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死を近くに想うとき。

なんとなく心が少し苦しいなぁと思うとき。私の場合、そのほとんどが、仕事での人間関係だったりするのだけど、そんなとき、私はよくぼんやりと、どうでもいいような空想をする。

さっき、思ったのは「もしも私がもう一人いて、こんな私を見たとしたら、どう思うのだろうか?」ということ。

もう一人の私と言っても、あくまでそれは他人の設定で、単なる仕事仲間でたまに話す程度の仲。だから同じ自分だとしても、心の中までは分からない。要するに、もう一人の自分だけど、まったくの別人だ。

もう一人の私が、何やら椅子に座って悩んでいる。ほんの少し苦しそうだ。私は話しかけようかなと思うけど、なんとなく気が引けた。ちょっと話しづらい雰囲気があるなぁと思った。他人を寄せ付けないというか。

でも、ちょっとだけ勇気を出して話しかける。

「今日は天気悪いなぁ。雨が降るのかなぁ」

なんて、他愛のない天気の話し。

「あぁ、そうだね」ともう一人の私はパソコン画面を見つめながらポツリとつぶやく。何やらずっと仕事をしている。しばしの沈黙。そうして私は、たぶん、そのまま通り過ぎてゆく。

そんなイメージ。

あぁ、そうか。私って少し、めんどくさいヤツなのか。(なんか笑ってしまう。)もう一人のこの私でさえも、こりゃあ友達にはなれないかもなぁなんて思った。

それは少し寂しい気がしないでもないけど、でも、私は誰かに好かれるために生きてるわけじゃないし、じゃあ、何のために生きてるの?なんてそんなことは、近くの川にでも放り投げればいい。私は私のしたいままに、ただ、ここにいたいだけなんだ。

なんだか今日は、心が冷めてるなぁ。
まぁ、こんなときもあるさ。
いつもと違って、思うままにこれを書いている。

でも、このもう一人の私(他人設定)って、ちょっと面白い。簡単に自分を客観的に見ることが出来る。普段、自分なんて、鏡か写真でしか見れないもの。この私がもう一人いる。それを見て「あ、友達になれそうにないな」と思ってしまう。思わずちょっと苦笑い。

でも、やっぱりわかったことは、他人が私を生きづらくしているのではなくて、私が私を生きづらくしているのだいうこと。あらためてそれに気づかされる。心が苦しいときは、いつも決まってそんなふうに、心が勝手に決めつけてしまっているんだ。

人はどこか死というものを遠い出来事だと思っている。当たり前に朝が来て、嫌だなぁとか想いながらも、仕事や学校など、それぞれのゆくべき場所へとゆく。今日死ぬかもしれないなんて、同じ生活をくり返している、そのほとんどの人たちは思わない。たぶん、現実にも起こらないだろう。

私はいつも死ぬことを考えている。いや、語弊があるな。いつか死ぬかもしれない、そのことを思っている。自分で死にたいとは思わない。かつて思ったことはある。でも、その必要は、ないと私はわかっている。いつか自分は死ぬのだから。

生まれてやがて死にゆく。そしてまた生まれてゆく。この世のすべてが、その定めに従っている。それは見えない何かにとって、変えることのない摂理なのだろう。

もしかしたら、この世は少し、地獄に近い世界なのかもしれない。こんなにも多くの試練を誰もが必ず経験をしてゆく。そんな中で、試練を乗り越えた先に人は、必ず生きがいを感じることが出来る。

あの世とかを信じてるわけじゃないけれど、この人生を全うしたら、きっと、次のステージは喜びに満ちた場所なのだと思う。もしも全うできなかったなら、死んで楽になれるどころか、もっと、苦しくなるのかもしれない。こんなにも人生は辛いのだ。そうじゃなきゃ割が合わない。私はそう信じてもいいのだと思う。次はきっと喜びに満ちてる。それは人生を全うすることがきっと条件だ。

ただ、生きているだけでいいのだ。生き抜くなんて身構えなくてもいい。生きて、そして、好きなことをすればいい。その好きなことが、誰かの笑顔につながればいい。

人生はただ、単純に、たったそれだけでいいのだ。

でも、人は何度もそれを忘れてしまう。また、いつものような日々を過ごしてしまう。仕方ない。忘れたり失敗するのが人間だ。少し地獄に近いこの世のそれが、余計なオプションになっているのだろう。

忘れてもいい。失敗してもいい。生きてさえいれば、すべては自然となんとかなる。それでも今を生きているこの世のすべての人たちがその証拠だ。失敗したら終わりだなんて思わなくていいんだ。

そうは言っても苦しいよ。
うん、それでいいよ。

苦しいは心が戦っている証拠なんだ。そうして心は強くなる。苦しまない人生なんて、ありえない。そんなときは、思い出せばいい。初めて恋した時のことを。初めて勇気を出した日のことを。

苦しかったよね。
でも、がんばったよね。
信じられないくらいのあのときの自分は。

それがどんな結果に終わったとしても、必ず言えることは、ひとつ。心が強くなったということ。それは誰かを、そして自分を助けることが出来るということだ。

それだけで、この人生は素晴らしいと言える。

それでいいんだ。

さぁ、私はどうしようか。もう死んでもいいのかもしれない。いや、でも、それは、きっと今じゃなくていい。それでもどこか辛いなら、明日また、もう一人の自分に声を掛けてみようか。

もしかしたら、もう一人の自分の正体は、それは嫌いな上司かもしれない。苦手な友達かもしれない。それは互いにどこか似ているからかもしれない。自分のことが嫌いだと思うなら。

それでもいい。

「おはよう」と一言、交わすことが出来たなら、
たぶんそれで十分だ。

ただ、自分を生きてゆこう。
それから誰かを愛してゆこう。

私たちは、それでも同じ時を生きている、
限られた人生の仲間なのだから。

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最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一

ありがとう。感謝です。
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優しさ/悲しみ/人間関係/接客/クレームを描いたエッセイ「それでもお客様は神様ですか?」(大和書房)を出版「いくつもいくつも咲くために。言葉は小さな葉っぱなんだ」をテーマに今を生きる心のエッセイ・詩・写真を公開中。日本能力開発推進協会のメンタル・上級心理カウンセラーの資格を取得。

コメント3件

一回 死にかけてるから 感覚が狂ってるかも あたす笑
ふゆほたるさん、コメントありがとうございます。私も一度、病気で死にかけました。今はとても元気ですが。そんな経験って本当に大切ですよね。私も感覚が普通じゃないかも?笑 なんとなく「辛いな~」って思う人が、偶然、私のエッセイを見て「そんなものかな~」なんて思ってくれれば…なんて思いながらつらつら書きました。死を近くに想うとき、それは、生きたいという心の叫びなのかもしれません。
『死にたい』って言葉は『一過性』のものでも『死んで』しまったら それは『永久』になってしまう😌

だからこそ 命は 丁寧に 育てなくてはいけませんね✨
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