緑色の彼女をさがして vol.37
円形のグラスに、濃いブルー。
夕方、駅前を見下ろす喫茶店に一人。
店内は心地よい暖かさで、クリームソーダがちょうど良かった。
この日の朝は、
なかなか起きれなかった。
雨の音がしていて、
体はとてもだるいまま、
しばらくベッドの上で天井を見た。
あの時に、
あの言葉を耳にしたとき、泣かなかった自分を褒めてあげたいと心から思いながら、しばらく動けなかった。
ひとつ、
終わってしまった気持ちがあった。
友達は、また新しく始まることだってあると言うけれど、まだそんな風にすっきりとした気持ちにはなれなかった。
夢は、ここにきて少しずつ動いてきたけれど、その度に犠牲にしている色々なものが浮き彫りになる気がして少し虚しさもあった。
あの日のことを思い出すと、
自分が消えてしまいそうだなと思う。
あの言葉の全部が、今は何の意味も持っていなくて、あの人の頭の中にはきっと一つも残っていないのだろうなと思うと全てが幻みたいで悔しかった。
気づいたら雨も止んでいて、
私はパソコンを抱えて外へ出る。
駅前のカフェでひたすら文字を打ち続けた後に、喫茶店へ入った。日常を書き残した日記をまとめた本を作っていて、それは完成したら200ページ近いものになりそうだった。
今は、目の前にある仕事と、毎日と、その本のことをひたすら考えていようと決めている。少しでも隙間ができたら、私はたぶん、簡単に消えてしまえそうな気さえするなと思うから。
駅前の二階の喫茶店。
ブルーのソーダのクリームソーダ。
寒くも暑くもなくて、
ただその青い色のソーダを飲んだ。
きっと部屋に帰ったらまた虚しさだけが残ることも分かっていながら、喫茶店に時間を費やした。消えていくまで時間が過ぎてしまえばいいのに、とさえ思ってしまいそうだった。
半分くらいソーダを飲んでから、文庫本を取り出して読んだ。
よしもとばなな ばかりを読み続ける習慣はまだ続いていて、キッチン、アムリタ、うたかた/サンクチュアリ、短編集、そして今はハゴロモを読んでいる。
よしもとばななの話の中には、
別れのあとの生活があって、そこにはいつも手を差し伸べる人が現れる。そうやって物語は続いていく。
たまにそれが羨ましく思えてくる。
確かに、
救いの手がないままの寂しいだけの物語が続いていくとしたら、そんな絶望みたいな話は誰も読みたくはないよな、と思うけれど。
でも現実は、
別れがあっても、何かが終わっても、どんなに悲しくても、
そんな時に、タイミングよく救いの手を差し伸べてくれる人が現れることなんて、ない。
少し前に、
そういう運命に近いものが存在するのかもしれないと思える希望みたいなものに出会ったのに、私は自分でそれを消してしまった。
ほんの少しの希望みたいなものが、
今はもうなくなってしまった。
読み進めている「ハゴロモ」の中でも生まれている、そういう出会いの風景。今はなんだかとても胸が痛くなった。
氷が溶けて、
ブルーのソーダは薄くなった。
喫茶店には、夕食を食べる人。
ナポリタンをすする音が響いている。
永遠に喫茶店には居られない。
帰る場所は、部屋しかない。
楽しみだって、これから叶う夢だって、約束だってある。
それなのに気持ちは空っぽだった。
これから先、楽しいと思える存在とか、自分が必要とされる瞬間とか、そんなものがあるのかなと考えては、その諦めみたいなものが消えなかった。
暗くなった道路で、
気づいたら私は過ぎ去った気持ちと一緒に、人生の中の一番悲しい風景と、気持ちまで思い出していた。
もう二度と戻らない時間と、本当は思い出すのがこわいけれど忘れてしまいたくない日のこと。
歩きながら、涙が止まらなかった。
悔しさと悲しさと、なにをどうしたらいいのか分からない気持ちが止まらなくなっていった。
そしたらそこに、ソックスがいた。
私を見つけたらすぐにボイラーから飛び降りて、ニャーと鳴いた。
ソックスの目は誰でもなく、しっかり私のことを見ている。ソックスは誰かじゃなくて、私の後ろついて来る。
ソックスの緑色の目が優しくて、
泣いている私をじっとみながら、
公園の周りを二周くらい歩いた。
私とソックスを見たおばさんは、フッと笑って通り過ぎた。
泣いている女と猫が一緒に歩いている姿は、たぶん物語からそのまま出てきたくらいの光景に見えるのだろうな、と思ったら少し笑えてしまった。
ソックスは気まぐれで、しばらく散歩をしたあとに車の下に潜って行ってしまった。
ソックスといる時間は全てを忘れていられるみたいに、心が穏やかになる。
涙が止まって、アパートの鍵をカバンから取り出しながら、あることに気付いた。
「ソックスだ。」
よしもとばなな の小説の、別れのあとの救いの手。その救いの手は、私の場合は「ソックス」なのか。
そう言いながら私は笑った。
頼り甲斐ある人とか、悲しみを分かち合う青年とか、運命みたいな人とか、そういう救いの手。
私の場合は、
ソックスの白い小さな手だったらしい。たぶん、小説に出てきた救いの手より、遥かに可愛い救いの手だと思った。
でも、一番頼り甲斐はないなあと思う。
ソックスのピンと伸びた尻尾、
黒くてふっくらした体、靴下みたいな白い手足。
それを思い出して、私は笑った。
不思議だけれど、
落ち込んだときに現れるソックス。
さっきまでの絶望みたいな気持ちがほんの少しだけ軽くなった気がした。
私の救いの手はソックス。
悲しみから救ってくれるのは、引越した街で出会った猫だなんて、それこそ小説の中みたいだなあと思う。
人生は、やっぱりなんだか他人事みたいにも思えてくる。
今回の緑色の彼女
カフェ ド ウィング
クリームソーダ 680円
淡い炭酸と、青い海
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