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私を忘れた母の想い出。

あれはいつのことだったのだろう?

私が二十代の頃だったか、実家に久しぶりに家族や親戚が集まったとき、たくさんの料理や美味しいお酒を飲みながら、母が上機嫌で思い出話に花を咲かせていたことがあった。

そんなとき、ふと、母が私の幼い頃の思い出話をしはじめたのだった。

家の近くの川に、母と二人でお弁当を持って遊びに出掛けたら、魚に驚いた幼い私が、突然、大きな声で泣き始めたとか、そうかと思ったら、お弁当のたまご焼きを、美味しい!って何度も言いながら、母の分のたまご焼きも全部食べて笑っていたことや・・・。

私はその話を、とても不思議な気持ちで聞いていた。

なぜなら私は、全く覚えていなかったからだ。母の中で、私の知らない私がずっと、想い出として忘れずにいる。そう思うと、うれしいような泣きたいような、そんな複雑な気持ちが込み上げて、やがて私は、幸せに包まれていったのだった。

どうしてそんな昔のことを思い出したのだろう?

仕事が一段落した夏の終わりに、私は故郷へ車を走らせながら、ふと、そんなことを思っていた。

母は今、実家近くの病院にずっと入院している。1年ぶりに実家に帰った私は、病院へ母に会いに行った。

4人部屋の病室のすみっこに、母を見つけた私は、ベッドで窓の外を見ている母に声を掛けた。耳が遠くなったせいか、なかなか私に気づいてくれない。私は少し大きな声で何度か呼びかけてみた。するとようやく、母はこっちを向いてくれた。

やっと、母と目が合った。
でも・・・

母が私を見つめる瞳は、哀しいくらい無表情だった。

ただ、黙って私をじっと見つめている。言葉もなく、ほんの小さな声すら漏らさず・・・。そんな母に、私はずっと何も言えないで、ただ、立ち尽くすばかりだった。

母は恐らく私が誰だか、もう、わかっていない。

母は認知症が進んでしまい、あまり話すこともしなくなった。飲み込む力もなくなってしまい、食べることがうまく出来ず、今は点滴で、必要な栄養を取っている。笑うこともしなくなり、まるで何の楽しみも感じることなく、ただ、生きているだけのように見えた。

無表情で、ずっと私を見つめる母。

そんな母を、私は生まれて初めて見た。私を見つめる母の表情は、いつだって陽だまりのような柔らかな優しさがあった。今はもう、そのひとかけらも見つからない。

この世で一番、深い哀しみは、たぶん、こういうことなのだろうと思った。涙さえ、流す余裕がなかった。

私を忘れた母がそこにいる。

何の感情も言葉もなく、ただ、じっといつまでも、私を見つめ続けている。思わず私は、今、ちゃんと私はここにいるのだろうか?ちゃんと生きているのだろうか?と、ほんの少しだけ不安になった。

ふと、自分の手を見つめた。そしてまた、母を見つめた。そうすれば、またあの頃の母に戻っているんじゃないかと思った。

でも奇跡は起こらなかった。母は、まだ、私を見つめ続けている。ずっとずっと笑顔もなく言葉もなく、ただ見ている。もうそこには、あの頃の母はどこにもいなかった。

そんなとき、また、私はあの頃を思い出していた。

美味しい料理とお酒に上機嫌で笑っている母を。私の幼い頃の思い出話に、花を咲かせている母を。今の私に出来ることは、それでも私の忘れた想い出は、まだ、母の想い出の中にあるのだと、ただ、ひたすらに信じ続けること。

母の分のたまご焼きを食べて笑っている私が、
魚が怖くて、大きな声で泣いてる私が、
今も母の中で輝いている。

ずっと、ずっと忘れないでいる。
そして母は、今もきっと
そこで幸せに笑っているのだと。

私は母の手を取って、
やがて、別れを告げて病室を出た。

そして、ひとり、

静かに泣いた。


最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一