドウ畑は標高450mから標高2,980mに迫るまで、その差2,500m以上、気温にして16〜17℃も異なる広い範囲に位置することになった。海抜高度の高さがブドウ果に及ぼす影響は次のことが考えられる。標高の高い畑は空気が薄く日射が強い。日射量が多いと光合成が促進され、果実の糖とタンニン量が

増加する。一方で空気の薄さは夜温を急激に下げる。日中の日差しが強くても夜温が下がるとブドウ樹は呼吸作用を抑制して酸の消費を抑える。つまり高度が高く冷涼な気候は光合成を促進し酸の消費を抑制する。アルゼンチンのブドウ樹の仕立て方と灌漑方法の変化をまとめておこう。アンデス山脈に源を発する数本の河川がメンドーサをほぼ東西に横断する。この河川がアンテデスの雪解け水を運ぶのだが、インカの時代からこの水をあつめて用水路を張り巡らせ、街を作り灌漑用水に充てて作物を育ててきた。メンドーサ市から郊外に向かうと、あちこちに鬱蒼としたポプラ並木の街道がある。そこには必ず用水路が整備されていて、いつでも清冽(せいれつ)な水が流れている。半砂漠のメンドーサをオアシスに変えているのはこの用水路網である。アルゼンチンのブドウ栽培地域は乾燥した温暖な気候で、はっきりした冬があり、ふんだんな日照量があり、年間平均気温は14℃〜18℃である。年間降水量は150〜400mmでそのほとんどは春から夏に降る。しかし、それはほとんどブドウ栽培に効果がない。だから用水路か地下水による灌漑が欠かせない。伝統的な灌漑法はフラッド灌漑である。これは日本の水田のように用水路から水を引き込み、ブドウ畑をすっかり水浸しにしてしまう方法だ。それでも表土の砂地が厚いので日本の粘土質水田とは異なり時間の経過とともに水が吸収されていく。かつてはこれを毎朝のように繰り返していたからブドウ樹がたっぷり水を吸って果実が水ぶくれした。量が求められていた頃はそれが当然のことだった。今でも樹齢の古い畑はフラッド灌漑を施している。ただ灌漑の回数は1年に2〜3回と極端に少なくなった。新しい畑はみなドリップ(点滴)灌漑に変わっている。同時にブドウ樹の仕立て方も改まった。従来の方法はパラール(棚仕立て)だ。植樹密度は2,000本〜2,500本/ haなので日本の棚栽培ほど疎植ではないが、量産のための仕立て方であることは同じだ。パラールは大量生産に向いているだけでなく、剪定や収穫の際に腰を曲げたり屈んだりしなくてよいし、強い日差しも遮ってくれるので働く者には優しい。ブドウに品質を求めるようになると、パラールは主幹の長さを維持したまま天井部をコルドン・スパーのように剪定された。これで日当たりと風通しがよくなった。夏季剪定も行われるようになって収穫量は切り詰められた。一方、新しい畑はニューワールドのブドウ畑と同じく低いコルドン仕立て、畝に針金を渡して新梢を止めキャノピー

マネジメントを施している。アルゼンチンではこれをコルドンとかコルドン・スパーではなくVSP(ヴァーティカル・シュート・ポジション)と呼ぶ。「新梢が垂直に伸びる仕立て方」という意味だが、パラールだと新梢は水平に伸びるため、これとの比較でこのように呼ぶようだ。VSPの畑ではの方向が従来の南北の畝から東西の畝に変わっている。南北の畝はフランスなどヨーロッパの移民が持ち込んだもので、日照量が限られるフランスなどでは有効な方法だった。しかし有り余るほどの日照のあるアルゼンチンでは南北方向の畝はむしろ房の日焼けなどの問題が生じる。それで東西の畝にして日照を遮るようにした。ブドウ果の日焼けの問題でもう一つ。東から上る朝日は夜の冷気を通すのでやわらかい日ざしだ。しかし西に沈むタ日は日中に温まった空気のせいで厳しい日差しになる。ブドウ果は強い西日を受けると日焼けする。アルゼンチンのブドウ畑は6,000m級のアンデスに夕日が沈むので西日の影響が少ない。逆に大平原パンパの地平線から上る朝日はゆっくりとした動きでとても優しい。メンドーサのブドウはやわらかい大きな朝日で育まれる。主なブドウ品種アルゼンチンにおける2018年のブドウ品種別栽培面積は次の通り。


