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ストレイシープ・キャロル 序章の二②

序章の二・金持ち息子とテロリスト

 セガレになら、話してもいいと思った。
 別にセガレを信用してるわけじゃない。むしろ彼のお人よしぶりは気に入らないくらいだ。
 高卒で働く? 独り立ちする? おぼっちゃまのくせに、世の中を舐めすぎ。コネで大学入れてもらえるんでしょ? 入ればいいじゃない。かっこつけちゃって、これだから金持ち息子は。いつでもニコニコ笑って、誰にでも愛想よくして、ほんと能天気。……でも。
 セガレになら、話してもいいと思った。
 あたしはもしかしたら、本当は怖いのかも。これから実行しようとしてることが。
 怖いのかもしれない。自分ひとりで抱え込むのが、怖いのかもしれない。
 だから、話してしまおうと思った。
 最後くらい、誰かに。
「……誰にも言わないって、約束してくれる?」
「え?」
 セガレは間抜けな声を出した。ほら、そんなところに置いたら、次の手であたしにごっそり返されちゃうよ。
「約束してよ」
 あたしは駒を一つ手に取る。
「……おう」
 セガレは微妙な表情でそう言った。そのあと盤を見て、あっ、て顔をした。もう遅い。

 あるところに女の子がいました。
 その女の子には父親がいません。母親はいますが、女の子を一人では育てられなくて、生後数か月の女の子を、自分の母……つまり女の子の祖母に預けました。そしてそのまま二度と、女の子の元には現れませんでした。
 祖父はすでに亡くなっていたので、女の子は非常に厳格な祖母と二人暮らしをすることになりました。祖母は女の子に母親の名前すら教えませんでした。祖母はだから、出来の悪い娘への不満を、孫娘にぶつけていたのかもしれません。痣や傷跡の数が増えるに従って、女の子は笑顔の作り方を忘れていきました。身内だからって愛されるとは限りません。世界とはそういうものです。
 やがて祖母が亡くなると、女の子は親戚中たらい回しにされました。女の子は愛想のよいタイプではなかったので、どの家でも煙たがられ、なにかと難癖をつけては追い出されました。
「あんたの目が嫌。大きくて真っ黒で、心を覗き込まれてるみたい」
 女の子は思いました。あたしはたぶん、手に負えないモンスターなのだ。だから誰も近づかないで。放っておいて。女の子は黒い服ばかり身に付けるようになりました。突き刺すような視線から身を守る護符みたいに。
 そして、最後にお鉢が回ってきたのが、遠縁の遠縁の遠縁の、千歳と言う名の女性でした。
 初めて会ったときのこと、女の子は今でも忘れられません。
「泉だよね? 大きくなったねえ!」
 その人はもう三十なのに髪を派手な金色に染めていました。切れ長の目に、ばちばち睫毛。ダメージジーンズにネオンカラーのTシャツ、履き潰したスニーカー。どう見ても『まともな』職業についているようには思えませんでした。
「うんと小さいころに会ったことあるんだよ。覚えてないよね」
 千歳はしゃがみこんで、女の子と視線を合わせました。痛み切った金髪が揺れると、煙草の匂いがしました。
「泉の目は本当にきれいだねえ。おっきくて黒くて。私の好きだった人に似てる」
 そして千歳は目を細めると、女の子の頭を乱暴に撫でました。
 その瞬間、なぜだかわからないけど、女の子は泣いていました。千歳の手のひらは、温かかったのです。

「それが一年前」
「へえ」
 セガレは頬杖をついた。
 なんだかおかしい。だってまるで正反対なんだもん。過保護な親の元から離れたくて仕方なかったセガレと、誰からも求められずたらい回しにされてきたあたし。
 どっちにしろ、幸せな幼少期じゃなかったのは同じだけど。
「で、その人と暮らしてるのか?」
「そう」
「泉はその、チトセって人のことが好きなんだな」
「……なんで?」
 セガレは駒を持ったままこっちをちらりと見て、笑った。
「だって嬉しそうだから」
 さらりと放たれた言葉。あたしはちょっと返事に詰まった。
 そうなのかな。そうなのかも。
 でも、だとしたら辛いよね。だって、
「だけどお前、じゃあ何でその人と夕飯食べないんだ。いつも一人でこの店に来るだろ」
 セガレが咎めるような声で言うから、あたしの思考はそこで途切れた。
「千歳は夜のお仕事してるから。一色と一緒に食べるなんてごめんだし」
「イッシキ?」

