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ロベール・ブレッソン【たぶん悪魔が】|美青年と虚無

映の会 会長

最近、月一くらいで行くようになってきたので、京都みなみ会館の会員になりました。
あなたは、どこかの映画館の会員になっていたりしますか?

今回観たのは、ロベール・ブレッソン監督の【たぶん悪魔が】という映画です。

ただ、あまりにも体調が万全でなかった私は、この傑作を前にして時々眠ってしまいました。
しかし、決して眠たくなる映画ではないと思います。
いつもの私ならば、どのカットにもため息をついて目を凝らしたでしょう。
Blu-rayを手に入れるかして、再鑑賞しようと思っています。

そんな所々で眠ってしまったにも関わらず、メッセージしようと思ったのは、やはりブレッソンの映画、素晴らしいなと思ったからです。

■小さな話で大きな問いを突きつけてくる
裕福な家に生まれた、あるカリスマ的な美青年の虚無感と魂の危機を捉えることで、様々な危機、人類や地球の危機まで感じさせる、実は壮大なとても上手くできた映画でした。

■虚無的な美青年
この美貌の青年の虚無感は徹底してます。
彼は恵まれているのに空虚です、彼の部屋に散乱する空っぽのコカコーラの瓶のようなんです。
政治への熱気も
環境問題へ取り組みにも
精神分析へも
宗教も
美しい女の子たちが救いの手を差し伸べ続けてることも
どんな救いに対しても虚無的でしかないのです。
また、人々や行為が馬鹿に見えて、自分の方が高みにいるようにも感じています。
自分は崇高な何かを知っていると思っているんです。
時には自ら救いを求めても、世俗的で物質的な欲望によって、その救いは有耶無耶にされてしまいます。

■救いの消滅、死こそ救済
やがて自身の死への願望に取り憑かれ、それこそが救済となり、路上の拳銃が救いの手に感じられるようになります…。

彼の死に向かう恍惚と崇高さは、誰に伝わるわけでもなく、世俗的で物質的な欲にあっさりと消滅されてしまいます。

まるで、この美貌の青年が人類の縮図を背負ったように、虚しくも感じられます。
ただ、私たちがその姿を、この映画で観られることが、救いなのかもしれません。

■官能的な美しさ
映像も、編集も、衣装も、そして登場人物たちも、何もかも美しい映画です。
フランソワ・トリュフォーが「すばらしく官能的」な作品と評したそうですが、本当に登場人物の若者たちが美しく、画面の中の動きはとても官能的です。

この映画は、ドストエフスキー的とも言われているそうですが、
オスカー・ワイルド好きなあなたにも、映像的に響くところがあるのではと思いますが…
途中で環境破壊のドキュメンタリー映像のところで、あざらしの子供が殺されていたりという映像があるので、辛いかもしれないので、注意です。

予告編ですが、ブレッソンの映画2タイトルセットの予告編になっています。【たぶん悪魔が】の予告編は2本目です。

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