品種名 / 面積(ha)
マルベック42,999
セレサ27,221
ボナルダ18,518
カベルネ・ソーヴィニヨン14,666
クリオジャ14,040
シラー12,246
ペドロ・ヒメネス10,249
トロンテス7,920
シャルドネ6,043
モスカテル・ロサード5,755
テンプラニーリョ5,691
メルロ5,306
その他47,579
合計218,233

Malbec マルベック
マルベックの起源は南西フランスで、現在のカォールの主力品種コットと同じものである。18世紀にボルドーへ移植され、マルベックと呼ばれるようになった。マルベックの一方の親はメルロと同じマグドレーヌノワール・デシャラントで、もう一方はプリュヌラールである(メルロの親はカベルネフラン)。ボルドーの格付けがされた1855年当時、マルベックが全栽培面積の6割を占めていた。しかし、マルベックはうどん粉病に弱く、遅霜や開花期の湿気にも弱いので徐々に栽培面積が減少していった。ことに1956年のボルドー大霜害の後は、栽培面積1,000ha未満のマイナー品種になった。1853年4月17日に初めてメンドーサに植栽されており、アルゼンチンではこの日を「マルベックデー」に制定している。当時、マルベックだけでなくカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロも一緒に植えられたが、なぜマルベックが重宝されたのか。いまのところ確たる答えはなく、たぶんメンドーサの風土に最も適合したからだと言われている。ちなみにチリではカベルネ・ソーヴィニヨンが最大勢力になった。以降、160年以上にわたってムグロン(取り木法)で育てられ品種の純粋性が守られてきた。サン・カルロス(ウコ・ヴァレー)などには今でもマルベックの古樹が残っている。アルゼンチン・マルベックの特性は、房も果粒も小さく引き締まっておりアロマも豊かなことである。今日のボルドーのマルベック栽培面積は約930haと言われているから、マルベックはすっかりアルゼンチンのブドウになったと言える。マルベックの総タンニン量はブドウ畑の海抜高度が上がるにつれて増加する。総タンニン量のうちモノメリック・タンニン(モノマーは単量体、ポリマーでないもの。苦くて収斂するタンニン)は、標高が上がり涼しくなるにつれて減少する。暑い土地の葡萄にはモノメリック・タンニンが多い。ブドウは強い紫外線から自らを守るために果皮を厚くする。厚くなるとアントシアニンが多くなり、まろやかな重合体(ポリマー)タンニンになる。そしてアロマが強くレスペラトロール(抗酸化物質)の量が増す。アルコール分は中斯で酸のレベルが高く味わいが凝縮する。

Cereza セレサ
セレサは英語のチェリー。果皮の色がピンクで、リスタン・プリエトの亜種と考えられている。年々、栽培面積が減少している。根は塩分の強い土壌に耐性があるため、塩分の多い畑ではセレサを台木にして他の品種を接ぐことが多い。果粒はクリオジャより大きめで、自ワインや色の淡いロゼワインになる。栽培地はサン・フアンやメンドーサ東部で、濃縮果汁として販売されることが多い。

Bonarda ボナルダ
フィロキセラ禍の前までは北イタリアで広く栽培されていた黒ブドウ品種。20世紀初めにイタリア移民がアルゼンチンに持ち込んだものと思われる。現在はイタリアより栽培面積が大きい。ただ、アルゼンチンのボナルダは近年のDNA解析の結果、イタリアのボナルダ・ピエモンテーゼではなく、フランス・サヴォワ原産のドゥース・ノワール(シノニムにシャルボノ、コルボーがある)だと判明している。

Cabernet Sauvignon カベルネ・ソーヴィニョン19世紀後半に初めて植えられた。その後、チリのように栽培面積が拡大することはなかったが、1980年代後半以降、ヴァラエタルワインブームにのって新植する畑が増えた。栽培面積はボナルダに次いで黒ブドウ品種の第3位。

