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生きててよかった

第14回目の投稿です!

前回のお話の続きです。
死にたかった時期を乗り越え、立ち直った僕。
今回は、そんな僕の今の感覚について書いていきます。

 
 
 
“世界が色づいて見えた”

これが立ち直った僕の、最初の感覚でした。
とても狭かった視野が広がり、あらゆるものが見え、輝くようになった。元々そこにあったことにすら気付いていなかったことに、驚いたのと同時に“嬉しかった”。自分の生きている世界は腐ったものじゃなかった、この世界は捨てたもんじゃなかった、そう思えたから嬉かったんです。
実際、その嬉しさは今でも感じています。
視野が狭いときは、辛いことしか見えなかったため、
こんな世界なんてどうなってもいい、、
と思っていました。でも楽しいことを見るようにすれば、この世界を好きになれた。むしろ楽しいことしか見えなくなって、今は何をしていても楽しいんです。生きているだけで全て楽しい。そんな人生が幸せじゃないわけないですよね。

 
 
 
辛かった経験をしたから、他の人にも辛い思いはしてほしくないし、人の痛みを知れた。言われたら嫌なこととか、やられたら嫌なことをしなくなったと思います。
また誰かに手伝ってもらったり、何かしてもらったりしたときに、「ありがとう」と素直に言えるようになりました。
一歩違えば、無くなっていた僕の人生に、物も人もちゃんと在る “今の人生” を送れていること自体に、感謝できる。僕を助けてくれる人、僕と時間を共有してくれる人に、素直にありがとうって言えるようになりました。そこに “在る” ものが、一歩違えば “無かった” かもしれない。つまり、

そこに在る “当たり前のもの” が、僕にとっては当たり前じゃない。

だから僕は、在るもの全てに対して「ありがとう」を言えるようになりました。人は慣れてくると、そこに在るものが当然であると認識し、感謝の気持ちが薄れてしまいますが、僕はずっと感謝の気持ちを持ち続けて、生きていきたいと思っています。

 
 
 
最近僕は、よく笑顔を誉められます。
居酒屋のバイトでお客さんに言われたり、初めて会った人に “雰囲気が明るいね” とか、“輝いてるね” って言われたりします。
その理由も、僕が「死にたい」を乗り越えたからだと思います。
死んでいたら無かったはずのものが、今は在る。それが純粋にありがたいと思うし、ただただ嬉しい。“今” を楽しく幸せに生きられるようになったから、周りからもそう見られるんだと思います。バカで気楽に考えられるお前はいいなぁ、、じゃないんです。
それだけ「死」と向き合ったからこそ、今、この時、一秒、一瞬を楽しめるんですよね。

「死」を身近に感じたからこそ、「今」を大切にし、全力で生きていられる。

全力で生きているからこそ、全力で笑っていられる。
全力で生きていると、楽しいことも苦しいことも100%で感じるはずです。楽しいことはめちゃくちゃ楽しく感じることができるけど、その代わりに、苦しいこともちゃんと受け入れなければなりません。苦しいことに対して、真剣に向き合って乗り越えないといけないのは辛いです。逃げることができませんから。
でも、適当に生きて、楽しいも苦しいも50%しか味わえない人生のほうが、よっぽど後悔する人生なんだろうなって思います。
地に足つけて、一歩一歩踏みしめながら、全力で「今」を生きている。
だからこそ、僕は笑っていられるし、周りから明るく見られるんでしょうね。そう思うから、僕はこれからも、ありがとうを忘れずに、“全力” で生きていこうと思います。

 
 
 
 
 
 
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