あきらめたくない。

この頃、いろんな問題を抱えていた。どれも私の間違いによるものだからどうしようもない。ある人が、私に対して怒っていた。具体的には書けないけれど、私の準備不足でその人の仕事に不具合を起こしてしまったという事態になった。

それに気づいたときには私は、本当に申し訳なくて、その人に何度も謝った。けれども、それは仕事でのことだ。謝って済むことじゃなかった。私は誰にも助けを呼べずに、その事態を解決するため、一人で黙々と作業を進めた。

怒っているその人は、捨て台詞を何度も吐き出す。「もう間に合わない」「無理だ」と否定的な言葉ばかり。私はここにいないかのように、顔はよそを向いたままだ。どれもその根源が私なので、まるで透明人間のような私は、何も吐き出す言葉はなかった。

外での作業だったので、汗がとめどなく流れだす。それは猛暑の午後2時だった。我慢していた私にも、だんだん怒りがわいてくる。「どうして私ばっかりが…」という気持ちが次第に生まれてくる。そうなったら、それはかなりまずい状況だ。

確か人の怒りは数秒しか持たないだったか、ゆっくりと深呼吸でもすれば、怒りは収まる、とかなんとか、前に読んだアンガーマネジメントの本に書いてあった。

5分経っても、10分経っても収まらない。完全に心は暴走してしまってる。それでも私は我慢しつつ作業を進める。なんとか終わった。そしてそのことも、何とかなりそうだった。「ここにあなたのサインをお願いします」とその人は言った。私は「本当に申し訳ございませんでした」と謝りつつサインをした。

するとその人は言った。「このサインはあなたに責任を取ってもらうためです」と。その人も相当、怒りが収まらなかったのだろう。私はその言葉を聞いて怒りを通り越して虚しくなった。現実的に考えれば、この件は、これで終わったことのはずで、その言葉は過剰すぎるものでしかない。ただ単に、私を攻撃したいがためのナイフに過ぎなかった。

荷物を載せ、その人は、次の目的地へと車を飛ばした。

私は一人残って空を見上げた。

少しだけ空がオレンジに染まっている。腕がしびれて疲れ切ってしまった。たぶん、体も心も。

忙しすぎる毎日。でも、仕事で「忙しいから」は理由にならない。理由にすれば「能力不足」、「タイムマネジメントが出来ていない」などと、変な言葉が飛び交うだけだ。私はそんなに完璧な人間じゃない。いや、完璧じゃないのが人間じゃないのか?みんなネットに頼りすぎて、人間もネットみたいに完璧な答えがすぐに出てこなきゃおかしいような、そんな思い違いをしていないのだろうか?

なんて・・・

こんな人生でいいのかなぁ、と思わず心の中で叫んだ。

その件が終わると、また、次の問題が発生した。それもお金とか経費が絡む問題で、私の責任という形になった。発生した原因は、私が伝えたことを、相手が間違って解釈してしまったことにあった。

また、怒っている人に対して、私はお詫びをしつつ、説明をする。本当は、私じゃなく、その人が・・・と言いかけたがぐっとこらえた。たぶん私の言葉が足りなかったせいだ。何の解決にもならない。その件も私が責任を取る形で終わった。

経費削減で人は削られ、心も削られ、忙しすぎる毎日に、心があらぬ方向に曲がってしまう。

私はまた、空を見上げる。月がとてもきれいだった。

こんなことは何度も経験しているはずなのに、今回はちょっと違うなぁ。そうかぁ。昔の私はただ、これらのことに、あきらめていたんだ。なのになぜだろう?今は、あきらめたくない。そんな気持ちが私に何かを訴えている。

それはいいことなのだろうか?

疲れ果て、夜遅く家に帰ると「おかえりなさい」という、優しい言葉が返ってくる。私の心に小さな明かりがゆっくりと灯る。ふと、冷蔵庫を開けると、普段は買わないのに栄養ドリンクがあった。

「お疲れでしょ」と彼女が微笑む。

あきらめたくない、というその理由が、
なんとなく、わかったような気がした。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一