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〈祈る〉ことの意味

日蓮宗の祖である日蓮聖人の『降誕800年』という慶事を通して、
改めて〈祈り〉という行為と向き合う事が出来ました。

みなさまは、どのような時に〈祈り〉を意識しますか。
何か困った事があった時。
お願い事をしたい時。
自分の力が及ばない事態に巻き込まれた時。
私たちは古より〈祈り〉によって、心を安定させ平常心を保てないような状況の中でも、乗り越えてきました。
決して合理的ではない行為かもしれませんが、それでも遥か昔から脈々と大切にされてきたのは、言葉では表現出来ない理由があるのだと感じます。

私は祈る事を通して〈謙虚〉になれた気がします。
自分が僧侶として歩み始めた時の気持ち、800年という日常とはかけ離れた時間軸の中での自分、そして世界中から慕われる祖師の大きさなど、自分を振り返る大切な良い機会でした。
〈謙遜〉と〈謙虚〉は似ているようで異なるものです。
〈謙遜〉は、へりくだる事、自分を下に置く事です。
〈謙虚〉は、素直な気持ちで他者から学ぶ姿勢、何事も軽んじない心です。

法華経の中には〈常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)〉という菩薩さんが登場します。
この菩薩さんは、お名前の通り「常に軽んじない」人でした。
会う人会う人、全ての方に礼拝し、敬い尊敬をしてきました。
中にはそれを疎ましく感じ、攻撃したり、罵詈雑言を浴びせる人もいたようです。
しかし、菩薩さんはそれでも敬意をもって接していきました。
その姿勢が名前となり〈常不軽菩薩〉と呼ばれています。

私たちは日常の〈有難い〉が、無意識に〈当たり前〉になり、そして謙虚さを失っていきます。
支えてくれる周りの人への恩、モノや食への恩、そして自分の心身への恩。
それらの存在が当たり前になってしまい、大切にする事を忘れてしまいます。
〈祈る〉という行為は、当たり前の心を伏せ、自身のうちに〈謙虚さ〉を呼び覚ます行為だと思います。

常に軽んじない菩薩のように、全ての人へ礼拝する事は難しいですが、日常の一つ一つを軽んぜず、大切な人生のワンシーンだという想いで日々をお過ごしいただけたいと思います。
それこそが、瞑想をするしないではなく、マインドフルに生きるという事です。

続きは随時更新していきます。
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