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テキーラ漬けの2年間。

今から約2年前。

京都でテキーラハウスと言うシェアハウスを作りました。

ENISIYAというCafe&Barのメンバーの大将谷さんと3人で住めば安い、しかも店も近いし楽やん。という安易な理由で始めたシェアハウスでした。


僕は一番歳下で卒業したところの社会人一年目(一応)でした。


今回はテキーラハウスについてさらっと振り返ってみようと思います。

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とは言ったものの、

テキーラハウスでは思い出がありすぎてどう書けばいいか、全く思いつきません。

とりあえず社会人のめんどくささと、人とのつながりの大事さを痛感した2年間でした。

-テキーラハウスを振り返る-

まず開始一ヶ月目で全員が借金を背負うところから始まります。

飲食店の1周年記念で大きく打ち出したパーティーはお客様は大満足、結果大赤字という波乱の幕開けとなり、早速全員が境地に立たされました。

当時は全員個人事業主。
今からビジネスを作り上げていく段階でのマイナスは計り知れないプレッシャーで今ではどうでもいいことで自分たちの価値観をぶつけ合い、もはや討論ではなく口喧嘩みたいになってる日もありました。

ただネガティブなことを行ってばかりじゃ何も進めないのでとりあえず紙に目標などを書いて壁に貼りまくりました。

一時期壁一面が紙だらけになってた時期もありましたね。

遊びに来てくれるお客さんとかも書いてくれました。

カーペットも机も、テレビもないリビングにはとても映えました。

そして初めての夏。

当時僕は個人で飲食店コンサルと回線営業会社の外部役員でなんとか家賃と光熱費を払えるような生活でした。

190円でいける烏丸にさえママチャリをこいで仕事に行かないといけるぐらいの毎日。追加でもらった銀閣寺の店舗ももちろんチャリで往復していました。(遠すぎた。)

毎日ご飯を3食なんてもってのほかで、隔日で昼か夜を食べないと決めて節約に節約を重ねていました。

その後何社の会社や事業の立ち上げに参画しましたが、返済などもあるのでそこまで生活が激変するわけでもなく、大阪に行くたびに1食、いや、2食ぐらい減って行き、むしろマイナス?みたいな状況でした。(死ぬかおもた。)


そんな感じで1年目があっという間に過ぎ大将が同棲するため脱退、何人かが住んでは抜けてを繰り返し今は4人になりました。


そんな3人から始まったテキーラハウスには写真では挙げ切れないほどのお客さん(ほとんど学生)が遊びに来てくれて、住人全員とても勇気付けられました。

少なからず自分たちのことを頼ってくれる人たちがいてくれたことはとても大きな心の支えであり、軸でした。


本当にありがとう。


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社会人になり今でもうすぐ三年目に入ります。

お陰様で、お金を稼ぐ経験、恋愛、旅などのプラスの経験も、

友人の死や先輩の自殺、人生とは何かを考えさせられる経験も、

他にも多くの経験をしてきました。

そしてこれからも様々な経験をこれを読んでくれているあなたとしていくと思います。


3月より拠点を大阪に移します。

まだまだしたいことばかりです。

まだまだ皆様に迷惑をかけると思います。


ただ、今まで以上に面白いことができるはず。

ぜひ何かこれからもご一緒できればと思います。


そんな感じでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。


連絡くれれば飲みにでも連れてきます。




知らんけど。


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