Criolla Grande クリオジャ・グランテデ
カナリアス諸島のリスタン・ブリエトが新大陸に運ばれたもの。カナリアス諸島はイベリア半島と新大陸の中継基地だった。その後リスタンは、アルゼンチンではクリオジャと呼び、チリではバイス、カリフォルニアではミッションと呼んでいる。コモンワイン時代の主力品種で、いまでもバッグインボックスなどの大型容器で販売されている。樹齢100年を優に超える古樹が各地に残っている。

Pedro Gimenezペドロ・ヒメネス
クリオジャの亜種の白品種。DNA分析の結果、アンダルシアのPedroXiménez ペドロ・ヒメネスとは異なる品種であることが分かった。主にメンドーサとサン・フアンで栽培されている。2000年以降、栽培面積が減少しており2018年には2000年比32.1%(4.851ha)減少した。

Torrontés トロンテス
アルゼンチンのトロンテスには3種の亜種がある。トロンテスリオハーノ、トロンテス・サンフアニーノ、トロンテス・メンドシーノである。トロンテス・リオハーノとトロンテス・サンフアニーノは、マスカット・オブ・アレキサンドリアとクリオジャチカの自然交配種。しかし、トロンテス・メンドシーノはマスカット・オブ・アレキサンドリアと何かの交配種で、片方の親が判明していない。カファジャテ(カルチャキヴァレー)のトロンテスは最も個性的で高品質といわれている。高原の冷気と強烈な日差し、砂地で育ったトロンテスは柑橘系のアロマが強くトロンテス固有のバラの花弁の香りがする。マスカット香の支配的なメンドーサのトロンテスとは大きな違いがある。ワイン法と品質分類アルゼンチンワインに関する法律14878は、1959年11月6日に公布された。その第2条には、経済省にINV(国立ブドウ栽培醸造研究所Instituto Nacional de Vitivinicultura)を置き、これがアルゼンチンのブドウ栽培とワイン生産を管轄し、産業技術の振興をはかる、とされている。そして第17条でワインを次のように分類している。

a.Vinos Genuinos ビノス・へヌイノス
熟した新鮮なブドウもしくは新鮮なブドウ果汁をアルコール発酵したスティルワイン。地域ごと、収穫年ごとに収穫ブドウの最低ボーメ度を決定する。

b.Vinos Especiales ビノス・エスペシアレス
つぎの三つのタイプがある。
カテゴリーA
アルコール分が12.5%以上で、潜在アルコール分が15°GL以上のもの。
カテゴリーB
醸造工程で、ブドウで造ったアルコールを加えた結果、アルコール分が15%以上のワイン。
カテゴリーC
ワインに濃縮果汁、ミステラ(果汁とアルコールの混合物)、アロペ(ブドウ果汁を加熱して濃縮したもの)、もしくはブドウで造ったアルコールを加え、総潜在アルコール分が15°GL以上のもの。
c.Vinos Espumosos ピノス・エスプモソス
ボトルなどの密閉容器で二次発酵をさせたスパークリングワインで、20℃で4気圧以上を有するもの。
d.Vino Gasificado ビノ・ガシフィカド
スティルワインにガスを注入したスパークリングワイン。
e.Vino Compuesto ビノ・コンプエスト
ワインに芳香物質や甘味を加えたもの。ヴェルモット、キニーネ、トニックなど。
f.Chicha チチャ
アルコール発酵の途上の甘いワイン。アルコール分が5%になる前に発酵を止め糖分を最低80g / ℓ以上含有しているもの。濃縮果汁でチチャを造ることは禁じられている。

1999年10月6日に施行されたワインとブドウ原料のスピリッツに関する法律25163は、アルゼンチンワインを品質分類して、それぞれの製造と表示に関わる基準を定めた。それまで一般にビノ・デ・メサ(コモンワイン)、フィノ(ファインワイン)と呼ばれていたものを、IPワイン、IGワイン、DOCワインの三つに分けて品質管理を厳格化し、併せてアルゼンチンワインの産地名称の保護に乗り出した。


