日本の夏。「SIREN」の夏。外野から見た「異界入り」とは壮大な祭りである


(※↑リンク先ホラー注意)


 いやあ、今年もやって来たんである。


8月2日から8月3日へと日付が変わるその瞬間、及びその前後。ある層のゲーマーは架空の村、架空の人物たちにネット上において様々な形で想いを馳せる。それがこの「異界入り」、「SIREN」というゲームの非公式……多分非公式?のファンイベントである。

ゲーム作品の中で、現代日本と同じような暦の流れで物語が展開する作品というのはいくつかあるが、その中でも「SIREN」は『現実の時間軸とゲーム内ストーリーをリンクさせて、追体験し楽しむ』事が一大イベントとして確立しきった、特異な作品である。

これは、【公式】、【ファン】、そして【役者】という、3つのスタンスに立つ人がそれぞれ足並みの揃った熱量で「SIREN」を愛し続けたがために成り立った、ゲーム界の理想形であると言えるだろう。

この素晴らしさを、ホラーゲーム自分でプレイするのは厳しい、一人のビビリの外野ゲーマーとして手記という形で残しておきたいと思う。そんな立場からしても、「SIREN」の「異界入り」は目を奪われる祭りであるのだ。


 まず【公式】の話からしていこう。2003年発売のゲームが15年を過ぎてもなお人々が口々に語りたくなるのは、ひとえに公式からの供給という燃料が注ぎ足される機会があったからでもある。10周年の時にはニコニコにて公式記念生放送を、15周年とその翌年には「SIREN展」と銘打ってグッズ展開を行っていた。

注目して欲しいのは「SIREN展」のグッズ達の中で随所に光る、ファンが喜ぶのがどういう物かを『わかっている』感である。例えば15周年、2018年時のこちらのページ。

羽生蛇村役場謹製タオル。ドいかにもな役所の粗品感がすごい。

あるいはこの記事内で言及されているネイルハンマー。「SIREN」を知る者にはテンションが上がる一品だが何も知らない者が見ればこれはただの工具である。

こちらの記事では一定金額以上の購入者特典として宮田医院診察券が貰えるというのがもう最高である。宮田とは「SIREN」に登場するキャラの1人であり医者である。

 こうもファン側が現実に添わせて毎年「SIREN」を愛するのは公式のファンサービスも効いているという事だ。「もし○○が現実に存在していたらこういうモノが実在していた可能性があったわけだよな……」が叶うとオタクはものすごく喜ぶ。オタクというのはそういう生態だと個人的には思っている。なあそうだろ。

げにありがたきは、外山圭一郎ディレクターをはじめとした作品スタッフの方々である。ニコニコ大百科によればとあるインタビューにて"「こんなにずっと、支持して頂けたことに対して、恩返しがしたいなという思いを新たにしました。」"というコメントがあったという。ファンの愛を受け止めてイベントという形で還元してくれた【公式】への感謝もあり、異界は、今年も賑わっているのだ。


 次に【公式】をも動かし続ける【ファン】の話。こうも「SIREN」が盛り上がるのはそもそも「SIREN」が名作だからであるが、ファンがその名作たる「SIREN」をそれはもう骨まで愛してしゃぶりつくしているがゆえに、全体的なファンの熱量の引き上げがされているように外からは見える。

というのも、冒頭に載せた「羽生蛇村」のTwitterアカウント。あれは『複数人の視点でザッピング展開されるストーリー』のゲームでありぼんやりとプレイしているととっ散らかりかねない「SIREN」のストーリーラインを、「この時間にこんな事が起きてますよ」とスマートにまとめたものとして「異界入り」の時期にツイートしていくアカウントであり、期間中異界へ身を置くにあたって非常にありがたい道しるべとなっているのだ。

考察や種々のデータに深みがある作品ほど、この深みを掘り下げて、集約し、残して知らしめ伝える熱意あるファンの存在というのは重要になってくる。外の興味も惹き込みやすく、内に既にいるファンも思い返すのにかかる手間が省けることで熱量が冷めにくくなっているのだ。

このアカウントを抑えておきつつ、ファン側の動きをなーんとなく見ていると「ここの辺りがポイントなんだな」というのが見えてくる。象徴的なのは『医師・宮田のジャガー(車)が燃える』という作中イベントに対する扱いだろう。

お医者先生の持ってる高級車が紆余曲折あって炎上する(この「紆余曲折」がまた「SIREN」の妙なんである)。この事象はさながら臨海学校のメインイベント・キャンプファイヤーめいた祭られようで皆思い思いにジャガーを焼いた火でなんかついでに焼こうとしたりしなかったりする。愛されてんねぇセンセー!!

