社会不適応と言われても社会の役に立ちたい

ゆるく投稿します。

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最近の記事

残りの時間を噛み締めて

この先 家族全員がそろって食べることができる夕飯の回数を数えてみた。 母はもう還暦 父もとっくに還暦 僕の弟が実家に戻ってくるのは お盆とお正月の年2回 僕も弟と同じ年2回 これから先 4人家族が そろって食事ができる回数を計算すると 両親が頑張って生きてくれたとして 残り15年程度。。 (この数字ばっかりはなんとも言えない。。。) それを 1年に2回 全員集合するとして 残り30回くらい 30回ってカレンダーで言うと 1カ月分。。 数字にする

    • 救急車で病院に運ばれて

      苦い苦い苦い 幼少期のエピソードです。 ただしほぼ記憶がありません。 あるのはその時にできたオデコの傷だけです。 ADHDの特性である 衝動と不注意が 絡みあった結末だとは思いますが ご紹介しますね。 お風呂の時間が題材です。 お風呂に入る目的の多くは 身体を洗うことや 疲れを癒すことだと思いますが 幼少期の僕の目的は お風呂にダイブして楽しむことでした。 つまり 僕は 家のお風呂の湯船に飛び込む衝

      • 致しません

        ADHDの特性から 0か100かの行動パターンと思考回路です。 つまり やる時はめちゃくちゃやるよ やらない時はめちゃくちゃやらないけどね ってことです。 発達障害を抱えている僕からすると この状況をコントロールすることは困難であります。。 そしてブログ投稿においても 現在怠惰モードに突入しております。 全くやる気が起きません。 ただ 実はみなぎるやる気の時期が 数週間前に2日程ありまして ブログの記事も 2日で100記事くらい一気に

        • 自暴自棄な子との出会い

          実はこんな僕ですが, 1年間中学校の教員として勤務した経験があります。 体育の教員です。 地元の中学校で勤務です。 実は前評判もありましたが, 大暴れしている子がいました。 バイクにまたがり昼過ぎに校門に来たり, 教員に歯向かったり, 授業を妨害したり, 教員はみんな口を揃えて, 不良と呼んでいました。 ただ よくよく観察していると, あることに気がつきました。 他者に認められたいんだと。 自分を認めたいんだと

          自暴自棄脱却。父親からの学級通信

          父親は教員でした。 教員ってすごく忙しいんですよね。 毎日遅くまで仕事です 土日もです ですので 僕は小さな頃から 自分の父親を学校にとられてしまう感覚がありました。 すごくすごく話を聞いて欲しいタイミングに 父親は僕の隣には必ずいなかったからです。 その気持ちが重なり, 次第に距離ができました。 壁ができました。 会話がなくなりました。 僕はADHDの特性からか 中学校で上手くいかない状況も同時に重なり, ついには自暴自

          自暴自棄脱却。父親からの学級通信

          教室でガムを噛んでみて

          たくさんの閲覧今回も感謝致します。 早速ですが, 僕は学校の校則でぶつかる経験を子どもの時にたくさん経験してきました。 特に以前の投稿でお話した通り 小学校はかなりルールがゆるく 個別の配慮をしてくれていました。 イグアナ持込みオッケーとは今考えると凄い配慮です。 僕は配慮がある環境で活動していたことが当たり前と錯覚し, そのままの感覚で中学校に入学してしまったものですから 小学校と中学校のギャップにかなり苦しみました。 今回は

          大好きな先生に引きずられて

          コロナで自粛ムードが広がる世の中ですが、 止まない雨はない。と念頭におき、 本日も 奇想天外な僕の子どもの頃の思い出を交えながら、配信させて頂きます。 こんなエピソードがありました。 記憶が曖昧な部分は多々ありますが、 あー また社会不適応が言ってるよ。はいはい。 けど社会の役に立ちたいんでしょ?はいはい。 くらいの寛大な心で読んで頂ければと思います。。 僕が保育園児の頃の運動会のお話です。 かけっこという種目を行ないまし

