見出し画像

戦っている心のために。

昔のこと、社員が何人か、辞めてしまったため、怒涛のごとく忙しい日々を過ごしていた時期があった。あまりにも忙しいと、ふと、自分をどこかに置き忘れたような、そんな気持ちになってしまう。

うまく言えないけど、体が勝手に動いてるみたいで、ちょうど、玄関のカギを閉めたかどうかを、ちょっと思い出せないような感じ。

そういえば、昔、車で通勤していた頃、とても忙しい日々が続いていて、帰りの車の中でも仕事のことを考えていて、ふと、気がついたら自宅に着いてたってことがあった。そこに40分もの私の空白の時間があって、思わずその間、頭の大きな宇宙人が、私の体に何か得たいの知れないものを埋めこんで記憶を無くしたんじゃないかと思った。

ま、それはともかくとして。

たぶん、体がいつもの行動パターンを覚えていて、そのとき、心とまったく別になっていて、勝手に私の体が運転して、勝手に私の心が別のことを考えていて・・・そんなふうに、大変なことになっていたんだと思う。今思えば、よく事故を起こさなかったなぁと、今になって恐ろしくなる。

なんにしてもそうだけど、根をつめると、どこかずれが起きてしまう。心と体って、まったく一緒のようでいて実は、まったく別の生き物のような気がしてならない。

ただ、偶然にして互いが共同生活をしているようなものだと思う。

この共同生活の中で、二人(体と心)がうまく付き合って行く術を、私たちはもっと、大切にしなきゃいけないんだと思う。

心が病んでいる時には、体が元気でなきゃいけないし、体が病んでいる時には、心が元気でなくちゃいけない。両方とも病んでたら、どうしようもないもの。

あの頃、ある女性から、とても苦しくて辛そうなメールを頂いたことがある。直接は書いてはいなかったけれど、私に何か小さな救いを求めているような気がした。そんな私の思いもあってか、私なりの言葉で、彼女に返信メールを送った。

もちろん、私は彼女の本当の辛さをすべてわかっているわけじゃない。所詮、私は私であって、決して彼女にはなれない。私が何を書いたとしても、それはただの気休めみたいな言葉にしかならず、何も残らないものかもしれない。

それでも人は辛いとき、心は大切な何かのために戦っているのだと私は思う。

私たちは、ひとりのようでいて、実はいつだってひとりじゃない。この心は、生まれてから死ぬまでずっと、決して離れることのない、かけがえのない相棒なんだ。

私が彼女に送ったメールの中の詩のような言葉。(今読み返すと、かなり照れる。なに、かっこつけてるんだか。)元気になって欲しくて一生懸命書いたのを今でも覚えている。

今が辛いと思う気持ちは、そのとき君の大切なものを、心が守りたいがために、戦っている証拠なんだと思う。負けないで、傷つきながら戦っているその心のために。 青木詠一

その翌日、彼女から長いメールが届いた。「ありがとう」から始まるメールを、私は何度も読み返した。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一