ごちゃごちゃ考えすぎず、みんな目の前の一人を幸せにして、全員で幸せになろうぜ
何で見たのか聞いたのか、完全に失念してしまったけど自分の一人グループのLINEグループ「Idea」を見たら書かれていた一言。
背景として、、、私はベンチャーの会社に約4年勤めているけど、ちょっと長い休憩ということで10月に1ヶ月間ロンドンへ語学留学へ行き、
・家庭が忙しくとも個人の人生を楽しもうとするフランスの主婦
・コンプレックスに悩む同世代の中国の女の子、
・会社をやめて次の就職を考えるフランスの男性、
・大学を卒業して未来への希望溢れて挑戦し続けるイタリアのガール
とかとか、彼ら・彼女らと関わりながら、「個人の幸せ」と「自分は何のためにこれをやる?」を帰国してからぼんやり考えていた。
これはその時に目に入り、心に刻んでおきたかった言葉である。
社会人留学を通じて、視野は死ぬほど広がった
というのも、この時、将来の仕事や自分の生活について迷走していて、
「やりたいと思ってたのに出来ていなかった、留学をしたい!」
「英語を使えるようになれば、また見知らぬ価値観が知れる!」
と思って海外留学に飛び出し、授業や日常会話を通じて、経済・テクノロジー・会社・世界・個人のいろんな考えを体感して視野は着実に広がった。
そして今でも時間はまだまだかかるけど、海外メディアのニュース記事やYouTube動画、TED Talkも、字幕や翻訳かけながらなんとか読んでいった。
そうすると目にする情報のスケールが、今まで自分が興味あったファッションやITのことだけでなく、日本の経済や環境問題へ、どんどん自分の目の前の生活のことから、世界規模の大きなものになっていった。
日本の経済鈍化、深刻な少子化、なのになかなか遅れをとってるジェンダーギャップ、日本のいいところと悪いところ、ヨーロッパの考えや歴史。
知れば知るほど、視野は広がる、情報と知識は増える、嬉しい情報も悲しい情報もあった。
・・・結果、同時にだんだん虚無感が芽生えてきた。
「で、私はいったい何ができるんだ???」
知識、情報、人間関係が広がって行くにつれ、日本や世界の問題やチャンスに「私が出来ることってなんてちっぽけなことなんだろう」って思えてきた。
どんどん入ってくる情報や問題と、自分の個人の能力を比較すると、到底何もできそうにない。
- 出生率をどうやって上げる?
- コンビニからプラスチックはどうやったら減らせる?
- どうしたら日本人の幸せ度や自信ランキングをあげられる?
…などなど。
「上を見たらきりがない」とは言うけれども、この漠然としたギャップにしばらく頭を抱える事になった。
これまである程度仕事の経験はしてきて、上記と方向は違えど誰かのためになることをして、喜んでもらえてきたつもりだったけど、新たに目にする大きな問題と自分ができることのギャップが今度は大きすぎる。
大海を知っても、蛙は高く飛べるようにはならない
「井の中の蛙、大海を知らず」と言うけど、マジでこれは良くも悪くも事実として、井戸の外にある大海を知っても、蛙の能力は一ミリも変化しない。
井戸を出るためにジャンプする能力は上がらない。
けどかといって、放っておいてもジャンプする能力は下がることもない。
ただ知ってるだけだから。
っていうジャンプすることすら諦めかけてしまう状況で、もっと迷走しだしたときにこの言葉を目にしたのだった。
蛙がそもそも高く飛ぶ必要はあるのか?
この言葉はめっちゃくちゃシンプルだったど、確かにいま私が目の前にいる見知らぬ誰かだろうが、家族を幸せにすることができて、しかもそれを全員がやるような仕組みや空気を醸成できたら、世界中の全員が幸せになれる。
大きな問題 vs 個人の能力 で直接比較してしまうと、「ゴジラに蛙は敵いませんってば…」って諦めそうになるけど、もっとシンプルに目の前にいる一人を幸せにする事を重ねて行くorそんな仕組みを作るっていう方法もあって、道筋はきっと今見えてるとこだけじゃないんだよ。
この一文だけで、そんなことを考えさせられた。
だからなにか大きな問題や目標に対して、ごちゃごちゃ悩み続けて、がっかりして、自信なくして、ふてくされるより、いったんまずは目の前の一人を幸せにすることを考えてみよう。
蛙が井戸を飛び出すためには、100mも跳ねられるようになることだけが、きっとすべてじゃないさ、うん🐸
少しの励ましが大きな活力になる燃費良い人間です!