          母よ。俺のおむつを替えてくれ。

          子どもが, 「お前」「おい馬鹿」など, おとなに対して挑発的に話かけてくる場面があるとします。 その言葉に対して 感情的になり,その勢いで指導することは, 僕にはもったいなくてできません。 子どもにとっての意思疎通の仕方かもしれません。 意思表現が苦手な子が, 勇気をもって話しかけてきているのです。 と思うようにしています笑 特に言語の知識が不足しているお子さんは, このようなワードで コミュニケーションを保とうとしてきます。 赤

          母よ。俺のおむつを替えてくれ。

          ランドセルよりも大切なもの

          僕が小学 1 年生の時の話です。 ピカピカのランドセルと ある必需品を抱えて学校にいっていました。 びっくりすると思います。 なんとイグアナです。 カメレオンに似ている爬虫類です。 気になった方。こいつです。 寛大な学校の配慮により、 のびのび育った僕は今だから感じます。 配慮のある田舎の学校で本当に良かったなと。 当時の僕にとってはとっても大切な相棒でした。 少し校則の厳しい学校とかでは、 完全に生活して

          当たり前体操は好き。けど当たり前思考は嫌い

          当たり前を疑え。 今回は、 感覚過敏な特徴をもつ子を話題に取り上げて お話を進めさせて頂きます。 感覚的な特徴を持っていると 日常生活や学校生活で 周りの思いがけないタイミングでストレスがのしかかる場合があります。 田舎の中学校では, 自転車での通学が可能な場合があります。 そして 田舎の中学生では、 ヘルメットの着用が義務です。 このヘルメットの感触がどうしても我慢できないという子がいました。 たいていの大人は

          当たり前体操は好き。けど当たり前思考は嫌い

          プッチンプリンがいいんです

          金曜日です。 少し砕けたお話をさせてください。 そして、 臨時休校で普段の生活とは異なる生活をしている学生の方や 日中、家庭にお子さんがいるようになり、 家事やお仕事が少しリズムが違いながらもなんとかやり繰りしているお母さんや会社員の方へ ホッとするような ほっこりするような お時間になれば嬉しく思います。 さて、僕は偏食です。 それは発達障害の特性からきている思います。 こだわりがとても強く かなりの偏りです。 小学校4年生の頃は、 朝は365日きな粉餅を食

          粘り強く 

          子どもの時に, 僕は大人を信じられない状態に陥りました。 理由は3つです。 ①行動を監視されているように感じたから。 ②何かある度,頭ごなしに怒られた記憶が積み重っているから。 ③大人は話を聞いてくれない存在だとインプットしてしまったから。 しかし,月日はかかりましたが, そんな過去の状態から抜け出し, 乗り越えて, 現在は 社会の役に立ちたい。 子どもたちに過ごしやすい環境を提供したい。 という気持ちになったのは 僕が子どもの時の 母親のある行動でした。 それ

          9年の月日が経ちました。

          9年間SNSからは遠ざかっておりました。 なにも得られるものはないと成人したときに一切を辞めました。 しかし,事業をはじめてく上で SNSはこのご時世でなくてはならないものだと思い,立ち上げました。 すると,僕が過去に苦しんでいた状況を 今まさに経験中のお子さんや 必死に日々支援をする支援者の方々 そして育児,子育てに奮闘する保護者の方々が これほどまでに多いことを 再認識しました。 改めて,自分ができることは何か。 考えさせられる,そんな1日でした。

          名前の通りの者です。

          はじめまして 名前の通り 僕はどのカテゴリーのコミュニティに行ってもどうしても馴染めずにいました。 ただとても明るくとても活発です。 なぜ馴染めないのか それは僕の生まれながらにしてもつ 発達障害に紐付けられていると思います。 ただ卑屈に人生を過ごすのではなく、 自分のエピソードや経験を話題にし, 笑いや感動をお届けし, ゆくゆくは多くの人が前を見て歩み出せるような記事を書きたく このサービスに新規登録しました。 現在は雇用される立場ではなく 独立し