忘れてしまおう、ということ。

サービス業の私の休みのほとんどが平日だ。週末の忙しさに体も心も疲れ果て、それを癒す私の手段は、近くの温泉だ。

人の少ない平日の温泉は、私の心のオアシスと言っていい。

私は朝の開店と当時に温泉に入る。一番風呂が最高なんだ!でも、すでに常連客のおじいさんが、何人か入っている。いつも先を越されている。そして私はいつもとても不思議に思う。この人たちは、開店前からもう入っているのか?

ここは田舎のこじんまりとした温泉だから、そこはとてもゆるいのかもしれない。まぁ、いいか。

大きな窓から朝の太陽の陽ざしが射し込む。湯船に波が起こるたびに、キラキラと輝きも波に乗ってゆらめている。そのたび私は、ここは天国だろうかと、一瞬思ってしまう。

湯船につかっていると、私の頭の中のいろんなことが、ぽわぽわと浮かんでは消えてゆく。つくづく私は思うのだけど、今はあまりにもいろんなことを知りすぎるから、たぶん、心が追い付かないのだと思う。だから人は体以上に心が疲れてしまう。

知ったことを忘れるのは、案外難しいのではないかと思う。いや、そんなことないよ、人ってすぐに忘れるよ、って思うかもしれないけれど、それは表に出ないだけで、脳や心の中ではしっかりとインプットしてるんじゃないかと思う。

なんとなくだるい、もう動きたくないとか・・・そんなとき、心に一杯いろんなことをため込んでいるせいじゃないかと思う。

今、私たちの大切なことは、情報を得ることではなく、忘れることなのだろう。今はもう、情報を得ようとしなくても、向こうから勝手にほらって、よこしてくる。勝手に懐に投げ込んでくる。

もう、私たちは、それを避けては通れないのだろう。

なんて思いながらも、私は湯船の中で少年に帰ってゆく。ぽわぽわと心が漂ってゆく。誰かが湯船に入るたびに、誰かが湯船から出るたびに、少し大きな波が起きて、私の体が揺れてゆく。これが満員電車なら、たまったもんじゃないけれども、日常の中の、うっとうしいようなことも、ここでは、それがとても心地いい。

そうなんだ、私たちは忘れてしまおうということでさえ、ぽーんとどこかへ忘れてしまおう。

心はもっと軽くていい。心はもっといい加減でいい。どうして生きているのかでさえ、人は何も知らないのだから。何にも教えられていないのだから。

温泉から出ると、すっかり体が軽くなった。それは心が軽くなった証拠だろう。太陽も少し高くなって、とてもいい天気だ。

さてと、次の私の楽しみはカメラ散歩。この温泉の近くには、私の好きな小さな草花たちがいっぱい咲いている。

お!ススキがいい感じできらめている。

写真を撮ろうとカメラの電源を入れる。
すると画面にメッセージが表示される。

「メモリーカードが入っていません」

ああああああ、あああああ!
私のバカ!私のバカ!(X10回)

いつも出掛ける前は、ちゃんと確認するのに、忘れてしまったか。

・・・まぁ、いいか。

ススキはまた、今度撮ろう。

この風景は私にとっての大切なもの。

人生には、忘れるべきことと、いつまでも心に残すべきものがある。

これは忘れないでいよう、とそのとき私は思った。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一