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塩を一トン舐められますか?

前回のマインドフルネス瞑想@オンラインの中で、ある方から、このような質問を頂きました。

「多くの人を分け隔てなく許し、信じ、愛せる秘訣は何ですか?」

とても難しい問いです。いくら考えても自分の答えが導き出せず、色々浮かんでは来るのですが、やはりフィットしない。
とりあえず「多くの人を分け隔てなく」の部分を含むと漠然としてしまうので、「人を許し、信じ、愛せる秘訣は何ですか?」に変換して考えてみました。

その問いをあれこれ熟考していく中で、私の中にある気づきが生まれました。
それは「許すこと」は大切だと思っているけど「信じる事、愛する事」は重視していない、という事です。
もちろん人を信じる、愛せるという事は大切で重要な事だと思っています。
しかし、それは自分にとって極めて受動的な行為です。
自分の経験上「許すこと」は能動的に行います。それは「許した方が自分が楽になるから」という理由もあります。
でも「信じること、愛すること」は能動的には出来ません。
時間をかけていつの間にか「信じている、愛している」のだと思います。
だから問われても秘訣が思いつかなかったのだと気づきました。
これは問いなので、人によって考え方も感じ方も様々だと思いますが、普段意識を向けない場所にまで意識を向けられて、さらに自分の中の知らなかったか価値観にも触れられ、なにやらスッキリしました。
難しい問いだからと、考える事を諦めない事は大切ですね。

須賀敦子さんの著書に『塩一トンの読書』という本があります。
その中でイタリア人の姑に言われた「一人の人間を理解する為には、少なくても塩一トンを一緒に舐めなければダメなのよ」という言葉が出てきます。
塩はそんなに頻繁に使うものではなく、しかも使うときは少量です。
その塩を一トン舐める、というのはとてつもなく長い時間を共有する事を意味しています。
先の問いの中で「信じる、愛すること」は、塩一トンを一緒に舐める中で生まれてくるものだと思っています。
その人の一側面だけを見て、信じる、信じないと判断したり決めつけてしまうのではなく、長い時間付き合ってみる。そして自然に信じてしまうくらい時間を共有する、とても受動的な行為ですね。
というわけで、問いの答えは「塩一トンを一緒に舐める」になりました。

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