IP(Indicación de Procedencia インディカシオン・デ・プロセデンシア)ワインは、ビノ・デ・メサ、ビノ・レヒオナレスに相当するもので、当該地のブドウを80%以上使用していればその産地名を表示できる。ブドウ品種に関する規定はない。一方、産地名を表示できるワインはIGとDOCの二つに区分された。IGはブドウの産地名呼称だが、DOCはヨーロッパのワイン法のようにブドウの原産地だけでなく製造基準も規定されている。


IG(Indicacion Geografica インディカシォン・ジオグラフィカ、地理理的表示)ワインは、特徴のある限定された産地名。そして産地と醸造地(包装地は問わない)が当該IG域内になければならず、使用ブドウ品種は当該地域で収穫した別掲のヴィティス・ヴィニフェラ種に限る。ブドウの産地と醸造地が異なる場合は双方を包含したより広いIG名を記載するものとする。IGワイン用 
品種は以下のものが認証されている。

[赤ワイン用品種]
マルベック、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、ピノ・ノワール、Canari カナリ 、Pinot Meunier ピノ・ムニエ、Lambrusco Maestri ランブルスコ・マエストリナ、バルベーラ、サンジョヴェーゼ、ボナルダ、テンプラニーリョ、サンソー、カリニャン、プティ・ヴェルド。

[ロゼワイン用品種]
ゲヴュルツトラミナー

[白ワイン用品種]
シャルドネ、シュナン、ソーヴィニヨン、セミヨン、ソーヴィニヨンナッス、リースリング、トロンテス・リオハーノ、ユニ・ブラン、モスカート・ビアンコ、ピノ・ブラン、プロセッコ、ヴィオニエ、ペドロ・ヒメネス。また、IGワインの収穫ブドウに対する歩留まりは、1000のワインを造るには当該産地のブドウを最低130kg使用しなければならないと規定している。複数のIGで生産したブドウを使用した場合は、それらを包含するIGが表示される。たとえば、IG La Consulta ラコンスルタとGualtallary グアルタジャリーのブドウを使った場合の表示はIG Valle de Uco バジュ・デ・ウコである。また、IG Agrelo アグレロ(ルハンデ・クージョ)とLos Arboles ロスアルボレス(バジェ・デ・ウコ)のブレンドはIGメンドーサになる。

DOC(Denominacion de Origen Controlada デノミナシオン・デ・オリヘン,コントロラダ)ワインは、当該地で収穫したヴィティス・ヴィニフェラ種を当該地で規定の方法で醸造・瓶詰しなければならない。当該DOCが定めた植樹密度、剪定法で栽培し、規定の単位当たり収量と搾汁率を守り、最低アルコール度など醸造上の規則を遵守すること。また分析値とボトリング数を当局に報告する必要がある。ただ、2005年にDOCルハン・デ・クージョ(メンドーサ)、2007年にDOCサン・ラファエル(メンドーサ)が認定されただけで、その後、DOC認定の動きは見られない。一方で新しいIG認証が続いている。アメリカのAVAをはじめニューワールドのワイン産地の多くは栽培品種とワイン造りに自由裁量の大きいIG表示を採用しており、アルゼンチンもこちらに向かっているようだ。

■熟成期間に関する表示

Reserva レセルバ
オーク樽で最低1年熟成した赤ワインと最低6か月熟成した白ワインに表示できる。

Gran Reserva グランレセルバ
オーク樽で最低2年熟成した赤ワインと最低1年熟成した白ワインに表示できる。この場合の「オーク」容器の容量は限定されていない。しかも木製以外の容器にオークチップやオークステイヴを使うことも認められている。品種名および生産年の表示輸出市場向けのワインは基準をEU規則に合わせている。たとえば品種と生産年がそれぞれ異なるワインが複数プレンドされている時、最大のものが85%以上あれば当該品種名、当該生産年を表示できる。