 こんなギャグな盛り上げ、たくさんのファンアート、『どうあがいても、絶望。』のキャッチコピーに恥じないストーリーやイベントに対する思いの丈、そういった数多のファンの思考や感情が渦巻いて盛り上がり―――8月6日に、全てが終わる。あるいは、終わりのない始まりが幕を開ける(「SIREN」ってそういうゲームなので)。

【ファン】にとって「SIREN」とは、毎年この季節に帰り懐かしむもはやひとつの故郷であり、「異界入り」とはまさしく祭り、あるいは供養、人によってはさながらコミケ、そういうただの『1作品のゲームを懐かしむ』だけに留まらない、並々ならぬものがある作品となっている、そういう事なのだろう。

ファンの皆があの羽生蛇村へと概念上帰り、あの村の者ではない外野がなんだなんだと、ああ今年ももうそんな季節かと、ある種風物詩のように根付いたものになっている。それが見ていて楽しいのは、何よりファンが楽しみ続けているからだ。「SIREN」の「異界入り」を見ていると、ファンという存在の力というものがよくわかる。


 そして、「異界入り」の盛り上がりを特異たらしめているのが【役者】の皆様の「SIREN」への愛着である。

こちらのYoutubeチャンネルをご覧いただきたい。

この俳優『篠田光亮』氏は、「SIREN」の主人公、『須田恭也』を演じた役者さん本人である。今年に入ってからYoutubeチャンネルを開設し、『須田恭也』がクリアするという題目で「SIREN」クリアを目指す動画などを公開している。今で言えば「DEATH STRANDING」をノーマン・リーダス氏が自分でプレイしているようなものである、と例えればそのスゴさが解るだろうか?

 「異界入り」及び「SIREN」の盛り上がりの維持はこの部分が大きいものであり、そしてこれは【ゲーム】という界隈において非常に珍しい事ではないかと思う。というのも、多くのゲームに『俳優』は居ない。「SIREN」は実在の俳優さんの姿を基にしてポリゴンのキャラクターとしてゲーム内に落とし込んでおり、当時としては高レベルなリアルさも評判に一役買っていた。まずもって当時のゲーム作品において「SIREN」のような作品はありふれたものではない、というのがまず1点ある。

そしてよしんば「SIREN」のような作品があっても、多くの場合『俳優』にとっての『役柄』というのは、中々時を経て【戻って来る】存在になる事は少ない・表に出てこない、という事だ。

「SIREN」を形作った役者の方々は、『篠田光亮』氏のみならず皆この中々ならない事がなっていて「SIREN」を愛してくれている。これがどれほどありがたい事かは言葉にしきれない。

なにせ、10周年の時点でこうである。皆がそれぞれ演じた役を懐かしみ、ツイートを記していく。彼らにとって「SIREN」は俳優人生における通過点のひとつという程度のものではなく、思い出として語ってくれる作品である事をファンが可視化できている。

これは、ファンにとってこれ以上無い程嬉しい事である。自分が大事にしているものを、其れを作るにあたって携わった人が同じ分だけ大事にしてくれている。ここが揃うことによりファンは自分の愛着を肯定されるわけで、一層その愛着の対象が好きになれる。【役者】さん達の「イイよね」「良かったよね」の言葉があるから今年の、令和2年の「異界入り」もまた、途切れず語られわいわいと人が集まり続けているのだ。

ありがとう。もはやそれしか言えない尊さが其処にあるんである。自分、外野なんでありがとうって言うのはおかしいとは思うんですけど。それでもありがとう。なんかもう「SIREN」の全てに感謝。



 ―――さぁ、今年もあのサイレンが、羽生蛇村と「SIREN」クラスタの人々へと鳴り響きました。

異界でのひととき、今年も楽しみ、無事に行きて帰って来てください。

3日間の赤い、赤い祭りを、私も外から楽しみに観賞させていただきたいと思います。どうか、よい夏を。

えっサポートしていただけるんですか?ほんとぉ?いいの? いただいたサポートはものを書くための燃料として何かしらの物体になります。多分。