見出し画像

僕の「教育」実習

僕は今日、三度目の教育実習にむかう。

大学で教育学を専攻し、地元の中学校に三週間お世話になったことが一度目。
この時は社会科教員になるため、生徒をよく観察して、よく関わった。自分の経験すなわち「心震えてシビレるような生の経験」があまりに乏しいことを自覚した。

ドイツに交換留学し、現地の小学生(10〜15歳)に日本文化の授業と題して活動をしたことが二度目。
この時は教職など関係なく、自分が考えたオリジナルの企画を、ドイツ人の学生にサポートしてもらいながら全てドイツ語で行った。国籍も性別も関係なく、子どもたちと"人間対人間"で関わる貴重な経験ができた。
一度目の時に比べて、いわゆる一般的な「教育」とは少し離れた –教職という「役割」よりもっと柔軟な–「シビレる、シビレ合う」と言う意味での、僕が信じる「教育」に近いものとなった。

そして、今日から二週間。
僕は、尊敬する長谷川彰良さんが主催し、渋谷で開催される「半・分解展」に、受付として協力させていただく。
僕にとって三度目の教育実習だ。

長谷川さんとの出会い、関係については「わたしとはなす」という題名でnoteに投稿しているので、興味があれば読んでほしい。

一度目、二度目と比べてさらに、今回は「教育」というカテゴリに全く属さないお仕事である。
しかし、教育とは「より善く生きようとしている人間の、そのはたらきをさらに活発にしようと支援し触発すること」だと観ている僕にとって、今回の取り組みこそ、本当の意味で「教育」実習なのだ。

長谷川さんは、旧き衣服の分解研究を通して、自らが体験した"感動"を探求されている。僕には長谷川さんこそ教育者だと観える。

自分が心躍ること、シビレること、涙すること。
それはいったいなんなのか。
自らの「善さ」を問い続け、表現し続けてゆくこと。そしてその問い、表現にシビレた他の人が、さらにその人自身の「善さ」を掘り下げることになる。この触発、シビレ合いこそが、僕が信じる「教育」なのだ。

「100年前の感動を100年後に伝える」という長谷川さんの使命に、僕が恐れ多くも参加させていただけることは、教育者としてこの上ない喜びで、至極の経験になることは間違いない。

これから二週間、全力で長谷川さんの活動をサポートし、僕自身がシビレる感動を全身で浴びたい。

さぁ、
どんな出会いが!
どんな経験が!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?