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呟き。(自己紹介の様な)

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自分に関連したことです。
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記事一覧

下村敦史。それから

下村敦史。それから

『油断大敵』のロケ地は、主に群馬県で、私が知っている場所がいくつか出ていた。それで、思ったんだが。
映画において現実的時空間は関係ない、と。

例えば。
冒頭の方で見られる、列車からの安中の亜鉛工場。それから高崎あたり&群馬県警。
これは、地理的におかしいと(高崎は安中よりも手前だから)判っている、けれども、そんなこと指摘するなんてぇのは野暮ってもんでしょ。
綾乃とかの飲み屋も。
川にかかる橋から

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今年から、。

今年から、。

今年から、note記事を有料にした。

『夜の大捜査線』→ズーミング→カメラマン・ハスケルウェクスラー→ヘンリー小谷→グリフィスシステム→DWグリフィス、ときて、
ただ今、1900年代初期の頃頃の、映画の歴史に関連して、映画的な文法について執筆中。

クローズアップ、カッティング、移動撮影、フェイドイン&アウト、モンタージュ、編集、等々。
しかるに、映画とは?映画的物語とは?
、といったことどもを

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海外旅行②

海外旅行②

私、海外旅行はいつも一人でだった。

⑦2002年&2005年、バリ島
合気道しに。&スキューバダイビング。

⑧2006年渡米。
これは、2008年に予定されたロンゲストwalk②のプレイベントとして企画され(だから2007年も何かあったはずだが?)た、アメリカ大陸横断平和行進&ランニング。

純さんの平和行進とデニスのセイクレッドランのコース&ステイ先が一緒だった。

私はサンフランシスコから

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海外旅行①

海外旅行①

私、海外旅行はいつも一人でだった。

最初の頃(二三度めくらいまで?)は、外国で日本人に出会ったとしても、あまり話したくないと思っていた。せっかく異国の異世界に来ているというのに、その異世界感が損なわれる気がして。

①最初の海外旅行は、インド経由ネパール、26歳の時だった。
この時はカメラさえ持っていかなかった。
記録保存より、生の感覚を大事にしたいと思ったから。なんだけど。
もはや、思い出はす

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けれども・・?

けれども・・?

考えても答えがでないもので、私がとても気になるものにフィクションの必要性がある。

私は、どうしてフィクション(の世界)を必要とするのだろう?

これはまぁ、だいたい見当はついてるけど。

映画館で映画を観たい!というのと、同じ要因によるものと思っている。

私には、逃げ込んでいく世界が必要だ、と思っている。今でも。

いや。
六歳の頃の記憶がないのはどうしてなのだろう??と。

私にとって、現実

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景色を眺めて

景色を眺めて

アラームがなる前に起きてしまって、毎度のごとく、窓辺に座って、外を眺めた。

霞み、雲谷(もや)、霧、雲。

谷間に発生したそれは、次第にその色合いを濃くしていった。

それは、そのまま、谷間にまとわりついていた。

そんな現象を眺めて、ふと。。??

何もない(様に見える)空間に雲が発生する要因は理解できる。

水で考えれば解りやすい。

水は、通常なら液体だが、冷えれば個体になり、熱せられば気

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崔洋一

崔洋一

崔洋一が亡くなっていたとは!知らなかった。🙏https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%B4%8B%E4%B8%80

崔洋一の監督映画というと、先ずは『月はどっちに出ている』(1993年)だったと思う。これは、初めWOWOWで放送されたものだったそうだが、映画化上映されて、私は映画館で観たと思う。どこの映画館だったかはもう覚えていない。次には『カム

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山口清一郎~崔洋一から

山口清一郎~崔洋一から

Facebookの映画好きグループで(私は二つ入っているけど、どっちだったか?)、山口清一郎の監督映画を二つ見たことがあって(『恋の狩人/ラブハンター』(1972)と『北村透谷/冬の歌』(1977))、それで『北村透谷/冬の歌』を検索してみたら、助監督に崔洋一がいたと判り、崔洋一をタップしてみたら、助監督についた映画になかなか興味深いものがいくつかあった。

『戒厳令の夜』(1980)もそうだった

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遠藤先生国際合気道研修会

遠藤先生国際合気道研修会

長野県佐久市の長野県立武道館にて、2日から6日までの研修会だったけれど、私は三回の参加。

05/02&/03、11時~15時
/06、10時~13時。

今年は久しぶりの国際研修会。

コロナ禍の影響で三年間(だったか?少なくとも去年はなかった)開催していなかった。

それで、ひさぁ~~~~しぶり再会した道友達が何人もいた。

1990年に、佐久市出身の遠藤征四郎先生を中心として、佐久市で佐久合

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カトマンドゥで、合気道

カトマンドゥで、合気道

去年、10/06から12/28までネパール滞在。

11月下旬になって、ネパール人知人繋がりで空手を教えている人(サンガさん)に会いに連れていってもらって、その人が空手教えているジムで私の合気道を教えられることになった。

それから、ネパール出国までの短い時間だったけれど、何回か、ネパールの子供たちに合気道(の型)を教えたのだった。

ネパール(サトンガル)での、私の合気道教室。お断食唱題あけ後の

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外国への旅行。2000年以後

外国への旅行。2000年以後

2000年からの外国への旅行、メモ。

2000年オーストラリア、タスマニア島。10日間くらい、だけ。

2001年USA。レンタカーで、アリゾナ州ナバホ族居留地一周。その後ミネソタ州リーチレイク湖畔&サウスダコタ州、byレンタカー。それから、N.Y.州Grafton PEACE PAGODAへ。

2002年バリ島。サヌールのロスメン(安宿。貸間みたいな。)泊まりで、デンパサールにある侍道場で合

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海外旅行✈️👜

海外旅行✈️👜

むかぁし、東京は遠かった。

新幹線などなかったといった物理的距離感だけではなくて、感覚的心理的に遠い、異世界だった。

そういう意味で、外国があった。

探検や冒険ものの本を読んでいたけれど、ただ憧れていただけで、そういうことを自分が実際にしていこうという、現実的な行動に繋がるものではなかった。

あの頃の、自分の心理をどう書いたらいいだろう…・・

新宿とか渋谷とか、駅周辺しか知らなくて、点と

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『旅する巨人』

『旅する巨人』

『旅する巨人』
副題、「宮本常一と渋沢敬三」
佐野眞一、著。文春文庫。
これは、だいぶ前に新刊本で読んでいたが、文庫化されたんで文庫本を買った。本文庫の親本刊行は、1996年11月。同じく文芸春秋社より。
今では宮本常一の名はだいぶ知られるようになっている、と思う。

旅する巨人、といえば宮本常一のことになるだろう、が、渋沢敬三をぬきにして宮本常一を語ることはできない、のだった。

正直なところ、

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『終戦のエンペラー』

『終戦のエンペラー』

『終戦のエンペラー』(2012)を再見して。チョット変な感覚を覚えた。
『あ~~~造っているな~。』と。そして、出演者たちに実在感を感じた。現実に存在する人が俳優として演じているのだと確かに思えた。

私は、幼少時の体験によって現実から逃げて内向した。
しかるに、映画を観て、映画という造りものの現実(殊にスタッフ&キャストたちの存在)に実感が持てなかった。映画が造られてから映画館で上映されるまでの

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