お叱りのメールと生きる想いと。
この頃、日本は多くの災害に苦しむことが増えてきている。テレビのニュースで、様々な災害に苦しむ人々の映像を見るたびに、私は思い出すことがある。
私が昔、ホームページで日記を書いていた頃。その日記の中で、何の気まぐれか、たまたま夢の中で見た災害の出来事を書いたことがあった。
私の夢の中で大きな地震が起きて、体が思うように動かずに、私は子供を助けることも生きることも、ついにはあきらめてしまったという、そんな日記を、あまり深く考えもせずに何気なく書いた。
もちろん、それは夢の中のことだから、自分の本意でもなんでもなく理由も何も存在しないけれど、その日記について読者からお叱りのメールをいただいたことがあった。
「私は一生懸命に生きようとし、そして、子供も助けた。そんな軽はずみなことを書くな!」
それは、過去の大震災に遭われた方からの一通のメールだった。
私は言葉を失った。
私は時間をかけて、そのメールの返事を送った。
「夢の話とは言え、そういう人達にとっては希望を削ぐものだった」と。
そして、その人からすぐに返事が返ってきた。
「夢の話とわかっていながら、随分と大人げないことを書いてしまった」と。
この世の中には、人の数だけそれぞれの人生があって、そして、それぞれの譲れない想いがある。私が書くネット上の日記やエッセイに、快く思ってくれている人もいるのかもしれないし、不快な思いをしている人もいるのかもしれない。
すべての人に好まれる文章や言葉なんて、きっと何も存在しない。ただ、こんな苦しい時の人々の希望は、やはり唯一、「救い」というその想いだけだ。
”あきらめる”というその言葉は、もっともその対極側にある。私はその言葉の中で、少しでも早くそれに気づくべきだったんだ。
あれから長い時が流れた。
そして私は、今はその人と同じ想いでいる。
生きてゆくということは、決して”あきらめる”ことではなく、”大切な想い”をきっと、愛すべき人たちに伝え続ける。
ただ、そのことなのだと。
私の心のどこかに、希望を失いそうなとき、時折、あの時の言葉が、その人の本当に言いたかった想いが、時と共に鮮明になる。
それはただの怒りではなく
”一生懸命にただ、生きろ”という
心からの励ましなのだと。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一