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”大人”じゃなきゃいけませんか...?

大人になんてなりたくない。大人になんて絶対なるものか。

小さい頃から大人の裏側しか知らない私は、そう強く思っている。大人なんて、『嘘つき』『自己中心』『ご都合主義』『唯我独尊的見下し』『卑怯』『狡猾』『弱い者いじめ』『自己保身命』の寄せ集めでしかない。そんなものになってどうするのか?小学生時代、「早く大人になりたい!」と言う同級生を見て「いつか自分も”大人”になってしまうのだろうか」と怖くなったことがある。

大人になんてなりたくない。ならない。そう決めていても、ふとした瞬間「もう子どもじゃない」ことに気づかされる。例えば、夢は叶わないという現実を受け入れていたり、来年の自分が暗闇に混ざっていたり。純粋な気持ちを持ち合わせていた子ども心はすでにどこかへ行ってしまったんだと知らされる。

いや、もっと早くから”子ども”ではなかった。無邪気な笑顔を大人に向けられない。無条件に大人を信頼することができない。大人=敵を不等号にすることができない。大人はいつか裏切る。大人は大人の前では良い大人を演じる。大人は子どもの言葉を信じない。大人の言葉と笑顔は信じられない。そんな濁りのある”子ども”は最早”大人”だ。

気付かぬうちにあの醜い”大人”になってしまっていた。それが悔しくて辛くて泣いたこともある。子どものままでいたいわけじゃない。ピーターパン症候群ではない(と思う。一応今のところ、生まれも育ちも女だし)。「子どもが」とバカにされないためにも”大人”にならなきゃいけなかった。「子どもだから」と蔑まされないためにも”大人”にならなきゃいけなかった。そして気がついたら”大人”になってしまっていた。

私の素の性格を知っている友だちは「子どもっぽい」「お子ちゃま」「うちらより年下(本当は友だちのほうが3つ下)」と言ってくれる(?)。大人からは「早く大人になれ」「あんた歳いくつなわけ?大人やろ?」「あぁ、いわゆるマージナルマンね」と言われる。もしかしたら、同世代から見た私はまだまだ”子ども”で、大人から見た私は”大人”になりきれていないけど”子ども”ではない未分類の気味が悪い存在なのかもしれない。

今の子どもたちから見たら私はやっぱり”大人”なのだろうか。嘘つきで、自己中心的で、ご都合主義の言い訳ばかりして、唯我独尊的見下し特有の「あなたにはわからないでしょ」を口癖にしてるのだろうか。卑怯で狡猾で、いつも弱い者いじめをすることばかり考えて、自分に非がありそうだと悟れば自己保身命の逃げ道を何本も用意してしまっているのだろうか。君たちのように純粋なまま大きくなりたかったよ...。

”大人”になることをどれだけ拒絶しても、抵抗しても、日々を過ごしていたらいつしか”大人”になってしまう。時間の暴君さには誰も敵わない。

そうやって、アラサー中盤に差し掛かった事実からも目を背けたい。27歳なんてもっときらきらして堂々と”子どもらしく”輝いてると思ってた(゜゜ )ゲンジツ ハ ザンコク ダナァ........

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