 ある女の子のお話、あそこで終われば幸せだったのだけど。そうもいかないんだよね。
 千歳には、同居人がいたのだ。
「やあ、泉ちゃんだね。どうぞよろしく」
 その人は四十くらいで、ふわふわした茶髪に黒縁眼鏡をかけていた。物腰が柔らかく話し方は上品で、ぱっと見は優男然としている。
 だけど、差し出された手を握り、眼鏡の奥の目を見たとき、あたしは思わずぞくりと震えた。冷徹で、周到で、残酷な目。ちょっと人に言えない仕事をしていますって感じの目。
 そして、あたしのその予感は、外れなかった。
 そもそも、あたしが越してきたこの辺りは、治安が悪い。裏のお仕事で食ってる人は案外多いのだ。だけど、そういう人種がみんなが武闘派だと決めつけるのは、映画の観すぎ。一色の場合、完全ホワイトカラーの経理担当だ。元々はしょっぱい金貸しなんかやっていたらしいけど、今はフリーランスの闇税理士ってとこ。相当の敏腕らしく、汚い仕事で得た金が、一色の元を通ると、なぜか綺麗なお金に変わっているとか。わお。不思議。
「賢くなれよ、泉。喧嘩が強いやつより、賢いやつの方が上に立てる」
 一色はよくそう言った。たしかに一色は賢かった。そして絶対に人のことを信用しなかった。こういう人種として生きていくなら、それがたぶん、一番いい選択なのだ。
 千歳はどうやら一色に借金があるらしい。じゃなきゃ、千歳が一色と一緒に暮らすはずがない。千歳は一色の身の回りの面倒を見てるけど、二人は恋愛関係にはない……たぶん。あたしがそう願ってるだけかもしれないけど。
 千歳は、毎日働くバーで、一色のメッセンジャーをしている。よからぬ方々からよからぬ情報をもらい、一色に渡す仕事だ。他にもバイトを掛け持ちしているようだけど、千歳の収入は全て一色の懐に入っていた。
「ごめんね、泉。来年にはちゃんと学校通わせてあげるからね」
 千歳は何度もあたしにそう言った。
「別にいいよ」
 それは本当。もともと転校が多くて不登校がちだったし、学校なんて行ったところで後ろ指さされるだけ。あの子親がいないんだよって。そう考えれば、アパートで一色の膨大な蔵書を読み漁る方が、ずっと賢くなれそう。
「千歳、あたしも何か手伝おうか?」
 あたしと暮らすようになってから、千歳はどんどんやつれている。
「何言ってるの、泉はここにいてくれるだけでいいんだよ。欲しいものがあれば何でも買ってあげるからね」
 千歳は濃いクマをメイクで隠しながら、いつだって強がりを言う。嘘に決まっていた。自分の生きる分だけでも大変なのに、あたしを養うお金まで稼がなきゃいけない。どこの馬の骨ともしれないあたしのために、一色はビタ一文出さないだろうから。だから千歳は前よりもっと働かなきゃいけない。
 千歳があたしのためにこんなことする必要ないのに。あたしは胸がきゅっと締め付けられるような気持ちになりながら、でもちょっと、ちょっとだけ、嬉しかった。
 あたしのことを思ってくれる人がいることが、嬉しかった。
 千歳と話すのは楽しかった。特に初恋の相手について聞くとき。
 千歳の、運命の人。
「彼はね、めちゃくちゃ喧嘩が強かったの。十人相手に一人で勝ったこともあるんだよ」
 自慢にならない自慢を、嬉しそうに語る千歳。
「そして私に、すっごく素敵なプレゼントをくれた」
「プレゼントって?」
「ひみつ」
 あたしよりずっと大人のはずなのに、その顔はまるで少女のようで。年は離れてるけど、あたしたち、本当に友達になれるかもって思った。生まれて初めての、友達に。
 でも、あたしは、忘れていた。
 あたしは誰にも求められてない、要らない子なんだってこと。

 ある夜、あたしは聞いてしまった。疲れ切った千歳が、一色にこう漏らすのを。
「私、最近、泉の顔を見ると辛くて。しんどいの。もう」
 あたしはその瞬間、我に返った。
 ああ。結局あたしは、誰にも求められていなかった。
 千歳だって同じだ。あたしはどこにいたって迷惑なのだ。
 そう思ったら、なんだかもう、どうして生きているのかわからなくなった。

