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続・銀幕の中のキリスト教

 昨年7月に、キリスト新聞社から「銀幕(スクリーン)の中のキリスト教」という本を出した。古今東西の様々な映画を取り上げ、その中にあるキリスト教的なモチーフを紹介した、キリスト教視点からの映画ガイドだ。

 ベースになっているのはキリスト新聞社の季刊誌「Ministry」で、付録DVDの解説として連載していた10回分の原稿。これにキリスト新聞で連載した原稿と、新教出版社の雑誌「福音と世界」への寄稿原稿、さらに書き下ろしなどを加えて、何とか単行本1冊分の分量にまとめた。

 映画の中には、作り手が意図的に、あるいは無意識の内に、聖書やキリスト教にまつわる描写を埋め込んでいることがある。それを引き出すことで、映画を通してキリスト教を理解したり、キリスト教を通して映画を再解釈することができる。

 「銀幕の中のキリスト教」では意図的に、聖書の映画化作品を取り上げないように心がけた。グリフィスの『イントレランス』(1916)やサイレント版の『十誡』(1923)は項目を設けているが、これらは聖書の映像化ではない部分も多い。「銀幕の中のキリスト教」の続編を出すとすれば、次は聖書の映画化作品だけに特化した映画ガイドもありだと思う。(その場合、『十誡』や『イントレランス』をどうしようか……。)

 しかし僕は今、映画ガイド形式にならない「映画とキリスト教」についての解説書が作れないものかと考えている。それは最初にキリスト教的なモチーフを紹介しておき、その後、関連する映画を紹介するものだ。「キリスト教シンボル辞典」みたいな本があるが、その映画版をイメージするとわかりやすいかもしれない。

 例えばそこでは、項目として「雨」についても取り上げることになるだろう。雨、しかも土砂降りの大雨は、キリスト教の入信儀礼である洗礼のメタファーになっている。関連作品は『雨に唄えば』(1952)、『七人の侍』(1954)、『時計じかけのオレンジ』(1971)、『ブレードランナー』(1982)、『ショーシャンクの空に』(1994)、『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)など、すぐに何本かの作品が思い浮かぶ。

 雨を水に置き換え、洪水、船の沈没、シャワー、プールなどに広げていくこともできる。すると『ゴジラ』(1954)や『サイコ』(1960)、『タイタニック』(1997)もこのグループに入ってくる。水はどこでも洗礼のメタファーだ。

 他にも「兄弟」はカインとアベルである可能性が高く、賢兄愚弟の組み合わせだとその可能性はさらに増す。親子の確執と和解は「放蕩息子」のモチーフを隠していることがあり、「母子家庭」が出てくれば、これは聖母子である可能性を考えながら映画を観なければならない。

 ただし今のところ「雨」意外は具体的な作品を探していないので、今のままだと1冊の本にするのは難しい。まだアイデアのレベルだ。しかしいずれどこかで、原稿としてまとめることができればと思っている。

 物書きの頭の中には、常に様々なアイデアが渦巻いている。しかしそのうち99%は、アイデアのまま具体化せず、日の目を見ることがない。これもそんな「99%」の中に埋もれていきそうだ。

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