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家族というなんかふわっとしたモノ

 今これを読んでくれているあなたは、自分の家族についてどのくらい知っているだろうか? 

 毎日嫌でも顔を見てるし、うんざりするほど会話してる。『今さらナニを』と思った人もいるかもしれない。
 俺は家族以外で興味があったり、好きになったりした人がいたら、好きな食べ物はなんだろうとか、どこに遊びに行きたいのかなとか、色々聞いてみたいことばっかり。
 けどさ、家族となるとだいたい想像つくなって勝手に思い込んでるとこがあったりする。
 ブラウンの服ばかり着てるから、ブラウン好きなんだろうなぁって思って本人に聞いてみたら……ブラウンの服は嫌いじゃないけど、好きな色はピンクだったとか。家族じゃなくても結構ありがちだよね。
 とかく家族というものは、立ち位置がふわっとしがちだ。仲良くしなければ仕事が立ち行かないわけでもなく、友達にハブられるわけでもない。血の繋がりは特別なものだが、それを除けば毎日一緒にいる、ただそれだけの存在だ。
 意識しなければ、深くなり得ない絆なんじゃないかと思う。
 
 俺はそれを意識しないまま過ごし、母を亡くした。

 葬式屋との会話で『お母様は何色がお好きでしたか?』と聞かれた時『○○だと思います…たぶん…』としか言えなかった自分に驚かされた。どれだけ母を知らなかったのか思い知らされたからだ。

 俺は母が好きだった。友人のような母だったから、たいした反抗期もなかったはずだ。友達が自らの母親を『ババア』などと罵る姿を見て、さぞかし鬼のような母親なのかと同情したことすらある。

 それなのに、だ。

 母の好きな色も、母の好きな本も、母の好きな映画も、間違いなくあったであろう青春さえも、俺は微塵の興味も持たなかった。母はただ生まれた時から俺の母だったのだと勘違いしていたかのように、母のことを何ひとつ知らないまま、その時を迎えてしまったのだ。

 それでも母が死ぬ前に一度、昔話をしていた時シオンの花が好きだといった事だけは覚えていた。
 俺がまだ小さかったある日、散歩の途中で母がなにとはなしに『シオンの花がキレイね』と俺にいったら、母っ子だった俺は夏休みのラジオ体操の帰り道にくる日もくる日も母にシオンを摘んで帰ってきたので、それ以来好きになったらしい。
 夏風に揺れる麦畑の一本道に、まだ小さい俺と姉の麦わら帽子が、たわわな麦穂に見えたり隠れたりしながら歩いてくるのをキッチンの窓から見つけるのが楽しかったの、と母はいった。そんなことが楽しかったの?と姉と笑った記憶がある。

  その時は他愛もないただの昔話だったが、今それは俺と母のふわっとした心もとない関係の中の、唯一確かな絆といえる。

 もし今日この些細な物語の一滴が、誰かの心の水面に小さな水紋を描けたなら是非、今日のうちに聞いてみて欲しい。
 あなたの近くの大切な人に。

 『好きな色はなんですか?』


(2018年ブログ掲載作品)