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『天上天下唯我独尊』の本来の意味とは?!

4月8日はお釈迦様の誕生日でしたね。
この日の前後は、お坊さん界隈のSNSも盛り上がりが最高潮になります。
お釈迦様の誕生日を〈花まつり〉とも言います。
これは、お釈迦様が生まれた時、天から甘露の雨や様々な花が降り注いだ、という言い伝えからそのように呼ばれています。
この〈花まつり〉には強烈なエピソードが存在します。
ご存知の方も多いかと思いますが、やはり生まれたてのお釈迦様の行動でしょう。
伝説では、生まれ落ちてすぐに7歩歩き、上下を指さして『天上天下唯我独尊』と言ったと伝えられます。
遠くからバイクの音が聞こえてきそうですね。
強烈な言葉と、その後の言葉を巡るヤンチャなイメージと相まって、本来の趣旨と少し異なって伝わっているのではと思います。
まず、7歩というのは六道輪廻(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)を飛び出た、迷いの世界(六道)から覚りの世界(仏)に到達する事が出来る存在ということを表します。
そして『天上天下唯我独尊』というのは、独りよがりの自惚れ的な意味の言葉ではなく、私達一人一人は、生まれ落ちた時のありのままの状態で既に尊い存在なのだ、という事を表しています。
〈私〉という存在は、何かが出来るから、何かを持っているから尊いのではなく、生まれてきた事、そのありのままで尊い存在です。
生きて歳を重ねると、様々な技術や経験を身につけ、そして肩書きや地位、名誉がついてきます。それと共に他者と比較し劣等感なども生まれてきます。
しかし、〈私〉や〈あなた〉という存在は、身につけた技術や地位名誉とは関係なく、まして他者と比べての優劣など関係なく、存在そのものが尊い、その事をもう一度噛み締める日が〈花まつり〉であり、お釈迦様の誕生日なのです。
ぜひ、4月8日はお寺にお参りに行って、本堂でお釈迦様に手を合わせてください。ありのままの自分を大切にする時間を作ってください。

ところで、お参りには付き物のお寺の〈参道〉ですが、お寺によって長い短いの差はあれ必ず存在します。路面に面しているお寺であっても、お堂までの距離があり、そこを歩いて行って、お堂の前でお賽銭をポンッ。合掌。結婚できますように!とお祈りすると思います。実は、お寺にとってこの〈参道〉は、とっても大切な意味が込められています。もちろんお参りに来た人が、イザお寺!って心を整える時間でもあるのですが、実はもう一つ隠れた意味があります。

それを話す前に、お寺って何する場所だと思いますか?法事したり、祈願したり、修行したり、勉強したり・・・色々役割はありますが、強引にまとめるとお参りに来る前の自分を捨てて、新しく生まれ変わる場所って事なんです。お寺で時間を過ごし、新たな自分に生まれ変わって、また来た道を通って家に帰っていくんです。お寺ってのは、新しい自分に生まれ変わる場所なんですよ。

気がつきました?そう、もう一つの意味は〈産道〉なんです。

産道を通って、お母さんのお腹へ戻るが如く、仏様のもとへ行き、仏様の前で世間的な“地位”“名誉”を全て捨てて、一度スッピンになり、また産道から生まれて帰っていく。これが〈参道〉の隠された意味なのです。

これから毎年4月8日の〈花まつり〉には参道を通って、さまざまな身につけたモノ、地位、名誉、肩書き、思考などを一度脱ぎ捨てて楽になり、自分という存在そのものに感謝する日にしてみてはいかがでしょうか。
ありのままの自分を肯定する日、それがお釈迦様の誕生日なのです。

aggo 'hamasmi lokassa.
 私は世界の中で最高の存在である。
jeṭṭho 'hamasmi lokassa.
 私は世界の最年長者(優れた存在)である。
seṭṭho 'hamasmi lokassa.
 私は世界の最勝者(最上の存在)である。 
               [MN Ⅲ.123.21]

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