■スパークリングワインの表示

アルゼンチン産スパークリングワインには、フランスのシャンパーニュやスペインのカバのような特別な名称はない。ドザージュ量によって次の表示が認められている。
Nature ナトゥレ / ドザージュ・ゼロ
Brut Nature ブルット・ナトゥレ 2g /ℓ未満
Extra Brut エクストラ・ブルット2g /ℓ以上8g /ℓ未満
Brut ブルット8g /ℓ以上14g /ℓ
Demi Sec デミセック 14g /ℓ以上25g / ℓ
Dulce ドゥルセ25g /ℓ以上

■ワインの産地と特徴

アルゼンチンワインの生産者団体ワインズ・オブ・アルゼンチン(アルゼンチンワイン協会)は、これまでワイン生産地をノルテ(北部)、クージョ(中央部)、パタゴニア(南部)に分類してきたが、2017年からこれらにアトランティカ(大西洋沿岸部)を加えた4地域に広げている。アトランティカはブエノスアイレス州南部の沿岸部マルデル・プラタの近郊に拓いた新しいブドウ栽培地で、アルゼンチン初の海度や霧の影響を受ける産地である。ここにはソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワールなどが栽培されている。IGチャパドマラル、IGビジャベンタナがある。

■ノルテ地方(北部)

サルタ州、トゥクマン州、カタマルカ州を南北に縦断するカルチャキヴァレー。栽培面積は6,052ha(2016年)。ブドウ畑の標高は750m〜2,980m。サルタ市から車でカファジャテに向かう道中の景観は今でも手つかずの自然のままである。信号もなければ橋もない。道路が洪水で侵食されると、その箇所を迂回して新しく道路を付けている。スペインの開拓者はどのようにしてカルチャキを発見、侵入し、ブドウ畑を拓いたのか。この地域にはもともとインカのカルチャキ族が住んでいた。スペインの侵略は先住民の文化を次々と辿って進んだ。したがって現在のサルタ市側からではなく、ペルーからアンデスを越えてカファジャテに到達したものと思われる。カルチャキ川に沿ったカルチャキヴァレーがブドウ栽培地で、カファジャテはその中心地。近年、ブドウ畑が増えている。プレアンデスの最も東側に位置するキルメス山脈と、大西洋からの湿った空気を遮断するアコンキハ山脈の間の南北に伸びる谷間がカルチャキヴァレー。緯度でいうと本来は亜熱帯に属する暑い土地のはずだが、標高が高いので高原の涼しさが保たれている。年間平均気温15℃。年間降雨量は僅かに200mm。冬は雨も雪も降らず乾燥している。12月から1月にかけて少し雨が降る。栽培品種はトロンテス、マルベック、カベルネ・ソーヴィニヨン、タナ。カファジャテのトロンテスはアルゼンチンで最も個性的で高品質という評価。高原の冷気と強烈な日差しの下で育ったトロンテスは柑橘系のアロマが強くトロンテス固有のバラの花弁の香りがする。標高1,700m〜2,200mで栽培される冷涼高地マルベックにも注目が集まっている。

■クージョ地方(中央部)

ラ・リオハ州、サン・フアン州、メンドーサ州。南アメリカのブドウ産地の中で生産量は最大。栽培面積は213,546ha(2016年)、ブドウ畑の標高は430m〜2,000m。

■メンドーサ
ブドウ栽培面積158,585ha(2016年)、アルゼンチン全体の約70%を占める。メンドーサ市には新しいスタイルの飲食店が急増している。かつてはもっぱらアサードの店だったが、多様な食文化が入り込みすっかり変わった。しかし昨今の経済不況で街は寂れた様子を呈している。大規模ワイナリーのほとんどがメンドーサにある。メンドーサの気候とテロワールはブドウの品種特性を表現するのに理想的だ。強い日差しと少ない雨でメンドーサでは毎年、ブドウが完熟する。黴や菌類由来の病害が発生することは極めて稀だ。したがって防除のための薬剤散布は必要なく、事実上、有機栽培ということができる。アンデスに源を発する河川が十分な灌漑用水を供給する。栽培品種は、マルベック、ボナルダ、トロンテス、シャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、ヴィオニエ、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン。マルベックは19世紀半ばにフランスから穂木を持ってきて植えられメンドーサでその特性が大いに開発された。そしていまでは世界中で最も優れたマルベックという評価を得ている。メンドーサのマルベックは色調が濃く酸味のレベルは中庸、オークの要素を十分に取り入れたものはアメリカ市場に大いに受け入れられた。一方、白品種ではトロンテスが最も栽培面積の広い品種。トロンテスが栽培されているのはアルゼンチンだけで、サルタからリオ・ネグロまで全土にわたる。マスカットオブ・アレキサンドリアに由来する強くてはっきりとしたバラ、ジャスミン、ゼラニウムなどのアロマ。トロンテスは、近年、スパークリングワインにも使われるようになった。メンドーサの栽培地域は5つのサブ・リージョンに分けることができる。

