緑色の彼女をさがして vol.38
商店街の一番外れ、二階の窓際のカウンターでナポリタンを食べた。
夕方5時すぎの商店街には、買い物帰りの人達が過ぎていくのが見える。
店内には、私と、中央のテーブル席に男女四人のバンド仲間みたいな人達が座っていた。
朝から何も食べていなかったから、
商店街を過ぎる人達を眺めながら無心でナポリタンを食べる。
何かと忙しく毎日が過ぎていって、楽しかったり、悲しかったり、虚しかったり、そういう感情も平坦になって、この前までひどく落ち込んでいた気持ちも少しだけ薄れていった。
それが良いことなのか、悪いことなのか、それすら関心がなくなってしまった。
注文していたクリームソーダが運ばれて、私はフォークを青いお皿に置いて、ストローを刺す。その途端にグラスの淵からは緑色の泡が溢れ出して、グラスの下の紙ナプキンが緑色に変わっていった。
細かい泡と、バニラアイス。
久しぶりのその味が心地よくて、
何かを思い出した気持ちになった。
「よしもとばなな」ばかりを読む習慣は今だに続いていて、カバンの中には常に「よしもとばなな」の文庫本が一冊と、それとは違う文庫本が一冊入っている。
この日は読みかけたままだったよしもとばななの『アムリタ 上』と、買ったばかりだった、細野晴臣『アンビエント・ドライヴァー』。
私はクリームソーダを飲みながら、細野さんの文庫本を読んだ。音楽を作る人の日常と、思想と、生活が続いていた。
後ろの席からは、
「ヒグマ」の話しが聞こえてきて、
しばらく店内に響くその会話が気になって仕方なかった。
「熊は頭が良いから、遭遇したら話しかけるのが良いらしい」と、
水玉のシャツを着た男性が言うと、
それを聞いた女性が続けて言った。
「私も聞いたことがある。急に逃げる体制に入るより、話しかけると向こうが逆に警戒するらしいよ。」
「え?ヒグマ愛好家としては、それは初耳だよ。知らなかった~。」と、帽子を被った男性が少し興奮しながらそう返す。
それから30分に渡り続くヒグマの会話に、私は世の中の人がこれほど熊についての知識を持っているのか、という驚きと感心から、しばらく聞き入ってしまった。
ヒグマの話しに気をとられて、細野さんの日常は全く頭に入ってこなかった。だから一旦その文庫本は机に置いて、クリームソーダと残りのナポリタンを食べることにした。
ヒグマの会話も尽きたのか、会話はバンド活動の話にうつり、しばらくしてその集団は店を出ていった。
私もナポリタンを食べきって席を立つ。
レジのお婆さんに、心から湧きあがっているような「ありがとうございました」を言われて、私も心からの「ごちそうさまでした」を言った。
外はもうすっかり夏。
部屋に戻ってから、
私はもう少しで書き終える本の原稿をまとめて、溢れる文字に目がくらみながら、あとがきを書いた。
去年の夏から書いていた日記をまとめたその本は、ちょうど200ページになった。読み返すと懐かしい夏の出来事と、さみしかった冬の日、つい最近の話、誰に知ってほしい訳でもない自分の日常がそこにある。
本当に誰に知ってほしい訳でもない。
それでもなぜだか書き続けてしまった。生活をする意味すら分からなくなっていく前に、生活をする意味を作りたかっただけなのかもしれないな、と思う。
部屋のベッドサイドには、
よしもとばななの文庫本ばかりが積み上がって、一番上にはいつも『キッチン』が置いてある。
寝る前にはそれを手にとって、
ページをめくって眠りにつく。
この日私は夢を見て、
夢の中ではまだ「笑っていいとも!」が続いていた。なんとなく、夏休みのお昼に見ていたその時間を思い出して懐かしくなった。
今回の緑色の彼女
赤いトマト
クリームソーダ 350円
良心的な価格と、美味しいナポリタン。
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