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いつかシャボン玉のように。

こんな忙しさはいつものことなのに、なぜか私はあの頃のことを、ふと、思い出していた。

それはまるで嵐のような忙しさだった。接客でのどはカラカラ、あちこちから聞こえてくるお客様の呼び声。その度に誰かが叫ぶ「少々お待ち下さい」の声。

誰かのちょっとしたミスが、イライラを倍増させる。誰かのちょっとした配慮が、そのイライラを落ち着かせてくれる。

そんな中でのお客様の明るい笑顔と怒った顔。「ありがとうございます」と「申し訳ございません」が、あちらこちらで行ったり来たり。お客様に感謝されたり怒鳴られたりしながら。

この仕事は、私に小さな人生を思わせる。

あの頃、ナイフのような誰かの言葉に私は深く心を傷つけられた。もうどうでもいいような気持ちにさえなっていた。

でも、ある日のこと・・・

それは突然だった。忙しさの中、ほんのわずかな私だけの時間に、私の中から、憂鬱な気持ちだけが、まるでシャボン玉のようにふんわり浮かんでは、はじけてゆく。浮かんでは、消えてゆく。

それはまるで夢のような、私だけの至福の時だった。

嫌な心だけがシャボン玉に包まれて、そして消えてゆく。私の中で何かが浄化されてゆくみたいに、どんどん心が軽くなってゆく。

時の流れがこんなふうに、心を癒してくれる。私の人生の中の、繰返される辛いこと悲しいこと。あんなにひとりで泣いたのに、あんなに悔しかったのに、いつしか笑って話している。

時の流れが苦しんだだけ、いつか過ちを許してくれる。

そんなこと、私は危うく忘れるところだった。時はきっと風のように、ただ、過ぎてゆくものではなくて、流れてゆくものだと私は思う。それは川の流れのように、過去も未来も続いている。だから人は過去を振り返り、未来を夢見るのだろう。

たとえ今が辛くても、時の流れに身をまかせれば、いつかきっと大きな海に流れ着く。たとえ泳ぎ疲れて沈んでも、それはそれで私の人生。深い海の底から見える太陽の輝きでさえ、天国のように見えるのだろう。何かをあきらめ捨て去るほど、この人生はひどくない。

もしも、あなたが辛い時を過ごしているなら、もしも悲しいだけの夜を繰返しているのなら、何も出来なくていい。時の中、ただ流れてゆけばいい。

いつか、あなたの心の中に、シャボン玉が生まれますように。小さい頃、夢中で追いかけては消えていった、あのシャボン玉のように、あなたの中の嫌な気持ち、すべて包んでふんわり浮かんでは消えてゆくように。

私はただ、祈っていたい。

いくつもの時を越えてきた。こうして今を生きている僕らは、どんな哀しみも乗り越えてきたことを、いつも、ただ、忘れないように。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一