1.メンドーサ北部
メンドーサでは標高の最も低いラバジェ、マイプー、グアイマジェン、ラスエラス、サンマルティンなど。標高550m〜700m。メンドーサ川から灌漑用水を引く。土地は緩やかに傾斜していて表土が厚い。シュナン・ブラン、ペドロ・ヒメネス、ユニ・ブラン、トロンテスなどの白品種が栽培されている。

2.メンドーサ川流域
メンドーサ市に降接したメンドーサ川流域一帯。年間平均気温は15℃。ビスタルバ、ラスコンプエルタス、ベルドリエルなど安定した評価のある伝統的なブドウ畑が多い。標高の違いで気温差が生じるため、わずか20kmしか離れていない畑であってもそのテロワールは大きく異なる。主要品種はマルベックだが、他にカベルネ・ソーヴィニヨン、シラーも栽培されている。白品種はセミヨンと近年、栽培の増え始めたシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン。ルハン・デクージョはアンデスに近い西側一番で、1990年代に新しいブドウ畑が拓かれた。ウコ・ヴァレーが話題に上る少し前である。メンドーサ川の南のアグレロ、ウガルテチェ、そこからチリ街道に沿って東に向かった地域などで、ここには有力な生産者がブドウ畑を所有し醸造所を構えている。

3.ウコ・ヴァレーメンドーサ南西部。
海抜900m〜2,000m。年間平均気温14.2℃。この地域にはマルベックとセミヨンが古くから栽培されてきたがブドウ畑はそれほど多くなかった。1990年代後半から、とりわけ標高の高い畑がアンデス山麓の扇状地に開拓され、そこにマルベックに加え、シャルドネ、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラーなどが植えられた。ブドウ畑の標高がどんどん上がるにつれて、ウコ・ヴァレーは冷涼地として急速に拡大していった。初めの頃は北部のトゥプンガトがその代名詞だったが、その後、トゥスジャン、サン・カルロスの西側斜面に急速にブドウ畑が広がったので、トゥプンガト、トゥヌジャン、サン・カルロスを総称してウコ・ヴァレーと呼ぶようになった。そしていま、グアルタジャリー、ロス・アルボレス、ビジャセカ、ビスタフローレス、ラコンスルタ、パラヘアルタミラなどのさらに小さな村名IG(あるいはクリュIG)が著名な生産者やそのブドウ畑名とともにたびたび紹介されるようになっている。ウコ・ヴァレーのマルベックはストロベリーなど新鮮なフルーツのアロマをふんだんに含む。パワフルなルハン・デ・クージョのマルベックとは好対照をなしている。2019年1月、IGパラへアルタミラの小規模な12生産者がPIPA(Productores Independientes de Paraje Altamira ワイン・プロドゥクトレス・インデベンディエンナス・デ・パラへ・アルタミ)という生産者団体を創設して活動を開始した。チリのMOVIやVIGNOに似た組織である。IGパラヘアルタミラは行政区画というよりは土壌研究などの結果、その特徴が著しいことで認証された地理的表示である。こうした認証の仕方はたぶんアルゼンチンでは初めてのケースだ。ウコ・ヴァレーはアンデスから流れ出た水が土砂や岩石を運んでできた扇状地がいくつも並んでいる。その中でパラへアルタミラの土壌には石灰質が層をなしているのが特徴だ。しかも標高は1.000m以上という高地にある。ここで生産されたマルベックはとても個性的で、PIPAはそれを消費者に訴えようとしている。近隣のグアルタジャリーやラスチャカジェスでも同様の動きが出ており、アルゼンチンワインも地域の個性を主張する時代が始まったといえる。

