見出し画像

ドラムをたたいたらハジマル恋っ♡


絶対にやってやる。この部活。



コレはわたしが中学生のときのおはなし。
中学時代は、3年間ずーっと吹奏楽部に所属していました。

なんで吹奏楽部をはじめたかというと、中1で部活動を決めるときあるじゃないですか。
そのとき、小学校時代わたしと仲のよかった親友が中学校で吹奏楽部をはじめるとのことで……。
わたしの答えはすでに決まっていました。


友達がやるなら…。よし!絶対やってやるぞ!

 

思い返せば当時のわたしは勢いが良すぎたかもしれません。そう、魚のようにピチピチと。(←誰か突っ込んでください)
ここで柚梨華氏の性格が分かっちゃったかもしれませんね。いとはずかし。
こんな感じのペースで柚梨華はいつもブログ書いているのでよろしくです♪


吹奏楽部生活始まっちゃいましたピース


ボロいお部屋に集められて、最初に告げられたのは、「楽器の担当ぎめ」でした。

そのちょっと前に少しおためしでいろいろな楽器に触れるチャンスがあって♪

わたしは〇〇楽器※1ができなくて

わた氏の中学校は、吹奏楽部弱小校でした。

わた氏(柚梨華)はなんの楽器を担当していたか、お分かりですか?
このブログをよーーーーーーーーーーく、目という目の間、鼻と眉間の間、口と鼻の筋の間を伸ばして見れば、分かるかもしれません。

正直者すぎるってよく言われるわたしが言います。

まあ、私の担当は..…、

NiziUです!
とくに言えば、ミイヒちゃんですかね。

わたしのこのブログを読んでくださっている皆さんの気持ちを代弁いたしましょう。

え?????

皆さんの気持ちは上記で、お間違えないですか?

なんじゃコリャ(笑)自分でも訳わかんなくなってきた。
一つ言えること、皆さんの気持ちは間違ってないです!正しいです。

さて、話を戻しましょう。 

わたしの担当はパーカッションでした。
つまり、打楽器ですね。


過酷だった、吹奏楽部時代

ここから先は

1,585字

¥ 150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?