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『信長の原理』


垣根涼介の『信長の原理』を読んだ。(直木賞候補作だった)
ここに、朝廷はいっさい出てこない。
山本謙一の『信長死すべし』は、織田信長の性格ゆえからの、帝との軋轢が、本能寺の変に至っているとの観点で描かれていたけれど。
然るに、『信長の原理』は。

織田信長の幼少期から筆を起こしている。
織田信長は、織田信秀の嫡男なのだが、弟がいて、何かと弟と対比されていて、それが面白くない状況で育った。それで、信長は一人で外でよく遊んでいた。そんな中で蟻の行列を飽きずに眺めていたことがあり、その際に、信長はある原理を見いだしたのだった。
母親からの愛情の感受感覚が薄かったというところは、幼児期に母親が死んでいて腹違いの弟がいる私には大いに同感できる。然るに、他人への関心配慮が欠けている点も。自分のことにしか関心がないのだ。
信長の心中には、「何故なのだ?」という思いが常にあった。

けれども。信長を肯定している人物もいた。父親の信秀や松永久秀、など。

例えば、金ケ崎の戦い。
この時、琵琶湖西側の朽木で、松永久秀は、織田信長の助命のために活躍した。その時、松永久秀には裏心もなにもなかった。これに織田信長はひどく感動していて、後年松永久秀を撃つことに積極的になれなかった、そういった描写がこの小説にある。
これまた、信長の感情が私にはよく解る。
幼年期の育ちが育ちだったから、自分を利害抜きに肯定してくれる人物には、織田信長は理屈なしで愛着を感じるのだ。
然るに明智光秀は、どうだったか?

あるいは、朝廷。帝。
何故尊いのか?そこのところが、どうにも腑に落ちない。同じ人間ではないか、と。こういうところも同感。
けれども、家臣たちに対しては、あくまでも臣下としか捉えていなかった。これまた、同感。
然るに、「なぜなのだ?」、ということだ。
このあたり、垣根涼介の筆は、執拗なまでに描く。

織田信長によって追放されたり殺されたりした家臣も、何人もいた。
明智光秀は。足利家将軍の幕臣でもあり、美濃源氏係留明智家の嫡男だったといった、明智光秀の背景も、ちゃんと書かれてある。
織田信長と明智光秀。この両者。歴史の悪戯と言うほかない。
明智光秀が本能寺の変を起こすに至る辺りの記述は、この小説の終盤の一部でしかなくて、そこに至るまでを執拗に記述し続けるところが、この小説の白眉といえるだろう。

『光秀の定理』を著作した作者だからこその、この小説なのだ、と思った。


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