4.メンドーサ東部
南緯33.2度、標高640m〜750m。平地が多くトゥスジャン川とメンドーサ川から瀧渡用水を引いている。フニン、リバダビア、サンマルティン、サンタ-ロサなど。

5.メンドーサ南部
南緯34.5〜35度。サン・ラファエル、ヘネラル・アルベアルなど。灌漑用水はアトゥエル川とディアマンテ川から。標高は450m〜800m。年間平均気温は15℃。シュナン・ブランが主要品種。マルベック、カベルネ・ソーヴィニヨンもある。


■サン・フアン
サン・フアンのブドウ栽培面積は47,533ha(2016年)でメンドーサに次いで大きな栽培面積を誇る。畑の標高は460m〜1,400m。サン・フアン川沿いにブドウ畑の90%が集中し、その広大な平原にトゥルムヴァレーとソンダ・ヴァレーがある。トゥルムヴァレーの標高は630m、年間平均気温は17.2℃。真夏の日中は40℃、夜間は20℃で、サン・フアンでは最も暑い地域。収穫は3月半ば。トゥルムには主にボナルダが栽培され、カベルネ・ソーヴィニヨン、マルベック、シラーも栽培されている。また、古くから栽培されているマスカット・オブ・アレキサンドリア、ペドロ・ヒメネスなどもある。近年はシャルドネやヴィオニエも植栽されている。年間降水量140mm。フルーツと酸味のバランスがよく飲みやすい。ソンダ・ヴァレーは標高900m。真夏の日中は30℃、夜間は13〜14℃。収穫は4月。トゥルムより栽培面積は狭いがもっと涼しい。タナが主要品種。シラー、マルベック、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランも栽培している。ストラクチャーと複雑味のあるワインになる。昼夜の気温差が大きいので酸度が維持される。ペデルナル・ヴァレーは標高1.400m。もっとも涼しくて最も新しい産地。2000年ごろから開発が始まった。冷涼地の特徴を生かしてソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、シャルドネが栽培されている。他にはマルベック、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨンなどの赤品種の栽培も盛んだ。一年のうち300日は晴れている。

■パタゴニア地方(南部)
ラ・パンパ州、ネウケン州、リオ・ネグロ州の3.656ha(2016年)に、最近になってさらに南のチュブ州でもブドウ栽培が始まっている。ブドウ畑の標高は4m〜670m。南緯39度近辺にブドウ畑が拓かれ、アルゼンチンの栽培地域の中では最南端に位置し、しかも標高の低い地域。ネグロ川とコロラド川流城にブドウ畑が広がる。日中は暖かく陽光が輝き、夜は涼しいので大きな気温の日較差がある。遅霜のリスクが少なく、成熟期間が長いので、白品種やピノ・ノワールなど早生品種の栽培に向いている。土壌は崩積士と沖積士。灌漑用水は二つの川から引いている。
ネウケンは栽培面積1,758ha、標高400m〜460m。標高はぐっと低くなるが南緯39度パタゴニアの冷涼な気候のもとでブドウが栽培されている。一年を通してほとんど雨は降らない。南極からの風が強い。栽培品種はソーヴィニヨン・ブラン、メルロ、ピノ・ノワール、マルベック。
リオ・ネグロは栽培面積1.655ha。ブドウ栽培地としては標高が最も低い。その名の通りネグロ川に沿って畑が広がっている。ネウケン同様、パタゴニアの大陸性気候でソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワールに適している。特にピノ・ノワールはスパークリングワインにも使われはじめ注目を集めている。

