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REVIEW : ジュリアン (Jusqu'à la garde)

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今回はフランスで去年公開になった映画「ジュリアン」についてです。監督のグザヴィエ・ルグランは今作が初めての長編映画とのことですが、フランスで大ヒット、第74回ヴェネツィア国際映画祭では監督賞受賞、その他の映画祭でも様々な賞に輝くというセンセーショナルなデビューとなりました。

そういった前評判を様々なところで目にしていたのでものすごく上がっていた期待値でしたが、実際に映画を観終えた時にはそれを軽々と飛び越えたところで興奮と動揺をしてしまうような映画体験でした。

今作はある家族、母親のミリアムとその夫のアントワーヌ、そして二人の子ども、姉ジョゼフィーヌと弟のジュリアンの物語です。両親はすでに離婚しており、姉弟は母親と暮らしていましたが映画の冒頭で行われる親権を取り決める調停によりジュリアンは二週間に一度の週末は父親と過ごすことが義務づけられました。

映画はこの調停のシーンから始まります。双方の言い分は全く異なっており、母親側の弁護士は、息子のジュリアンは父親には会いたくないと言っているとこれ以上なくハッキリと告げます。その他にも父親の乱暴な素行について指摘をするのですが父親側の弁護士は真っ向からそれらを否定。そして何より、子どもから父親を奪うなんてあってはならない、と主張します。

そうして物語はジュリアンが隔週の週末に父親と過ごすという爆弾のような緊張感を抱えたミッションの中進むのですが、作品の中の時間軸を利用した印象づけが素晴らしいと思いました。我々観客は最初に見せられた調停シーンによって、状況に混乱し、人物たちの小さな挙動や発言に真意を探します。そんな疑いレンズが最大級に分厚くなったメガネを通して見る、父親と目を合わせようとしない小さなジュリアンと…なんとも言えない体格をした(大男)の父親のやりとりよ… 酔うほどの緊張感!

ジュリアンがシートベルトをし忘れたことによって車中に響く小さな音、父親がジュリアンにまずかける言葉、ジュリアンが無言で誰にも気付かれずに行うこと、そういった映画にちりばめられた小さな小さな印象が重なることによって物事に対しての見え方が移ろいでいきます。そうして物語が向かう運命へと時限爆弾の音がひたすら鳴り続けるように確実に近づいていきます。そのすり減らされる感覚が特段、素晴らしいのひとことに尽きます。

緩急の「急」の部分の全てを担っているかのようなラストは必見中の必見です。映画はいつだってラストシーンを経て終わりを迎えるのですが、あんな風に終わりを体感しきったことは今までありませんでした。

恐怖に振り回されてしまうジュリアン役のトーマス・ジオリアくんの言葉にできない思いを表現しきる演技は心が痛くなるほどでした。そしてなんといっても父親役のドゥニ・メノーシェの『人相』という言葉では片付けられない、見た目からもじわじわと伝わってくる触れちゃいけなさ、とんでもなかったです。幅広く、重ための瞼の下に見える眼球の冷たさといったら!一気にファンになってしまいました。

人間とは、何層にも重なった人格があると思うのですが、様々なスイッチがつけられたことによって恐ろしい側面が露わになる瞬間にも立ち会える映画です。そして何よりも、「私は生まれ変わった」というフレーズほどマジで信用ならない言葉の並びはないなと改めて思いました。

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