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伝える/伝わるの定義 その2

このコロナ禍において無職になった話は前回書いたとおりなのだけれど、とにかくわたしは自分の「伝えた」が全然伝わっていなかったことに驚いた。

同時にわたしは、これまでに出会って離れてしまった、すべての人に謝りたいと思った。
せっかく良くしてくれたあなたに、わたしが一度も本音を吐露しなかったかもしれないことを。

前回書いたとおり、人生において早々に友との意思疎通を諦めてしまったわたしは、どうしても譲れないこと以外は「嫌われないようにてきとうに話す」ようになった。

そして三つ子の魂百まで、とは言わないけれども幼い頃にカラダに染み付いた習慣というのは根強いもので、わりと今のいままで、そのようなコミュニケーションをとっている自分に対して全くの無自覚に近かった。

・・・たぶん、多いんだと思う、こういう人。

そもそも「自分は人に好かれない」という思い込みがあり

嫌われないように本音を隠す

人に信用されない

嫌われる(最初にもどる)

という負のループにハマっていた人生で、わたしはこれをこじらせて「自分が本音を話すと人に嫌われる」と思い込んでいたんだけれど、

賢い皆さんならお気づきでしょう、真逆なの。真!逆!!!!

幸いなことにいま、わたしには決して多くはないけれどとても善いともだちが何人かいて、環境が変わっても住む場所が変わっても、また会いたいと思える人間関係を築けるようになった。

それはひとえに周りの人に恵まれたことと、わたし自身が自分の本音を捉え、それを伝えることができるようになったことに起因する、と感じている。

思春期でもあるまいし、いい年して「人に好かれる/嫌われる」なんてことでまだ悩んでやがるのか、と思われるかもしれないけれど、

コミュニケーションに関する課題がこんなに詳細に、しかもたくさん与えられるということは、わたしはやっぱり言葉でなにかを伝えていく宿命にあるからなのだ。

それを確信するためのいいクスリになったのだ、と思うことにする。

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