■アルゼンチンの料理と食材
アルゼンチン料理には二つの要素が大きく影響している。ひとつは地理的条件、もうひとつは移民の持ち込んだ文化的条件である。南北に長いだけでなく東西にも広いアルゼンチンの国土は、土地によって収穫できる作物がさまざまだ。その特徴ある収穫物から地域の料理が生まれてきた。アルゼンチンは世界的に有名な牛肉の生産地だが、牛肉だけでなく他にもさまざまな食材がある。
移民の持ち込んだ文化と料理の影響も大きい。1810年までアルゼンチンはスペインの植民地だった。植民地時代にスペイン各地から人々が移り住み、それぞれの伝統的な料理を持ち込んだ。その後、アルゼンチンが独立し、19世紀末から20世紀初頭にかけて新しい移民の波が押し寄せた。総勢600万人もの人々がヨーロッパの各地からやってきたが、その中心はイタリアからの移民だった。いまではアルゼンチン人の半数がイタリア系の血をひいているといわれる。この大規模な移民も、それぞれの祖国の伝統料理を発展させながら、アルゼンチンの食材でアルゼンチン料理を生み出す大きな役割を果たした。

ノルテ(サルタ、トゥクマン、カタマルカ)の料理
インカの伝統が色濃く残っている。それがアルゼンチンに最初に移り住んだスペイン人の慣習と混ざり合っている。高山が連なり乾燥した地域で、ジャガイモ、トウモロコシ、ピーマン、カボチャの生産が盛ん。Empanada エンパナダとLocro ロクロがおいしい。チーズと玉ねぎのエンパナーダ、牛肉のエンパナーダなどバリエーションが豊富だ。Humita ウミータは伝統料理のひとつで、トウモロコシをすりおろしたものに玉ねぎを加えクリーム状になるまで混ぜたもの。古来の調理法はそれをトウモロコシでつくった皮で包んで蒸す。これはカルチャキヴァレーの爽やかなトロンテスによく合う。

中央部クージョ(メンドーサ、サン・ファン、ラリオハ)の料理
クージョの名産品はブドウとワインである。ほかにもさまざまなフルーツや野菜を生産する。トマト、タマネギ、かりん、アーモンド、クルミなどがクージョの特産物である。特筆すべきはオリーブで、オリーブオイルもたくさん生産している。中でも希少品種Arauco アラウコ種でつくるアルゼンチン独自のオリーブオイルは、アロマが強く複雑で完壁なバランスを保っている。メンドーサにはさまざまなタイプのレストランがあり、そのクオリティはとても高い。

中央部パンパの料理
低い丘陵地と肥沃なパンパと呼ばれる湿潤性の大草原が広がる。自然のハーブが豊富にとれて、これらのハーブは消化を助けるために用いられる。この地域は腸詰が特産物で、さまざまなチョリソが生産されている。特にこの地域にイタリアのピエモンテから移住した人々が独自の腸詰のレシピをもっている。酪農も盛んで各種のチーズが有名だ。それぞれの植物相を反映した香りのよい蜂蜜も特産品だ。アルゼンチンは蜂蜜の一大輪出国であり日本でも購入できる。


首都ブエノスアイレスの料理
首都州全体でみると牧畜業が盛んだ。牛肉はアルゼンチンBBQのAsado アサードとして食べる。アルゼンチンの牛肉はそれ自体がおいしく質が高いので、一般的にはソースは用意せず塩だけでシンプルに味付けされる。首都の家庭の食卓に並ぶのはピザ、パスタ、ミラネサ(薄切りカツ=ビステッカのこと)やシチューなどでイタリアの影響が強い。市内の料理店は国際色が豊かで、新進気鋭のシェフは土地固有の食材を使い、伝統料理からインスピレーションを得て、クラシックなレシピを再解釈しながら前衛的な料理を生み出している。

南部パタゴニアの料理
湖、氷河、森林、そして風の土地として有名。パタゴニアは柔らかくて味の濃いラム肉、キノコ類、ベリー類が有名だ。ローズマリーと蜂蜜(アルゼンチン産)で味付けしたラム肉とメンドーサ産マルベックがよく合う。パタゴニアにはドイツや中央ヨーロッパからの移民が多く、その影響でビールをたくさん飲む習慣とチョコレートやスイーツを楽しむ習慣が根付いている。

参考資料 日本ソムリエ協会教本、隔月刊誌Sommelier

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