 *

「俺、ちょっと怒ってるぞ」
 なんでもないみたいな顔で語る泉に、俺は駒を握ったままそう言った。
「見ればわかる」
 泉は大人びた苦笑を浮かべる。わかる? わかるもんか。俺だっていったい何に怒ってるかわからないのに。
 泉を虐待していたらしい祖母? たらい回しにした親戚や、あまり行儀のよくなさそうな保護者たち? それとも、捨て鉢になって不穏なことを口にする泉自身?
 身の上話は予想外の方向に転がり、何も言えないまま、空気は重く沈む。言葉にならない感情をまとめようとしているうちに、それらは絡まって、こんがらがってしまった。
 こんなはずじゃなかった。
「セガレの番。打って」
「……」
 オセロのことなんてもう考えられない。俺はとにかくどこでもいいので駒を打つ。
 そこで泉は目を伏せ、駒を持つと、声音を変えた。昔話は終わったのだ。
「一色がね、言ったの。ちょっと大きなヤマがあるって」
「ヤマ?」
「お仕事。依頼があったんだって。手伝うことにしたの、あたし」
「仕事って?」
 泉は答えなかった。代わりにまたちょっと爪を噛んで、
「いったい誰からの依頼かわからないけど、すごく大口の仕事みたい。報酬を当分すれば、千歳は一色への借りをチャラにできる」
 泉は駒を置く。パチンと、硬い音がする。
「ちょうどいいと思ったの。だってお金が手に入れば千歳は自由になれる」
 自分に確認するように、泉は続けた。
「それで、あたしが……」

「あたしがいなくなれば」

 付け足しのように言った部分が、釣り針みたいに俺の耳にひっかかった。
「ちょっと待て。どういう意味だ」
 俺は問いかけた。
「いなくなればって、どういう意味だ」
 泉は顔色を変えず、駒を返していく。終局が近いが、このままだと俺の惨敗だ。
「そういう意味。だってもう生きてたって仕方ないもん」
 その声があまりにも乾いていて、俺は怖くなる。何か覚悟しきったみたいな、別れを告げるときのような、そんな響きだった。
 こんなはずじゃ、なかった。
「泉」
 何考えてるんだよ。どういうことなんだよ。
 クリスマスイブなのにこんな笑えない冗談。
「……笑えねえよ」
 思ったより、怒った声になってしまった。
 俺は角に駒を打つ。タテヨコナナメに駒を挟み、ずらりと十数個ひっくり返す。終盤にて形勢逆転だ。
 しかし泉はぴくりともしない。初めから分かっていたみたいに。まるで俺に勝たせてあげた、みたいに。冷たい目で盤面を見つめている。
「……そう」
 パチン。
 泉は言うと、最後の駒を置く。俺の駒が二、三枚返されるが、大局に変わりはない。
「終わり。あたし、帰るね」
 立ち上がり、黒いコートを取る泉。顔は伏せたままだ。
「泉、ちょっと待て」
 立ち上がり、泉に詰め寄る。が、泉は猫みたいにするりと脇を抜けると、肩をつかもうとする俺の手を乱暴に振り払った。
「触らないで」
 小さな声が聞こえた気がした。気のせいだといいけど。
「泉」
「ばいばい」
 その言葉とともに、ドアベルが鳴る。軽い足音は急ぎ足に去って行き、暗い店内に俺だけが残された。
 ……冗談、冗談だよな?

 どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。
 あたし本当は、セガレに止めて欲しかったのかな。本当は。やめとけって言って欲しかったのかな。
 だけど逆に怒らせてしまった。まあ当然か。
 悪いことしちゃったな。ずいぶん世話になったのに。いつもこうだ。出会う人出会う人、あたしに失望して去っていく。だからあたしはずっと、ひとりぼっちで迷子のまま。
 やっぱりあたしは……生きてたってもう仕方ない。
 交差点に出る。渋滞はいくらか緩和されたみたいだけど、警察らしき人たちがまだ慌ただしく交通整理していた。美術館の向かいの教会の十字架が、錯綜するフロントライトの明かりを受けては、厚い雲に向けて放つ。
 あたしは足を止め、曇天を背負って立つその美術館を眺めた。

『日辻グループ美術館のクリスマスの音楽会。その最中に、会場を爆破する』

 それが、一色が持ってきた仕事。明らかにいつもと毛並みの違う仕事だし、素人の千歳に手伝わせようとするのも一色らしくなくて、不審ではあった。
 でも千歳は乗った。千歳は言わないけど、日辻グループには何か個人的な因縁があるらしい。それが関係しているのかも。あるいは、ただ本当にお金が欲しいのか。
 どちらにせよ、いい機会だ。
 この作戦が成功すれば、千歳は一色の元から離れられるかもしれない。なのに、いつまでもあたしがつきまとったんじゃ迷惑だもの。
 千歳にとってあたしの存在が重荷なら、消えてしまえばいい。
 簡単なことだ。
「死ぬなら一瞬で」
 前から、そう思っていたから。
 冷たい北風に煽られ、あたしはコートの合わせを閉じた。明日は寒くならなきゃいいけど。

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小説家です。角川書店よりデビュー作『ノベルダムと本の虫』、角川ビーンズ文庫より『オリヴィアと薔薇狩りの剣』『天球の星使い』『花仙国伝』発売中。星と映画とパンが好き。noteには趣味の作品とかどうでもいいこととかを載せます。 Twitter @EightTenkawa
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